第6話 青シャツ
赴任して一週間たち、土地の水にも学校にも慣れてきつつある。
フリースクールだから、カリキュラムとか校則とかも自由度が高い。生徒の服装も思い思いだし、髪を染めている子も多い。開学の精神は、「ひたすら自由であれ」で、人間は畸形が普通。枠や型にはめられているほうを排除する。…という精神らしい。
で、既成の社会から排除されたオレを雇ってくれたのだろう。
エジソンやアインシュタインも落ちこぼれだった。偉人には逸脱者も多い。イーロンマスクという大富豪も、いじめにあって入院したこともあったとか?
集団の愚かさや、日本社会の頑迷固陋さ、金権主義、そういうものからとりあえず教育は一線を画しているべきで、でなければ人材は育たないのだ…教育はつまり未来のためのもの。収穫のために種を蒔く作業だ。異物を排除するという発想を学習するためなら学校などないほうがましだ。
そういう精神の体現者たる、開学の祖は、いったいどういう人かという、オレにも興味はあったが、出張中とのことで、校長のJ・F・フリードマンという外人とはなかなか会う機会がなかった。
で、校長が帰ってきて、校長室でオレを待っているというお達しがあったので、おっとり刀で、校長室に出向いてみた。
「よろしいですか?」
「オーケー。カムイン」
入室した校長室は、大きな窓だらけ、というやたら採光のいい部屋だった。校長は閉所恐怖症で暗所恐怖症らしいといううわさも耳にしていた。アメリカ人らしく、狭い部屋に暗く閉じ込められる感じが嫌なんだろうか?
「新任のオサラギ・タロー先生?校長のジョン・フィッツジェラルド・フリードマンです。ボクはハーバード大学で教育学そのほかの学位を18取っていて、7つの学問の博士です。人間にとって最も大切なのは学問、そう言った福沢諭吉の著書に感銘を受けて、来日しました…ボクは、つまり自分とは、人間とは何か?どうあるべきか?そういう疑問にとらわれて、いろいろな哲学や宗教やらに接し始めて…それが出発点です。歴史を振り返ってみると人間が人間であるがゆえに犯した愚行、残虐な行為がいかに多いことか。そういう人類というものはいっそ滅んだほうがいい、そういう絶望にとらわれた時代もあった…しかし、いろいろな素晴らしい人がいて、それも人間性の、ある真実…そういうことを捨象するに忍びない。ボクはなんとか人類を、そうして自分自身を肯定したかった。それゆえ…最善の選択を模索し、結果「教育」というものに逢着して…」
…その後、フリードマン氏の演説は、小一時間続いた。オレは、緊張しつつ謹聴するほかなかったが、話自体は非常に感動的で、説得力があった。よほどに理想の高い、夢想家肌の校長らしかった。
その校長の、鮮やかなブルーのワイシャツが、ドジャーブルーではないが、いかにもアメリカの意識やら教育やらの上澄み、最高水準、という感じがして、深い印象を受けた…
オレは、校長を尊敬する心境になり、敬意の表現として「青シャツ」というあだ名をつけたのだった。
<つづく>
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