魔性の女

 俺には、他人の不幸を喜ぶような趣味はない。

 でもちょっと自信がないなって思い始めたのは、あの勤めていた会社が傾いたのを知った時……ざまあみろと思ったから。


「……………」

「旭さん」


 俺たちの前に、彼らが現れた。

 予期したものではなく示し合わせたモノでもない……偶然に俺たちはこうして出会ったんだ。

 彼らは、疲れた顔をしていた。

 会社のことを考えれば何があったのか想像に難くないが、だからこそ彼らを見て俺は笑ってしまった。


「……俺は最低かもな」

「旭さん、行こう?」

「うん」


 彼らと出会ったとて、喋ることは何もない。

 栞奈さんが促したように歩き去ろうとしたが、隣に立つ彼女はまるで見せ付けるように腕を組んできた。

 伝わる弾力にドキッとする中、かつての同僚が声を上げた。


「お前……なんで……つうか誰だよその人」


 何も言葉を交わさず、そのまま去るつもりだった。

 でも彼からすれば俺は何も言い返さずに去った負け犬……そんな俺が、栞奈さんのような人と一緒に居るのが気に入らないんだろう。

 それに関しては元上司も同じで、こいつ気に入らないって視線を隠しもしない。


「それを――」


 答える必要はない……そう言おうとしたが、それよりも早く反応したのが栞奈さんだった。


「彼は私の大切な人、そして私も彼の大切な人です」


 そうハッキリと栞奈さんは言ってくれた。

 目を丸くした彼らはそれ以降何も言うことはなく、仮に何かを言ってきてもそれこそ今度は反応する気は一切ない。

 彼らという存在を置き去りにするように、止まっていた足を動かす。


「栞奈さん……その」

「……えっと~」


 あんな風に言ってくれてありがとうと、そう言おうとしたが栞奈さんが急に顔を赤くした。


「ごめん……勢いだったけど、恥ずかしいこと言っちゃった」

「いや……えっと」


 そして今度は、俺も彼女と同じように顔を赤くする番だった。


「でも、そう思ってるから……だからあれは私の本心だよ」

「っ……俺も同じ気持ちだ。ありがとう栞奈さん」


 俺と栞奈さんはしばらく見つめ合い、それからすぐまた歩き出す。

 その頃にはもうお互いに目を見て喋れるくらいにはいつも通りに戻っており、俺としてもある一つのことを感じていた。

 それは彼らに対する何かしらの気持ちが完全に無くなったこと……俺はもう、あの会社や彼らのことを何一つ気にしちゃいないんだってことを。


「旭さんはもう、一切気にしないで良いんだよ」

「うん……もうしてない」

「そっか……良かった」



 ▼▽



「……ふわぁ」


 眠たい……現在時刻は深夜一時だ。


「……何だかんだ疲れたのかもな」


 この時間帯になれば眠くなるのは当然だけど、あの同僚たちとの再会がやはり少しばかりカロリーを消費したのかもしれないな。

 全然気にしていないって栞奈さんにも言ったのにこれか……まあでも、本当にこの程度だから明日にはもう綺麗に忘れているかもしれない。


「にしても……モデレーターの仕事って結構大変だな」


 モデレーターの仕事……初めてだったが早速やらせてもらった。

 ずっと使い込んでいたパソコンで動画サイト“fortube”にログインし、間違ってもコメントしないように気を付けて配信を見守った。

 ただ、一度もBANをするようなことはなかった。

 際どい発言はいくつかあったものの、基本的にはラインを越えた発言であったり連投など……とにかく他人の名誉を傷つけるであろう暴言だけは見逃さないつもりだったけど、それが全くない平和なコメント欄だった。


「……これが普通だと思うんだけどなぁ」


 まあ、シトリスのメンバーに関してはまともなコメントは多い。

 他の有名な配信者……特にストリーマーとかは辛辣なコメントや暴言も多い傾向にあるし、そっち方面の視聴者が集まる特性を持った配信者だとコメント欄は本当にカオスになってしまう。

 そういう人たちとコラボをしたりするか、或いはVtuberたちが集まる大規模な大会系くらいかな? シトリスのメンバーと言えど変な視聴者は増える傾向にあるので頑張るのはその時か。


「栞奈さんは今、メンバーたちとのアフタートークかねぇ」


 今日の配信は、シトリスのメンバーが十二人も集まったコラボだった。

 正直なことを言うとモデレーターとしての仕事を疎かにしてしまいかねないほどに、栞奈さんを含め大勢でワイワイしている配信が楽しくて集中出来なかったのだ。


「これじゃあダメだな……でも、これさえも楽しいのが凄いよ」


 新たな仕事……仕事と言って良いのか疑問だけれど、栞奈さんのために何かをやれたり悩んだりすることが何より楽しい。

 もっともっと、彼女の力になりたい。

 彼女に感謝をされたいわけじゃない……それでも、ありがとうって言われたいから……そのためにこれからもしっかりと頑張って行こう。


「でも……どんな話してんのかなぁ」


 栞奈さんが演じる時刻いろはが推しだが、それ以外のメンバーのことも好きか普通かで言えば好きな方だ。

 だからこそプライベートはどんなことを話すんだろうと、こういう立場になってしまったせいで気になる……ははっ、こんな考えこそが絶対的にダメじゃないかと俺は頬を軽く叩いた。


「自我を出すなって言葉の意味がよく分かるよ」


 そう言葉を零し、俺は冷蔵庫に向かってジュースを手に取る。

 他人の家の物なのにこうして冷蔵庫を開けることも、ましてや部屋の隅々まで移動することにもはや抵抗もない……栞奈さんはそれを良い傾向だと笑っていたけど、俺もここまで受け入れるとは思わなかった。


「栞奈さんは……」


 彼女は、俺をどんな風に思ってるんだろうか。

 それが少し気になったけれど……それを聞く勇気もない俺はやはり臆病者かもしれない。


「……ふぅ! よし、栞奈さんが戻ってくるまで勉強しよう」


 考えていたことを一旦忘れ、俺は少しばかりの勉強を開始する。

 それは動画の編集に関するものであったり、どんな風にすれば視聴者の興味を惹けるサムネや内容に出来るかのものだ。

 時々だけど、栞奈さんは自分で編集した動画を投稿している。

 基本的に生配信ばかりの彼女だけどとにかく忙しい……だから何か、もっと栞奈さんが……時刻いろはの名前が広がっていく手助けをしたいと考えたのが大きい。


『一緒のことを頑張ってくれるのが本当に嬉しい……ありがと♪』


 ……ほんと、魔性の女性やで栞奈さんは。

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