いい加減大人になってくれ
夕刻。
当てもなく彷徨った末に、亜人居留区の一角へと至る。
そこは右を見ても左を見ても謎の光景ばかりだった。小人族が通るであろう鼠の穴倉のようなトンネルに、長耳族が暮らしているであろう藁と木で作った毛むくじゃら。浅い川にはぷかぷかと魚人が水死体のように浮かんでいて、鳥人は高い屋根の上で待つヒナに向かってエサを運び込んでいる。
中には公的施設や商業施設らしきものも見受けられるが――種族特有の文化を差し引いても――実態がまるで見えてこない。
半ば治外法権気味となった弊害だ。きっと真っ当な活動から認可のくだっていない闇商売など、玉石混合なんだろう。
「H・W魔術研究所……か」
しかし、と俺は思う。
何気なしに目についた案内板で、公的機関と思しき名称もあった。
こんな有り様でも一応は進歩しているんだ。なにせ魔術研究機関となると、総合学区出身の人間に違いない。
俺の知る限り、あそこはプライドの高い連中が多い。そんな奴らが席を置いても構わないと思えるくらい、居留区も良くなりつつあることが窺える。
「団長、次はこちらに」
「ああ」
案内板から目を逸らして、カオスな街を回る。
全体的に新しい建物は少ない。何処もかしこもへし折れて、歪んで、見るからに耐久性は怪しい。
通りの隅っこで焚火を囲んでいる蜥蜴人は路上生活者だろうか? ボロ切れに身を包み、明るいうちから酒を飲んでいたのか、すっかり顔を真っ赤にしている。
「平和だな」
そうして俺は呟く。今日一日だけでも三度目の発言だ。
見た目はアレでも実際にそうなのだから、そうとしか言いようがない。
「そんなことはありません」
そこからの反応も同じだった。
「たとえばほら……こことか」
言って、ハルナはゴミ捨て場を漁り始める。
流石の犯罪者さんも、そんなところには隠れてないと思うぞ。
「もういいだろう?」
無駄骨でしかない行動に俺は言う。
「もういい、とは?」
生ゴミにまみれたハルナが振り返る。
「もう陽も暮れてきた。飯でもどうだ?」
と、俺は近くの店を指差した。
思えば朝から何も食べていない。彼女もきっとそうだろうと踏んでいた。
「見くびらないでください。騎士は食わずとも高楊枝。潜んでいる事件を見つけるまでは――」
ハルナがキッと睨みつけ、続けようとした時だった。
ぐーっと間延びした音が夕暮れに響き渡る。少なくとも俺のものではなく、物心がついたばかりの子供にも理解出来る消去法だった。
「な? とりあえず腹を満たそう」
「…………………」
ハルナは否定せず、ほんのりと赤い顔で頷いた。
そうして入った店は――まぁ大衆的なものである。
亜人の店ということもあって、多少味付けにクセはあるものの、特別美味くもなければ不味くもない。
値段の安さで酔っ払いを惹きつけ、水で薄めた酒でとことん酔わせるといった、そんな食事であったと思う。
「団長は分かってないんですっ!!」
しかしその点では、大して強くないハルナからすれば劇薬だ。
二杯目のジョッキをテーブルに叩きつけながら、すっかり据わった目を俺へと向ける。
「この街がどれだけの危機に晒されているのかを!!」
「はいはい分かってる分かってる。今日一日で十分理解出来たさ」
「分かってないじゃないですかぁ!?」
呂律の回らぬ声で言われたところで何のそのだ。
徒労に終わるであろうことは、最初から分かっていたことだ。
「それよりハルナ。お前はどうなんだ?」
故にシンプルに言い返す。
「今日一日ずっとパトロールで終わったが? 本部への報告は?」
「う…………」
「はぁ……また独断行動か」
彼女の反応に、溜息を吐きながら思う。
昔からハルナはそうだった。こうと決めたら中々自分の意見を曲げやしない。
今日一日の行動でさえ、彼女の独断であったのだと悟りながら――
「ハルナ。いい加減大人になってくれ」
と、俺は続けた。
「お前が俺を慕ってくれるのは嬉しい。でも俺はもう騎士団の人間じゃないんだ。」
そう。
俺はもう騎士団の人間じゃない。
どう取り繕っても、逆立ちしたって、どうしようもならない。
「そんなこと……そんなことは……」
それでもハルナは食い下がろうとする。
今日一日、無事平穏だった街並みを前にしてもだ。
「確かに、潜んでいるのです。この街には」
「何処にだ?」
「必ず、絶対に。団長でなければ解決出来ない事件がきっと」
と、根拠もへったくれもなくて、まるで自分に言い聞かすかのよう。
余程酔っているらしい。そろそろ切り上げ時だろうと、俺がそう思い始めると――
『おい。さっき俺のこと睨みつけてたろ? そうだよな?』
『え、いや、そんなこと……』
『ちょっとツラかせ。二度とそんな目で見れねえようにしてやる』
『ちょっ、やめっ……!』
店の中から物々しい声が聞こえた。
客同士のトラブルだ。ガラの悪そうな人狼が別テーブルの客に向かって、一方的に因縁をつけているように思える。
「ほ、ほら!!」
そんなトラブルに、ハルナは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「かように治安は荒れ切っているのです! スタンレー団長がいないから!!」
「俺は関係ないだろうが俺は。単なる酔っ払いのトラブルだっての……ったく」
しかしトラブルはトラブルだ。
放っておくわけにもいかず、俺は今にも殴りそうな酔っ払いの腕を掴んだ。
「その辺にしておけ」
「ああん!? んだよお前は!?」
「あんた飲み過ぎだぞ? 誰彼構わず絡む奴がいるか。まずは落ち着いて、水でも飲んでだな――」
と、諫めようとして不意に気づく。
酷く目が据わっていた。何日も寝ていないかのように充血もしている。
単に泥酔したくらいで、こうまでなるものだろうか?
「なめ、やがって……!」
しかし考える暇はなかった。激昂した人狼は毛を逆立たせ、すぐさま俺の胸倉を掴みかかる。
一先ず落ち着かせることが先決だと思って、俺は彼女に目配せをした。
「何処の誰だか知らねえけど、調子に乗ってたらそのツラを――」
「ほう。団長のお顔をどうするつもりだ?」
「え…………はああああああ!?」
すぐさま急転直下。人狼は顔を真っ青に染める。
今は甲冑を身に纏ってはいないが、副団長の顔くらいは知っているのだろう。
「ハ、ハルナ……ホールデン!?」
「私の目の前で犯罪を犯すとは良い度胸だ。ここで切られたいか? それとも――」
ハルナも酔っている所為か心なしか好戦的で、前みたいに俺を前面に押し出さなくてよかったと思う。
なにせベルネルト騎士団副団長の威光は伊達じゃない。さっきまで暴れ狂っていた男が、今では子犬のように大人しくなっている。
「く、くそっ!!」
と、人狼は慌てて逃げ出そうとする。
これにて食い逃げの余罪も追加だ。
「逃がさん!」
そしてハルナの追跡から逃れられる人間もいない。
そもそもの鍛え方が違う。一般人の、それも酩酊した足でどれだけ走ったところで、瞬く間に捕まってしまうだろう。
「――あべっ!!」
「…………」
もとい。
その当人も酔っぱらってなければだ。
ハルナは椅子に足を引っかけ、盛大に転んだ。
そうこうしている合間に人狼は店の外へと走り去っていく。
「おいハルナ」
「はにゃ! わらひのはにゃが!!」
「…………はぁ」
小言を言おうとして……やめた。
俺に今更何かを言う権利なんてないし、それに思いっきり顔面を打ち付けたらしい。見てるだけでも痛そうだった。
「ほら見せろ」
「だんひょう……!」
「ん……赤くなってるだけで血も出てない。流石は副団長様だ。しっかり鍛えてやった甲斐がある」
「だ、だんひょうぉぉぉ……」
「もう帰るぞ? さっきの奴は報告だけしておけばいいから」
うるうると目を赤くするハルナを抱え上げつつ、店主には迷惑料も兼ねて多めの代金を手渡す。
夜もすっかり更けた。この辺りが切り上げ時だろうと思った。
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