同棲のお誘い
「……暇だなマジで」
自慢じゃないが、今まで俺は健康的に過ごしていた。
重たい病気も怪我もしたことがない……だから入院というものには無縁だったせいで、こうしてベッドの上でずっと過ごすというのは慣れない。
「八女さん来るって言ってたけど……流石にないよなぁ」
八女さんというか、あのゴンザレスさんなので来てくれるとは思うけどそのせいで昨晩満足に寝られなかった俺はガキだ……ふぅ。
「……………」
ふと、俺はスマホを手にSNSを開く。
検索欄に打ち込むのは……って、トレンドに時刻いろはが入ってるじゃんなんで……?
調べるために最新にしてコメントを読んでいく。
『最近、ざみさん配信ないじゃん……どうしたんだろう』
『公式もざみさんのアカウントも何も言わないもんな』
『今までこんなに長く配信しなかったことあるっけ』
『アーカイブ見ながら大人しく待つか』
『シトリスのメンバー誰も触れてないもんな』
そこには時刻いろはを心配する声が多数あった。
ちなみに“ざみさん”というのは愛称みたいなもので、シトリスというのは彼女が所属する会社の名前である。
(……しっかし、時刻いろはの名前と八女さんの名前……俺はどっちも知っているからか変な気持ちだな)
それからもしばらく、SNSを眺め続けていたらちょうど時刻いろはのアカウントで呟きがあった。
『しばらく配信してなくてごめん、ちょっとプライベートが忙しくて時間が取れなかった!』
それは彼女にとって一週間ぶりの呟きだった。
「アイコンと合ってるなぁ」
彼女のアイコンはキャラクターとしての姿だ。
Vtuberには色んな外見があるけれど、人間であったり動物のような一部を体に持っていたり、そもそも動物だったり平面のイラストのような姿だったりと様々だ。
時刻いろはの外見は、見た目は高校生くらいでスタイルが良い。
流石Vの体ということでとにかく可愛く、そして美人でファンアートなんかもかなり多いし、彼女の人気を表すかのようにシチュエーションボイスを筆頭にグッズの売れ行きが凄まじいのも有名な話……まあシトリスのメンバーたちはみんな凄いんだけどさ
「……?」
コンコンとノックがされ、昨日聞いた声が鼓膜を震わす。
「あ、どうぞ!」
あ、声が裏返った……。
若干外から笑い声が聞こえたような気がして恥ずかしくなったが、失礼しますと言って八女さんが入ってきた。
昨日と違うのは服装くらいなもので、カジュアルな服装がとても可愛かった。
「昨日ぶりですね友川さん」
「あ、はい……どうもです」
「さっき声が裏返ってましたし、今の様子を見ると……もしかして私が来るわけないとか思ってました?」
「……………」
「図星ですかぁ……うぅ酷い!」
笑顔から思案する顔となり、一転して泣き顔を浮かべる八女さん。
コロコロと変わる表情はもちろんだが、やはりどんな表情でも似合うその端正な顔立ちにドキッとさせられる。
頬が熱くなってしまい、それで揶揄われるのが恥ずかしいと思った俺は僅かな抵抗に出ることに。
「っ……」
お腹を抑えて痛いとアピール……だが、俺はそれがすぐに悪手だと気付いた……だってそうだろう?
流石にこれは悪趣味というか、相手の心配を利用する手段だからだ。
「大丈夫ですか!?」
「……えっと、ごめん八女さん。この誤魔化し方は流石に酷いと思ったから無しにしてもらって」
「……え?」
ポカンとした八女さんは、すぐに理解したのか頬を膨らませた。
「もう! すっごく心配したのに!」
「あ、あの……マジでごめん!」
勢いよく頭を下げ、本当にごめんなさいと伝える。
正直なことを言えば若干今の動きで腹が痛みを訴えたものの、この痛みは俺に対する罰だと甘んじて受け入れよう……痛い!
「……はぁ、許しますよ。他でもないあなたのことですし、私が許さないわけ……というか悪く思うわけないじゃないですか」
「八女さん……天使かな?」
「っ……私が天使なら友川さんは神様です」
「え?」
「私を……導いてくれた人だから」
俺……いつの間にか神様になってたのか……ってなわけあるかい!
八女さんは椅子をベッドの近くに置き、買ってきてくれたのかリンゴとナイフを手に取った。
「リンゴ、剥いてあげますね」
「あ、うん……良いんですか?」
「はい、これで要らないって言われたら流石にどうしようってなりましたけど」
いやいや、そんなこと言わないって絶対に!
(女性からリンゴを剥いてもらう……? そんなの家族以外にあり得るんですかね……あ、今目の前にあり得てるわ)
八女さんは、慣れた手付きでリンゴを剥いていく。
俺はその間一切言葉を挟むことは出来ず、ただリンゴの皮が剥かれていくのを見つめていた。
そして、ついにその時がやってきた。
「はい、あ~んしてください」
「……え!?」
「? 食べさせてあげますよ」
「あぁいや……あの……」
「わざわざこのようなことで体を動かすこともないでしょう。ですのでここは大人しく……ほら」
フォークに刺さったリンゴが落ちないように、空いている手を皿にするような姿勢で八女さんは近付く。
ニコッと微笑むその仕草に、俺は照れながらも……そっと顔を近付けてパクッとリンゴを頂いた――溢れる果汁と、シャキシャキとした触感を楽しむ俺……そんな俺を八女さんはそっと見守り続けている。
「めっちゃ美味しいです」
「それは良かった♪」
それからずっと、リンゴを食べさせてもらった。
そんな夢のような時間も一つのリンゴを食べて終わりを迎え、改めて俺と八女さんは向き合った。
「そういえば、さっき呟いてましたね」
「あぁ……見てたんですね。流石にあんなことがありましたので、他のメンバーのリツイートさえしていませんでした。もちろんメンバーたちはみんな知っているんですけど……その、流石にこのような事件があったことを知らせるのは難しいので」
「あ~……」
確かに……って俺にはよく分からんけど、少なくともそれを知らせることで何かマイナスなことが発生することもゼロではないからか。
まあ、思う部分はあるけどそこは俺が何かを言える立場じゃない。
「俺としては、あなたがまた配信をしてくれることは嬉しいです。やっぱり時刻いろはが配信してくれるのが一番の良薬ですからね!」
「友川さん……はい! ありがとうございます!」
あぁ……こうして間近で見る誰かの笑顔って良いもんだな。
「どうしました?」
「……間近で見る誰かの笑顔って素敵だなとそう思ってました」
「……やっぱり優しいですねあなたの言葉は」
それからも、俺たちは昼までずっと喋り続けた。
というか……自分でも不思議なほどに言葉が弾むのは、ゴンザレスとしての彼女と長い間やり取りをしていたせいだ。
この二年に近いやり取りは、もしかしたら家族以上の親しみやすさを彼女に感じているのかもしれない。
「それでもう引っ越しをする場所とかは決めてるんですね」
「はい。同じマンションにメンバーが二人ほど居るんですけど、しばらくは安心出来るだろうってことで」
「なるほど……」
マンションか……俺が住んでるアパートとは違う良い場所なんだろう。
セキュリティもしっかりしてて知り合いも傍に居て、今回のことを忘れられるほどの心休まる場所であるならそれが一番だ。
「良いですね……それでどうか、心が休まれば」
「はい」
「ってなると、俺も色々と考えないとなぁ」
「え?」
「あ……」
っとと、つい言葉が漏れてしまった。
咄嗟に口を抑えたが、こういうリアクションをしてしまったら何かあると言っているようなものじゃないか……。
「何を考えるんですか?」
「いえ……えっと、これからのことというか……」
「……………」
八女さんは、そっと俺の手を取りこう言った。
「私は、何度も何度もあなたに助けてもらいました。今回のことも同じことです……ですからどうか、私にも相談をしてくれませんか?」
「相談……?」
「そうです。話を聞くだけでも、何か道標になるはずですよ」
「それって……」
話を聞くだけでも何か道標になる……そう言ったのはかつての俺で、今正に八女さんに同じことを言われたわけだ。
なら……相談というか、話を聞いてもらうだけなら良いかもな。
「実は俺、ずっとやってた仕事を辞めたんです」
「仕事を?」
「はい……それで、色々とこれからのことを考えないといけなくて」
「……………」
退院した時からが一番大変だ。
一旦……そうだな……事情を説明して、両親の元に少しばかりお世話になるのも良いかもしれない。
流石に長くニート期間を過ごすわけにもいかんし、何か――。
「でしたら!」
「っ!!」
ドンと、俺の肩に八女さんが手を置いた。
その彼女の目に、俺は僅かな恐怖を抱く……彼女はこんな目をしていただろうかと。
だがそれも一瞬のこと、彼女は……まさかの提案をするのだった。
「私と一緒に住みましょう」
「……うん?」
……………?
どうやら俺は、頭がおかしくなったのかもしれない。
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