9話、ルーナお姉ちゃん

「どれがいいのかしら」

 ポーション庫の扉を開いて、色とりどりのポーションが並ぶ様子に戸惑うルナエレーナ。知識として緑色のものが良いと知っていた彼女は、その中の薄緑色の液体が封入された瓶を一本手に取って見つめる。そして、瓶に貼られたラベルを見て一人呟くのです。


初級ポーションMinor Healing Potね……」

 この色、子供の頃に怪我をして、飲まされた覚えがあるわ。

 怪我をした私を心配するお父様を思い出して、ルナエレーナの胸は一瞬温かくなる。けれど、今はそんなことを思い出している場合じゃない。ブリジットの傷は、子供の時分に負ったかすり傷とは比べ物にならないほど深いのだから。


 思い出の色と同じ色を避けて、見るからに色の濃い瓶を手に取ってみると、どうやらこれは中級ポーションModerate Healing Potのよう。

 中級ですか……、うーん。これも、ちょっと違う気がします。

 落胆しつつあっても、ルナエレーナの瞳は、上棚の奥で何かがキラリと光ったのを見逃しませんでした。


 あの奥にあるビンは何かしら?


 上棚の奥に大事そうにしまわれている、ひときわ輝くクリスタルの瓶。その存在感に期待が高まるのも無理はありません。だって、見るからに凄そうなんですもの!

 ルナエレーナはまるで宝物に触れるかのように、瓶をそっと取り出します。

 透き通るクリスタルを通して見える、緑色の液体が神秘的な光を放っていて、ラベルに書かれた『上級ポーションGreater Healing Pot』の文字に、思わず大喜び。


「こ、これよ。ブリジット!」

 と、歓喜の声で、可愛い侍女の名を叫ぶルナエレーナがそこにいました。


 奥に隠されていた、ひときわ値段が張りそうなこのポーションは、重臣もしくは王国にとって大事な家臣や、叔父上を含めた家族用にと保管されている貴重なものでした。それを知らないルナエレーナは、迷わずにそれを手に取ってブリジットの元へと急ぐのです。

 もし、彼女がそれを知っていたとしても結果は変わらないでしょうね。

 可愛い侍女の命を救うためならば、たとえそれが王家の宝であろうと、ためらうことなく使うに違いありません。


 ルナエレーナは、侍女が待つ寝台の傍まで戻ると、ブリジットの上半身を優しく抱き上げ、上級ポーションの瓶口を口元へと運んでいく。

「ブリジット、これを飲んで頂戴」

 呼びかけるルナエレーナの優しい声は、緊張で微かに震えているようでした。

 どうか効きますように。

 どうか飲んでくれますように。

 願いが叶わなかったときの恐怖に、震えているのでしょうか。

 

「ブリジット頑張って」

 意識が朦朧とするブリジットに、ルナエレーナは優しく声をかけるのです。

 何度も何度も。

 そうして開かれた僅かな隙間に、輝くポーションをゆっくりと流し込んでいく。万感の思いを込めて。それは、まるで命の光を注ぎ込んでいくかのように。


 飲ませた瞬間、青ざめていたブリジットの顔色が、わずかに赤みを帯びはじめます。浅かった呼吸も、少しずつ深くなっていく。

「ブリジット! よかった……よかったぁ……」

 良くなっていく様子に、ルナエレーナの目から安堵の涙が溢れて止まりません。

「もう、心配させないでちょうだいね……」

 ルナエレーナは、ブリジットの頬を優しく撫でると、予備で持ってきた中級ポーションを取り出して、傷口に丁寧に塗布していく。その手つきは、まるで姉が妹を慈しむように、温かいものでした。


 ◇◇


 ポーションを与えてから幾許かの時が過ぎ、ブリジットはゆっくりと目を開ける。

 ルナエレーナは、安堵の表情を浮かべながらも、優しく彼女を諫めます。

「助けてくれるのは嬉しいですが、今回は無茶が過ぎますよ? ブリジット」

 これは、偽らざる彼女ルナエレーナの本音の言葉。

 たとえ鋭利な彫像があの場に無くても、あの男が、フーゴがブリジットを切ることだってあり得たのだから。頭に血を登らせた男の前に、丸腰で立つなど、あまにも危険な行為でした。


「はい。でも、ご無事で……よかったです……」

 ブリジットは、それに少し弱々しい声で答える。


 ルナエレーナは、意識を取り戻したブリジットの傍らにゆっくりと座ると、目が覚めたばかりのブリジットに申し訳ないと思いつつも、疑問を口に出してしまう。

「ブリジット。ねえどうして、私にそこまでしてくれる……の?」

 なぜ、ブリジットは命懸けで自分を守ろうとしたのか。

 どうしてそこまでしてくれるのか、聞いてみたかった。

 皆が平然と私を蔑む中、彼女だけが常に優しかったのはなぜ?


「私の昔ばなしを、少しだけ聞いてくださいますか?」

 ブリジットは、静かに語り始める。

「ええ、聞かせて頂戴」

 ルナエレーナは、ブリジットの手を握りながら、静かに耳を傾けた。


「私の両親は、私が幼い頃に亡くなってしまいました。町の衛兵が言うには、物取りか敵対していた商家による犯行だそうで……、父は、商家を営んでおりましたから」

 亡くなった両親の事を話すブリジットの声は少し震えていて、ルナエレーナも、ただ優しくブリジットの頭を撫でることしか出来ませんでした。


「親がいない子供は、どうなるかご存知ですか?」

 ルナエレーナは、ブリジットの手を握りながら答える。

「親戚の方に引き取られるとか……」

 望む答えではなかったのでしょう。ブリジットは、静かに首を振ります。

「孤児院?」

「ええ、そうです」


「私は孤児みなしごじゃない! 貴方達と私は違う。両親の死を受け入れる事が出来ない私は、扱い辛い子供だったと思います。世を拗ねた、実に嫌らしい子だったと……。そんな私に、私たちに毎月毎月美味しいクッキーを届けて、抱きしめてくださる方がいたのです」

「ブリジット……」

「その方は、自身の御父上が亡くなっても。自分が苦しくても、毎月来てくださいました」


「ルーナお姉ちゃん、ありがとう。ずっと言いたかったんです」

 ルーナお姉ちゃん……。

 お父様に連れられて孤児院に訪問してからしばらく、子供達が私を呼ぶときの名がそれでした。なぜなら、お父様が私の事を『ルーナ』と呼ぶから。

 慌てて諫めようとする孤児院の院長様をお父様が『よいよい、子供が申す事』と止めてくださった事を、今でもはっきり覚えています。


 貴女はあの時にいた子供だったのね……。

 私を慕って、ここまで登ってきてくれたの?

 ルナエレーナの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。堰を切ったように、抑えきれない感情が溢れ出す。

 

「ブリジット、こんな目に合わせてごめんなさい。傷まで残ってしまって」

「お気になさらないで下さい。ルーナお姉ちゃんを守れたのだから、これは私の勲章なのです。あの時の皆も褒めてくれるはずですから」

 孤児院で出会った幼かった少女は、彼女のたった一人の侍女となって、逆にルナエレーナの涙を拭いながら、笑顔を見せている。

 その笑顔はルナエレーナにとって、何よりも尊いものに見えた。

 守るべき存在、守っていかなければならない存在。ルナエレーナは、ブリジットを抱きしめ改めて心に誓う。何があってもこの笑顔を守っていくと。


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神崎水花です。

私の3作品目『醜女の前世は大聖女(略)』をお読み下さり、本当にありがとうございます。

少しでも面白い、頑張ってるなと感じていただけましたら、★やフォローにコメントなど、足跡を残してくださると嬉しいです。私にとって、皆様が思うよりも大きな『励み』になっています。どうか応援よろしくお願いいたします。

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