第5話 英語教師になるまで
おれは、今26で、いくつかの高校を渡り歩いた英語の教師だが、当然に「その前」がある。
つまり自己形成過程というやつである。内村鑑三は「吾は如何にして基督教徒となりしか」と、自伝を書いたが、おれが英語の先生になったのは全くの成り行きで、受かった大学が英文科で、取れる資格が教師だけだったからだ。勉強はだいたい苦手で、集団生活にも適応が悪いタイプ?である。
で、学校をやめたのも一種の逸脱行動が、原因だが、自らの人物を分析してみると、なんというか性格に運命的な、根本的な欠陥があって、要するにそれはいわゆる「甘えの構造」という言葉に示されるマザコン的な病理、そうして母子家庭ゆえの父親像の不在、おおまかにはそうかなと思う。
性的な放埓は、思春期のはしかのようなものから、麻薬やそのほかの反社会的な犯罪に連なるものまで、さまざまに人生に影を落とす…「甘い罠」かもしれぬ。
正常に適応した模範的なオトナ…もちろんそれは理想型だが、基本的におれは普通の社会人というのがどうも胡散臭く思えるような、ダメ人間に憧れるような?弱さやら優柔不断さがあって、サラリーマンとか組織人とかにも疎外感、違和感を持つタイプなのだ。
社会と個人は運命的に蹉跌する…昔の文豪は、昔の言葉で、「則天去私か、自己本位か」と、こういう葛藤を表現したらしいが、こういうのは永遠のテーマで、ジレンマだと思う。「知に働けば角が立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」とも言った。しかし、「人の世を作ったのは鬼でもなければ蛇でもない」から、結局「どこに越しても住みにくいと悟ったときに」…かの文豪はこの後をどうつづけたか?
「詩ができ、画ができる。」芸術の世界…文豪にとっては芸術の世界への逃避、”精神の昇華”が答えだったのだ。
見事で、唯一無二の模範的な回答である。さらっとこういう本質的なことを小説の地の文で書いている。文豪といわれるだけのことはあるな、とおれもうなったものだ。そうして文章の調子がまったく女々しくなくて、それこそ、金科玉条の典型的なお経みたいに彫琢された感じがしている。「人生のことは小説家に聞け」むかしはそう言ったらしい。
おれも、身近にこういう人がいれば、教えを請いたくなる。
それはできないから、不即不離に、作品に触れてはいるが…
年齢を重ねればまたより味わい深くなっていくのかもしれない。
英語教師としての大先輩の、この文豪への、この小説はもちろん”オマージュ”なのである。
<続く>
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