5話、望む日常
「ブリジット、もう少しバターを入れてもいいと思う?」
ルナエレーナは、白いエプロン姿で厨房に立つと、大きなボウルに入ったクッキー生地をリズミカルに練りながら、ブリジットに尋ねた。
幾重にも巻かれた白い布が、彼女の顔を覆い隠してはいるけれど、布の下では白銀の髪がリズム良く揺れていて、時おり聞こえて来る小さい歌声はとても明るくて楽しそう。
彼女がいま、幸せを感じていることがありありと伝わってくる。
「はい! きっと美味しくなると思います」
ブリジットもまた、彼女と同じ柄のエプロンを身につけて、慣れた手つきで石窯に火を入れていく。パチパチと火が爆ぜる、小気味の良い音が響いて何だか心地いい。
今日は月に一度の大切な日で、待ちに待った孤児院への訪問日。
ルナエレーナとブリジットは、朝早くから厨房に立って、二人で一生懸命クッキー作りに励んでいた。王宮で出される料理やデザートの数々は、王宮に勤める料理人たちが用意してくれるけど、これは別。子供たちの喜ぶ顔を思い浮かべながら、二人は心を込めてクッキーを焼き続けるのです。
「王女様、生地はそれが最後ですか?」
ブリジットが、ルナエレーナの様子を伺いながら進捗を尋ねる。
「ええ、そうよ。最後の生地もあと少しで完成ね」
ルナエレーナは、慣れた手つきで生地をこねながら、クッキー作りとブリジットとの会話の両方を楽しんでいた。二人の間には、忙しいながらも厳しくない、穏やかで充実した空気でが流れている。
「寝かせ終えた生地を、窯に入れて行きますね」
ブリジットが、石窯の温度を確認しながら提案する。
「ええ、お願い。いい焼き加減になりますように」
ルナエレーナは額に汗を浮かべながら、期待を込めてブリジットに微笑みかける。
美味しいクッキーが出来ますようにと、二人の心は一つになって厨房を甘い香りで満たしていった。
──王宮から続く石畳の道を、ルナエレーナとブリジットは二人歩いている。
二人が両手一杯に抱えるバスケットからは、焼きたてのクッキーの甘い香りがふんわりと漂っていて、とっても美味しそう。そう、これは二人が朝早くから準備していた、孤児院の子供たちへの、月に一度のお楽しみのプレゼントなのです。
本来であれば、王女であるルナエレーナは馬車を使うこともできるのだけれど、今回は違います。顔を隠して、名前も偽っての訪問ですから。
それにルナエレーナは、蔑まれる己の立場から、私用で馬車を使うことに少し気が引けていたのかもしれません。だから二人は今日も、いつものように、自分の足で孤児院へと向かうのです。
孤児院に着くと、大勢の子供たちが歓声を上げて駆け寄り、あっという間にルナエレーナとブリジットの二人は、子供たちに包まれてしまいました。
「ルナ様!」
「ブリジットお姉ちゃん!」
子供たちは、ルナエレーナを『ルナ様』、ブリジットを『ブリジットお姉ちゃん』と呼ぶのですが、これはブリジットが
「クッキー焼けた?」
「絵本読んでくれる?」
「一緒に遊んで!」
子供たちは目を輝かせて満面の笑みで二人を呼び、その小さな手は、ルナエレーナのスカートの裾やブリジットの袖を掴んで話しません。子供たちの無邪気な声と、熱烈な歓迎ぶりに、二人は思わず頬を緩ませるのです。
「みんな、今日も一杯クッキーを焼いてきたから沢山食べてね」
二人がバスケットを開けると、子供たちは歓声を上げ大喜び。
沢山の型を使ったであろう、可愛くも愉快な形のクッキーの数々は、子供達にはまるで宝石箱のように見えるのかもしれません。
「わぁ! きれ~い!」
「いただきま~す」
子供たちは我先にとクッキーを手に取り、大きな口を開けて頬張っていきます。
「おいしい!」
「ルナ様、おいしいよ」
「もっと食べたい!」
「おかわり!」
「はいはい、まだありますよ~」
美味しいクッキーをお腹一杯に食べたら、ルナエレーナは子供たちを膝に乗せたり、隣に座らせたりして、優しく絵本を読み聞かせます。見ればブリジットは、元気な男の子たちを相手に走り回っていました。
これが二人が望む本当の日常なのでしょう。
◇◇
──孤児院を後にしたルナエレーナとブリジットは、夕暮れ時の街並みをゆっくりと王宮へ向けて歩いています。行きとは違って、すっかり軽くなったバスケットが二人の足取りを弾ませ、子供たちが見せた無邪気な笑顔や、クッキーを頬張り『美味しい!』と目を輝かせる姿が二人の心に温かい光を灯すようでした。
「楽しい時間はあっという間ですね」
ブリジットは名残惜しそうに呟きます。
その横顔には、子供たちへの愛情が溢れているよう。
「本当に。来月が待ち遠しいわ」
ルナエレーナも、子供たちの笑顔を思い出しながら答えたのでしょう。その声は何とも優し気で、布で隠された顔は表情を伺い知る事はできないけれど、きっと満面の笑みを浮かべていたに違いないのです。
「王、っ、ルナ様の手作りクッキーは、
うっかり『王女様』と言ってしまいそうになるも慌てて『ルナ様』と言い直し、ルナエレーナのクッキー作りの腕前を褒めるブリジット。
「ふふ、ブリジットったら。でも私、クッキーしか作れないのよ? 知ってるでしょ?」
ルナエレーナは、謙遜しながらも嬉しそうに笑いながら、そっとブリジットに小さな包みを手渡しました。包みからは、焼きたてのクッキーの甘い香りが漂います。
「ブリジット、これどうぞ」
「ルナ様……これは」
「クッキーの御裾分けよ。夜一人になった時にでも食べて?」
ルナエレーナは、照れくさそうに視線をそらし。
ブリジットは、包みを大切に胸に抱きしめ道を歩みます。
この穏やかで幸せな時間がいつまでも続きますように……。
この二人を良く知る者であれば誰しも願う事でしょう。
でも現実は無慈悲で容赦がなかった。
なぜなら二人が向かう先は、彼女らにとっては『悪意の宮』なのだから。
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神崎水花です。
私の3作品目『醜女の前世は大聖女(略)』をお読み下さり、本当にありがとうございます。
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