あれから一週間

 早いもんであれから一週間が経過した。

 一週間もあればある程度は栞奈さんとの生活にも慣れ、朝から晩までお互い笑顔で接することが出来ていてとても充実した日々だ。

 この一週間で変わったことと言えば、本格的に栞奈さんがVtuberとしての活動を再開させて配信部屋に籠ることが増えたが、定期的にお手洗いだとか他にも理由を付けてリビングでのんびりする俺の元へ来てくれたりする。


『旭さんが寂しくないようにしたいから……でも配信中に少し、私の視線が斜め上に向くことが増えたと思うんだけど、あれって旭さんがどうしてるのかなって考えてるんだよ?』


 なんて、そんな嬉しいことを言ってくれた。

 そんな風に気遣いをされるだけでなく、普段から彼女とは仲良く一緒に過ごしている……当初も思ったけれど、自分でも驚くほどに彼女との時間が楽しくて尊いだけでなく、ここまですぐに慣れるとは思わなかった。


「……マズイなこれ」


 マズイ……そう呟いた理由の一つとしては、こうして一緒に過ごしているからこそ俺は……あぁもう誤魔化しても仕方ない。

 ぶっちゃけるけど好きになってる……好きというか気になってる。

 そう実感した時もそうだし、こうして考えていると瞬時に頬が赤くなって熱くなる……あまりに単純だし、裏表のない気持ちで接してくれる彼女に申し訳ないというか……厚意を好意だと勘違いする自分の浅はかさが心底嫌になる。


「それなら出て行った方が良い……なのにそうしない俺もまたダメだ」


 出ていくだけで良い……彼女は傍に居ることを望んでくれるけど、俺という存在が足枷になる可能性の方が絶対に高い。

 もし万が一にも……そんなことはないようにともちろん気を付けてはいるんだが、栞奈さんの活動に支障を来たす何かを俺がしてしまったらと思うと……とにかく怖い。


「でも……出ていけない理由がもう一つ」


 これは俺の思い込みだけど……怖いんだ。

 三日前に冗談半分……けれど本気の提案として彼女に問いかけたのがやはり俺は出て行こうかなというものだ。

 それを口にした時、俺を見る栞奈さんから表情が消えた。

 かつて朝早く起きた時にトイレを済ませた後に見た表情……それだけでなくガシッと肩を掴んだ栞奈さんは、こう言ったんだ。


『お願いだからそんな馬鹿げたことは言わないで――旭さんはずっとここに居るんだよ。私の隣があなたの居場所、あなたの隣が私の居場所なんだから』


 一切瞬きせず、ジッと見つめられてのそれはとにかく怖かった。

 言われていることは間違いなく嬉しいことのはずなのに、心がキュッと締め付けられるような恐怖を味わった。

 それでも結局、眼前に迫った彼女の美貌に照れてしまうまではいつも通りで情けなかったけど……とにかくそんながあって、俺はもう彼女にそういうことが言えなくなってしまった。


『ざみさん何してる~!?』

『ごめ~ん! ミスった!』

『ミスったじゃねえよ敵来てるって!!』

『ごめん言ってるじゃん!』

『なんで俺がキレられてん!?』


 最近のことを思い返していた俺だが、スマホの画面から聞こえる配信の音声につい笑みが零れる。

 時刻いろはとして活動を本格的に再開させたということで、今日は今までもやっていた他配信者とのコラボであるだ。


「……日常が戻ってきた感じがするな」


 こうして彼女の配信を見る瞬間……これもまた俺にとってその日の疲れを癒してくれる最高の時間だ。


「ははっ、思いっきり怒られてるじゃん」


 栞奈さん……結構ヤバめのポカをしてかなり怒られている。

 もちろんこれはあくまでエンタメの一部であり、ガチで怒られているわけじゃないが声がしなしなになっていた。


『もう嫌やこいつら……死ねやこらあああああああっ!!』


 あ、自棄になった……。

 でもこんな風に彼女が壊れる瞬間も時刻いろはの個性なので、コメント欄は大盛り上がりだ。

 高額のスパチャなんかもあったり、同接も一万五千人と……やっぱり凄い勢いと人気の高さだ。


「……そういや、変化はもう一つあったな」


 そうそう、もう一つあった――それは、俺が勤めていた会社が倒産の危機……というかもう倒産に近い状態になった。

 社長や副社長が脱税をしていたり、一部の上司たちもそれで……他にも数多くの問題が見つかったということで、近所だと結構な話題になっていたので俺の耳にも入った。


「……ははっ、俺って最低だよ」


 最低……そう言ったのは、俺がそのことをざまあみろと思ったからだ。

 あのクソ上司やクソ同僚はともかく、俺にとって一切の関わりがなかった普通の人さえも突然のことに驚いたはずだ。

 だからこそそんな人が居るってのに、会社が潰れることを喜ぶ俺が居た事実……俺って冷たいなと思ってしまったんだ。


『旭さんは何も気にすることはないよ。罰が下っただけ……遅かれ早かれこうなっていたはずだよ』


 栞奈さんが言ったように、いつかはああなっていたんだろう。

 果たしてあの上司や同僚はどのように過ごしているのか……これからにどんなビジョンを持っているのか……気にする必要は欠片もないのに、ちょっとだけ気になってしまう。


『……あいつらそのままこっち来るよ?』

『あれ……これって』

『あぁ……ざみさんの勝ちだ』


 どうやら、配信の方も一区切りしたらしい。

 まだ配信が終わることはないが、休憩ということでお手洗いに栞奈さんが立つ……するとどうなるか。


「旭さ~ん」

「……うっす」


 こういうことだ。

 配信部屋から出てきた彼女は、すぐさま俺の隣に座って体を伸ばすようにして解す。


「……ふふっ」


 お手洗いに行くんじゃなかったのか、なんて言う必要もない。

 俺もこの時間が好きで……隣に座る彼女が体重を掛けてくれるこの瞬間が本当に大好きなんだ。


「良い傾向だね」

「え?」

「旭さん、大分私と一緒に居たいって思ってるでしょ」

「っ……」


 沈黙は肯定……その通りだし、彼女はそう受け取ったようだ。

 栞奈さんは両手を伸ばして俺を抱きしめ、背中を優しく撫でながら耳元で囁いてくる。


「それで良いじゃん……前も言ったでしょ? もしも私があなたに出会わなかったら、私はどうなっていたか分からない……だから今の私を形作ってくれた旭さんなんだからもっと我儘になってよ――あなたが私の未来を守ってくれたのなら、あなたの未来を守るのは私の役目だもん」


 あぁ……本当に心地良くて、浸りたくなる温もりだ。


『ざみさん長くね?』

『こらっ、女の子のお手洗いに長いとか言わないの!』

『ごめんって!』

『全くもう……』


 それからすぐ、栞奈さんは配信に戻った。


「……ふぅ」


 熱い……あまりにも体が熱くなるほど照れちまった。

 たぶんだけど栞奈さんは気付いてるよな……リビングを出ていく前に明らかそんな様子があったし、本当に彼女は勘もそうだけどこちらを見通す力のようなものが凄すぎる。


『ただいま』

『おかえり~』

『誰が長いって?』

『何で知ってるぅ!?』

『聞こえてんねん』

『……マジかよ』


 そうして配信は再開された。

 ただ……やっぱこうして見ていると、配信が面白いのもそうだけどコメント欄との一体感も中々気持ち良いものがある。

 ただまあ……ちょこちょこ気持ちの悪いコメントとかがあったりするのは仕方ないけど。


「ほんと……色んな人が居るよなぁ」


 そもそも普通の人は、誰かを不快にさせるようなことをしない……これを言えば相手が傷付くと、嫌な気持ちになると理性が邪魔するからだ。

 よく自分が嫌なことを相手にするなという言葉があるけれど、本当にその通りだと思う……でもそういったものは決して無くならない……こればっかりは、配信者とか有名な人はずっと付き合っていかなくちゃならない宿命なんだ。

 ま、よく有名税だから我慢しろだなんてアホなことを言うカスも居るけどさ。


「……よしっと」


 配信をバックに流したまま、俺はSNSを開いた。

 最近の日課として一日に一回、日記のように起きたことを一言に纏めて投稿している。

 誰も見ることがないし、栞奈さんもこのアカウントを知らない。


“今日はご飯が美味しかった。特にハンバーグ! 中に入っていたチーズが絶妙に美味かった!”


 栞奈さんが作ってくれたチーズハンバーグは本当に美味しくて、ずっと美味い美味いって言いながら食べていた。

 これまでに何度も投稿しているけど、反応は一切ない。

 でもこれで良い……ちゃんと彼女に伝える言葉とは別に、文字に残せる楽しさを味わうのも悪くない。


「さてと、それじゃあまた配信を見守りますかね」


 そうして再び、時刻いろはの配信へと戻るのだった。

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