10話、静かな戦い
ブリジットが意識を取り戻してから、小一時間ほどが過ぎた頃。
「はあ、はあ……、王女様、お待たせして申し訳ございません」
息を切らせた侍女に付き添われ、宮廷医殿がようやく姿を現しました。けれどその顔は青ざめていて、額には脂汗が浮かび、どこか焦燥感を漂わせているようにも見えます。一体何があったのでしょうか?
「し、いえ、王女様、これは一体どういうことですか!」
し? 醜女様と言いたいのですか?
貴方もですか、本当に残念です。
宮廷医殿は、来るや挨拶の一つもなく、寝台の側に転がるポーションの瓶を見て声を震わせました。どうやらその視線の先には、煌めくクリスタルの空瓶が。そう、あの。棚の奥に大事そうにしまわれていた上級ポーションの空瓶が転がっています。
私はその空瓶を静かに見つめながら、ゆっくりと答えました。
「これですか? ブリジットに飲ませましたよ」と。
可愛い侍女を救えたのだから、何ら悪びれる必要もなく、むしろ、瞳に揺るぎない誇りを宿らせるように堂々と答えました。
ブリジットを救えたんですよ? 頑張って駆けた甲斐があったじゃない。
今は少し、自分が誇らしいの。褒めてあげたいくらい。
「しかし、これは王族専用の……」
私の言葉に、宮廷医殿は言葉を詰まらせているようです。
その顔には、動揺の色がありありと浮かんでいました。
王族専用ということは、王代理である叔父上に無断で使ったことが問題になるのでしょうか? それとも、王家に連なる者以外へ使用してはいけない、何か特別な決まり事でもあったのでしょうか……。
ルナエレーナは、少しの間思案を重ねました。
そうして、一つの答えを導き出します。
「ですが、ブリジットの命が危なかったのです。もし、これが王族専用の物なら問題はないのではありませんか? 私は王女のはずです」
ルナエレーナの言葉は、凛として揺るぎません。
王族である彼女が、自らの判断でポーションを使ったことに問題はない筈です。用法用量を知らぬが故に量を誤っただけで、誰が彼女を咎められますか。
宮廷医は一瞬その正論にたじろぎ、言葉を失いかける。しかし、彼の表情はすぐに複雑な感情が入り混じった、なんとも言えないものへと変化して行きます。
事はそんな単純な事では無いのかもしれません。
「……っ、王女様といえども、王代理である陛下の許可なく、このような貴重なポーションを使うことは許されません。ましてや、侍女ごときのために……」
宮廷医は、意を決したように声を張り上げました。
けれど、その言葉にはどこか虚勢が混じるようで、視線は落ち着きなく揺れています。そんな様子に、ルナエレーナは何かを悟ったようでした。
「宮廷医殿? あなたはブリジットが瀕死の状態だった時、どこにいらしたのですか? それに彼女はただの侍女ではありませんよ? 王女付き侍女です。たった一人の……、この意味おわかりですか?」
侍女如き……、このいらぬ一言が自分を追い詰める事になるとは……。
彼も、夢にも思わなかったでしょうね。
王女ルナエレーナの専属侍女として献身的に仕える、たった一人のブリジット。
その立場は、王女付き侍女の筆頭侍女と言っても過言ではないのです。そんなブリジットを侮辱するとは、主人であるルナエレーナを侮辱するも同然。
宮廷医たる人物が、そんな礼節すら弁えていない筈がありません。なら、この言葉はどういう意味を持って吐かれたのか。
応えは簡単。
この言葉の裏には、常日ごろ二人を蔑み、侮る本性が透けて見えてしまったのでしょう。そんな彼にルナエレーナの言葉は、氷のように冷たく続きます。
「そ、それは…」
宮廷医は言葉を詰まらせてしまう。
ルナエレーナがあの事故より以降、俄かに放ち始めた王家の威光に、その輝きに。
額から脂汗が滲み出るようです。
「あなたは、王宮に仕える者として自らの職務を果たしていません。その上、今になって責任を私に転嫁しようとしています。そのような者が、ポーションについてとやかく言う資格があるのですか?」
宮廷医はルナエレーナの言葉に返す言葉もない様子。
ここまで言われてしまっては、もう、ただただ頭を下げるしかなかった。
職務を放棄していたのは、紛れもない事実なのだから。
「申し訳ございません、王女様。私の不徳の致すところです」
その声は、か細く震えていて、 ルナエレーナは宮廷医の情けない様子にふぅと小さく溜息をつきました。
「ブリジットは、詳しくは説明できませんが、私のために命を懸けてくれたのです。あなたには、その重みがわかりますか?」
自らの愚かさを深く反省し、二度とこのようなことがないようにと願いを込めて、言葉を紡ぐルナエレーナ。これを機に彼が変わりますようにと想いを込めて。
「今後は、職務を全うすることを誓います。そして、ブリジット殿の治療にも全力を尽くさせていただきます」
宮廷医は、ルナエレーナに深々と頭を下げた。
そんな彼の姿を見て、彼女は信じてみたくなったのか、静かに頷いて後事を託すことにした。
「では、ブリジットの事お願い致しますね」
「はっ、お任せください」
ルナエレーナはブリジットの側へと近づくと、彼女の髪を優しく撫でながらも皆に聞こえるように、そして自分に言い聞かせるように言いました。
「ブリジット、もう大丈夫よ。これからは私があなたを守るから」
王国一の醜女と蔑まれ続けた王女様は、実は世界で一番美しい、前世は偉大な大聖女様でした 神崎水花 @MinawaKanzaki
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