実家へ

「……ふぅ、終わったぁ」


 深くソファに座り込み、栞奈は疲れを隠そうともしなかった。

 彼女が今居る場所はシトリスのオフィスということで、この先にある仕事についてのミーティングをしていたのである。

 昨今は家で出来るリモート通話が主流になったとはいえ、こうして顔を合わせたのは他でもない栞奈の様子を確かめるという意味合いもあった。


「お疲れ様、八女さん」

「お疲れ様ですマネージャー」


 栞奈に近付いたのはマネージャーの桐田だ。

 一応この場には他の同僚も何人か姿を見せており、声だけでもファンなら分かるほど……そんな夢のような光景が広がっている。


「最近はどうですか? 配信の様子や、直接話を聞く限りは全然心配はなさそうですけど」

「仰る通り、あんなことがありましたが伸び伸びと過ごしてますよ」

「……ふむ、なんと言いますか……変わりましたか?」

「それはもう大分変わりましたねぇ」


 栞奈は否定することなく、心底楽しそうに肯定した。

 その様子に桐田が不思議そうにしているのは理由があり、今までの栞奈とは根本的に何かが違うような気がしたからだ。

 というのも栞奈は真面目ではあるがマイペースな部分があり、それは桐田だけでなく他の同僚、果てには社長を前にしてもそれは変わらない。


(……考えすぎですかね?)


 だからまあ……言ってしまえば特に何がという変化は分からない。

 それでも確かに栞奈は変わった……それが分かるのだ。


「ま、配信活動に影響は出ないですよ。むしろ力になっていますから」

「そうなんですか?」

「はい♪」


 栞奈の表情に嘘はなく、この変化が活力になっているのならマネージャーの立場として桐田は何も言うことはない。


「今の私には誹謗中傷や荒らしなんてなんのその、どんと来いってやつですねぇ!」

「それはそれで困りますけどね!?」


 流石にそれは来ちゃったらダメだと桐田は慌てた。

 とはいえ現在進行形で栞奈や……否、所属するVtuberたちに対する荒らし行為や誹謗中傷は存在している。

 いくつかは既に開示請求もされているが、中にはもちろん示談まで行って報告しているものもある……シトリスに限ったことではないが、本当に困ったものだと業界共通の悩みなのだ。


「栞奈~! これからみんなでカラオケ行くけどどうする~?」

「栞奈先輩、行きましょうよ~」


 二期生である栞奈は、シトリスに大きな貢献をしてくれた存在だ。

 それ故に頼りになる存在として先輩からも、そして後輩からも広く慕われている。

 桐田だけでなく、他の子を担当するマネージャやシトリスの裏方たちもその光景を微笑みながら見つめていたが、一瞬とはいえその空気を凍らせる瞬間が訪れた。


「栞奈先輩! 最近凄く楽しそうにしてますけど……もしかして彼氏とか出来ちゃったんじゃないですかぁ!?」


 お調子者後輩の言葉……だがそれを信じる者は居ない……何故なら今までの栞奈を知っているからだ。

 だが、栞奈はいつものように「居るわけないだろ」とか「私に恋人が出来たら槍が振るわ」とか、そういうことを一切口にせず……きょろきょろと目を泳がせている。


『え……?』


 その様子に思わず、その場に居た真衣以外が目を丸くした。

 えっとどういうこと!? 何が起きてる!? まさか!? そんな幾つもの声が上がる中、栞奈はコホンと大きな咳払いをした。


「彼氏は出来てないから……だからそういうのじゃないからね」

「そ、そうですか……」


 挙動不審から一転、堂々とした様子に対しての静けさが広がる。


「取り敢えずお誘いに関してはごめん――今日はどうしても外せない用事があるの」

「え? 用事ですか……?」

「うん。だからごめんね? また誘ってちょうだいな」


 まるでお姉さんと言わんばかりに後輩の頭を撫でる栞奈は、間違いなくお姉さんのような姿をしている。

 だがそんな姿も今まで見たことがない……この時点でやはり、栞奈に何かがあったんだと全員が理解した。


「それじゃ、失礼しま~す」


 そんなみんなの気持ちを知ってか知らずか、栞奈はそそくさと事務所を出て行った。


「……絶対に何かあった!」

「ちょっと真衣! 何か知らないの!?」

「なんであたし!?」

「アンタ一緒のマンションでしょ!? 怜奈はそういうの興味無さそうだから知ってるわけないし!」

「……私だって興味くらいは――」

「何か知ってるの?」

「……知らない」

「役立たずが」

「酷くない!?」


 今日も今日とて、シトリスの事務所は喧しく……そしてみんな仲が良かった。



 ▼▽



「お待たせ、旭さん」


 約束の時間になり、ある建物の前で待っていたら栞奈さんが出てきた。


「……なんか不思議な感覚だよ」

「ふふっ、今あそこには大勢居るよ」

「そうなんだ……」

「うん」


 栞奈さんを迎えに来たわけだけど、目の前にはシトリスのオフィスがあるであろうビル……特にこういうことには興味がなかったが、改めて教わると不思議な気分にさせられる。

 所属する一人一人が有名人と言っても過言ではないシトリス……そこの人たちが沢山居ると言われたらちょっと緊張してしまう。


「それじゃ、もう行く?」

「そうだな……えっと、お土産とか買ってくけど良い?」

「あ、私も買いたいから是非そうしよう!」


 今日はこれから……うちの両親の元に行く。

 元々顔を出すつもりはあったし、栞奈さんにも話はしていた……でもまさか、本当にこうして彼女を連れて行くことになるとはなぁ。


「……ふぅ!」

「緊張するの?」

「する……」

「私も♪」


 それにしては栞奈さん、随分と楽しそうだけど……。

 その後、俺と栞奈さんは近くの店で土産を見繕い……そしてバスに乗ること一時間ほどで目的地へと到着するのだった。

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