6話、ここは悪意の宮

 孤児院から続く石畳の道を抜け、王宮へ至る壮麗そうれいな門をくぐると、広々としたアプローチへと続く道に出るのだけど、ここは馬車が頻繁ひんぱんに通るため危険でもある。二人は邪魔にならないようそっと道の端に寄って、王宮の入口を目指して歩いていました。

 二人が歩む先には、馬車の乗降場を兼ねた広いアプローチがあって、そばには荘厳そうごんな白い王宮がそびえるように立っています。


 それは、二人にとっては悪意の宮。

 嘲笑ちょうしょう憫笑びんしょうに黒く染まった、いわれなき侮蔑ぶべつが飛び交う宮殿でした。


 白亜の壁に荘厳な柱が並び、それらを飾るきらびやかな装飾そうしょくの数々。

 どれもこれも、先代の父王が治めていた頃と何も変わってはいません。けれど、建物から漂う空気は、主が変わったと言うだけでまとう雰囲気を一変させてしまいました。

 

 アプローチに差し掛かろうとした時、ルナエレーナは嫌な気配を感じ取ります。

 目を向けると、各々の家の馬車を待つ貴族の子弟たちが、談笑しながらこちらを見ているではありませんか。その視線は、好奇心や好意ではなく、あからさまな軽蔑と嘲笑に満ちたものでした。

 その視線を知ったルナエレーナは、朝から続いた楽しい時間が、子供たちの無垢な笑顔で満たされた幸せ一杯の心が、突如終わりを向かえた事を悟ります。侮蔑の眼で彼女らを見つめるのは、彼女を蔑む叔父上の派閥の者たちだったから……。


 王国に名を連ねる沢山の貴族家の中でも、ルナエレーナがとりわけ苦手とする者が数名おりました。叔父上は当然として、彼の息子であり、彼女にとって従兄にあたるドミトリー・マクシミリアン・レ・ユニオン。そんな彼らの側にはべる、特に近しい家の者たちがそれにあたります。

 叔父上と、その長子であるドミトリーの権威を笠に着て増長し、人をあざけることに罪の意識すら持ち合わせていない彼らの存在は、ルナエレーナにとって憂鬱ゆううつ以外の何物でもありません。


「これはこれは。孤児院帰りのお姫様じゃないか」

 声の主は、ヴァイセンベルク侯爵家の子息クラウス殿です。ドミトリー殿の筆頭腰巾着と言ってよい彼は、痩せ型で背が高くて、鋭い目つきと薄い唇が特徴の嫌な男。常に整えた髪と高価な衣服が自慢の、貴族としての威厳をはき違えた悲しい人です。

 

きたならしくおぞましい同士、お似合いですな」

 嘲笑と嘲りの言葉は、私にとってある意味聞き慣れたものでした。

 でも、よりにもよって、先ほどまで満面の笑みで私たちを癒してくれた、あの子たちを馬鹿にするなんて。彼の言葉に憤った私は肩を震わせて反論します。

「可愛い子供たちに、なんて事を言うの」

「ふん。そういえば我らが姫様、いえ、鉄の処女アイアンメイデン様は婚約を破棄されたそうですなぁ」

「……っ」

「孤児院などより、国の事を少しはお考えいただきたいものです」

 

 私を蔑む方々がよく使う悪口の中で、どうしても許せないのが、この『鉄の処女様アイアンメイデン』でした。醜女である私は、生涯嫁の貰い手はないのでしょうね。

『あんな女を抱ける男がいるかよ』

『ずっと生娘のままに決まっている』

 そういうの裏に隠された、悪質な裏の真意が大嫌い。

 鉄の処女アイアンメイデンという、鉄製の棺のような形をして、内側に釘がびっしりと打ち付けられた拷問具があるのを知っていますか?

 彼らは、私をソレ拷問具と同じだと言うのです。

 私を妻に迎えるのは……、抱くのは……拷問と言いたいのでしょうね。


 余りにもひどい侮蔑の言葉に、私は言葉を返す事ができませんでした。

 私は、貴方達に何かしましたか?

 ただ、慎ましく暮らしているだけではありませんか。

 そう、心で泣いていると。

 クラウス殿の隣に立つ男が言い放つのです。身の毛もよだつ言葉を……。


「クラウス様、そうは言いますが、醜女様は体だけは良いモノをお持ちです。 なんなら俺が抱いてやろうか? なぁ? 顔を隠せばいけるだろ」

 男はニヤリと笑い、話の途中にその卑猥な視線を私へ向け始めます。

 男の言葉は、鋭利な毒牙のように私の心を深く突き刺し、それを聞いてしまった私の顔は、まるで石膏のように表情を失ってしまう。目は虚ろで焦点はあわず、魂が抜けてしまったかのようにただ呆然と立ち尽くしてしまいました。


『醜女』『体だけ』『「抱く』『顔はいらない?』

 彼の心ない言葉の断片が、私の中で無数にリフレインされて、そのたびに心が切り裂かれたように悲鳴を上げ、耐え難い痛みが私を襲います。


 男の視線が、私の身体を舐めまわすように這っていく。胸の谷間からくびれた腰回りへ、そして……。その視線は、まるで獲物を品定めする獣のようでした。

「醜女様だって、たまには男の温もりを感じたかったりするんだろう? なあ?」

 哀れな男のその台詞を聞いた瞬間、思えばこれが私の転機だったのかもしれません。

 傷つき、心の中で涙を流すばかりだったルナエレーナは、何処かへと消えてしまったように、私の心は落ち着きを取り戻しました。

 私だって人ですから、傷つき、悲しみはします。

 でも、何だか嘘のように心が平静なのです。


 貴族たる資格すら持ちえない、可哀そうな男が私へと近づいてきます。

 私は、ゆっくりと顔を上げて、男を見つめて言いました。

「私は、確かに醜女かもしれません。でも私には心があり、意志があるのです」

 私の瞳に、もはや虚ろな光はありません。

 そこには静かに燃ゆる、力強い決意が宿るのみです。


「貴方が私の誇りを踏みにじるというのなら、私にも覚悟があります」

 私は決意と共に、剣の柄へと手をやります。

 貴族の子弟相手に私が剣を抜いた事が知れれば、叔父上やドミトリー殿のそしりは免れないでしょう。大変な罰が待っているかもしれませんね。

 それでも構いません。私は今日、悟ったのです。

 純然たる悪意には、立ち向かわねばならない事を。

 そして、来る日も来る日も孤独のなか学び、魔法の練習に明け暮れ、剣を振り続けたのはこの日の為だったと。


 お父様、セラヴィー様。

 私は、私と私の愛する者を踏みにじろうとする者を許しません。

 戦ってみせます。どうか私をお見守りください。


 もし、もしも……。

 私が死んでしまったら、お父様その時はまた可愛がってくださいね。

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