2話、大聖女様

 爽やかな風がカーテンを揺らして、穏やかな木漏れ日が部屋へと差し込む。

 気持ちの良い朝の訪れに、ルナエレーナはゆっくりと目を開いて、ベッドから起き上がる。そして鏡の前へ立つと今日もまた、大きく息を吐いてしまうのです。

 そこには王国一の醜女しこめさげすまれる、彼女自身の姿があったから。

 

 鏡にうつる自分は、今日も変わらずみにくかった。

 みにくく歪んだ顔につぶれた鼻、肌はただれていて瞳はにごっているけれど、ルナエレーナは知っている。彼女と、今は亡き父王だけが知っている。

 鏡に醜く映る、この潰れた鼻に恐る恐る手で触れてみると、そこに滑らかな鼻筋があることを。化け物のように爛れたはずの肌にそっと触れると、そこには瑞々しく滑らかな肌の感触がある事を。

 

 呪いと言う名の幻影。

 見た目に惑わされる事無く。ただ娘を愛し、よく抱きしめ、撫でて可愛がってくれた父だからこそ、この幻影に気づいてくれた。

 

 では、ルナエレーナわたしは何にうれうのか。

 この劣悪で醜悪しゅうあくなる己のさまに憂うのでしょうか?

 いいえ、ルナエレーナわたしはそんな女性ではありません。

 見た目でしか人を判断しない方々に憂い、悲しむのです。

 平気で人を傷つける、心無い人たちになげくのです。

 そして、今日もまた、解けていない幻影にほんの少しの涙を流すの……。

 誰だって、偽りの姿よりは本当の姿の方がいいに決まってるから……。

 

「ルナエレーナ様、おはようございます」

 朝食に訪れた私に、執事が声をかける。

「おはようございます」

 普通の令嬢であれば、ここでさわやかに、ほがらかに微笑ほほえむのでしょうね。

 でも私は笑いません。この醜い顔で微笑むと、皆が怖がってしまいますから……。


 広いテーブルにただ一人で座り、冷めたスープを口へと運んで、瑞々しさの失われ始めた少ししなびたサラダを頂く私。叔父上は私と食べる事を望まないから、私がいると、食欲が失せてしまうそうだから。だから食事はいつも私一人。

 

「ルナエレーナ様、何かお気に召さないものでも?」

 執事が心配そうに尋ねるてくれるけど、私はただ首を横に振るだけでした。

 味や、材料じゃないの。

 一人で食べるのが、美味しくないだけだから。

 

 一人寂しく朝食を終えたルナエレーナは、誰もいない食堂でスカーフを顔に巻く。

 幾重いくえにも幾重にも巻いて、決して顔が露出しないようにと。


「今日は剣術の練習でもしようかしら」

 本来なら、王女である彼女には専属の護衛騎士が付き従うものだけど、彼女には一人の騎士も配されていない。余りにも醜い容姿のルナエレーナは、国を治める叔父上に見放されていて、誰からも守られることなく、孤独の中を生きている。


 そんなルナエレーナを、王国一の醜女と蔑まれる彼女を。

 お茶会に誘うような奇特な人は居ない。

 日夜、足繁く彼女の元へと通い、愛をささやいてくれるような人もいません。


 どうでも良いと見放され、時間だけは沢山あったルナエレーナは一人、自分で自分の身を守るために剣術を、少しでも賢くあろうと勉学に、いつか幻影を解こうと魔法の練習に励んできました。


 人は彼女を見れば、その外見に惑わされ悪しく言います。

 貴族達が彼女の存在を確認すると、何もしないルナエレーナをなぜか蔑む。

 だから剣術の練習も、皆が鍛錬にいそしむ修練場ではなくて、王宮の外れにあるひっそりとした裏庭で行うのです。たった一人で。


 今日は剣術の日にしましょう。

 そう決めたルナエレーナの目に、向かう途中の広間に飾られた1枚の大きな肖像画が目に映る。そしてほんの少しだけ立ち止まって、その絵をじっと見上げるの。


 額縁の中に描かれた女性は、まるで生きているかのように美しかった。肩まで流れる白銀の髪は、絹糸のように細かく輝いて、その髪の間から覗くアイスブルーの瞳は、まるで澄み切った湖のように神秘的な光を放っている。

 その慈愛に満ちたお優しい眼差しは、まさに全国民から愛され、崇められた大聖女様にふさわしいお姿。この絵を見つめる誰もが、その美しさに息を呑み、心を奪われることでしょう。


「せめて、大聖女様のような御力が私にもあれば……、皆の役に立てるのに」

 ルナエレーナは、小さく長い息を吐いた。

 彼女がうらやんだのは、大聖女様のまばゆいばかりの美貌見た目ではなくて、その癒やしの力で大勢の人を救ったとされる生き様でした。


 先王が皆の分までと、懸命に愛したルナエレーナは、そんな娘に育っていました。

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