第10話 楽しみな一年


 ミランダの部屋に行って、彼女が服などを鞄に詰めているのを見ていた。


 彼女の部屋は男爵家令嬢とは思えないほど質素で、無駄なものが全くない部屋だった。


 おそらく全く買ってもらえなかったのだろう。


「できました。行きましょうか」

「ああ。鞄は俺が持とう」

「ありがとうございます」


 彼女から鞄を受け取り、隣に立って一緒に歩く。

 この家を出るところで、後ろからモンテス夫妻が追いかけてきた。


「お、お待ちください!」

「ほ、本当にミランダと、結婚なさるのですね」

「ああ、そうだ」

「そうですか。ルカンディ様の考えていることは私共にはわかりませんが、モンテス男爵家の娘をどうかよろしくお願いします」

「よろしくお願いしますわ、ルカンディ様」

「……ああ」


 いまさら良い親のように振る舞おうとも、こいつらの魂胆は明らかだ。


 マクシミリアン公爵家と繋がったという恩恵が受けたいのだろう。

 貧乏な男爵家ならそう考えるのは当然だろう。


 しかし、こいつらの思っているような援助などは、俺はしない。


 それが、ミランダの要望の三つ目だからだ。


『私がルカ様と結婚したことにより、モンテス男爵家はその恩恵を受けようとするでしょう。ですが、その恩恵などを全く一切与えないようにしてください』


 俺はこれを聞いて、ミランダは優しいなと思った。


 俺が彼女の立場だったら「マクシミリアン公爵家の全部をかけて、モンテス家を潰すこと」と条件をつける。


 ミランダの家庭環境などを調べたが、それほどのことをしてもいいと思えるくらいの扱いを受けているはず。

 だがまあ、ミランダがモンテス家に興味がないというだけかもしれないが。


「後日、結婚に関する書類を作成して送る。そちらはただサインすればいい」

「はい、かしこまりました! その、それでマクシミリアン公爵家とモンテス男爵家との今後についても話したいので、ぜひ公爵家に正式に招待させていただければと思いまして」

「いつかな」

「は、はい、よろしくお願いします」


 まあ、そのいつかは永遠に来ないと思うが。


 俺はチラッとミランダを見ると、彼女は余所行きの笑みを作って頷いた。


 今見ると、顔立ちも整っていて綺麗だな。

 妹のオレリアと似ているが、目が違うな。


 ミランダの淡い緑色の瞳が優しくもあり、でも力強く美しくもある。


 精霊王のシルフ様が気に入るわけだ。


「では、俺達はこれで。行くぞ、ミランダ」

「はい、ルカ様」


 俺がミランダの方に手を差し伸べると、すかさず手を置いてくる。

 こういう周りがいる時に即興で顔色も変えずに演技ができるのが、ミランダは肝が据わっていていいな。


 馬車に乗ってドアを閉めると、すぐに演技をやめて疲れた表情をする。


「はぁ、まさか私が本当に結婚するなんて……」

「俺も、まさか結婚する相手がまだ生徒になるとは思っていなかったな」

「私も精霊の守り人の総司令になるとは思っていませんでしたよ」

「人生、何があるかわからないものだな」

「こんな波乱万丈な人生はやめてほしかった……」

「まだ精霊王だとバレたくらいだろう? これからもっと大変なことが起こるかもしれないから、備えておけよ」

「辛いです……」


 ため息をついてばかりのミランダを見て、ふっと笑ってしまう。

 俺はここまで表情が動くような男だったか?


 社交界では表情筋が死んでいると言われていたのだがな。


 ミランダを見ていると面白くて、つい口角が緩んでしまうな。


「まずこれからマクシミリアン家の本家に向かって、お前の部屋の準備をする」

「本家って言ったってことは、別家があるってことですか?」

「王都に一つ、他の主要な街にいくつかはな」

「さすが公爵家……貧乏な伯爵家とは規模が違いますね」

「あと、夫婦になるのだからタメ口で問題ない」

「ん、わかったわ」

「……毎度思うが、ミランダは適応が早いな」


 精霊の守り人の総司令で、マクシミリアン公爵家の当主となる俺に対して、最初から砕けたような振舞いをしていた。


 すぐにルカ様と呼んでいたし。


「別に、そっちのほうが楽ってだけよ。いつまでも敬語なのも面倒だしね」

「まあ、俺もそのほうが楽しくていいな」


 また俺は口角を上げて、目を細めるように笑った。

 しばらく馬車に揺られると、公爵家の本家に着いたようだ。


「降りるぞ、ほら」


 俺は先に降りて、馬車から降りてくる彼女に手を差し出す。

 慣れた様子でその手を掴むミランダに、少し悪戯心が芽生える。


 ミランダの飄々とした態度を少しでも崩したいと。


 そして思い浮かんだのは……まあ、夫婦だからいいよな。


 まだ馬車から降りている最中のミランダ、俺よりも少し高い位置にいる。


 俺が軽く引っ張るとミランダの体勢が崩れる。


「きゃっ……!」


 意外と可愛らしい声が聞こえて、前のめりに倒れてくるところを抱きとめる。

 俺の胸の中にすっぽり入ってきたミランダ、倒れる勢いがあったのにとても軽かった。


 ふむ、抱きしめ心地がいいな。


「……いきなりなによ」


 俺の胸元で顔を上げてきて、眉をひそめて抗議してくるミランダ。

 睨んできているんだろうが、なんだか可愛らしいな。


「ルカ様は馬車から降りる時に、令嬢を引っ張るの?」

「前に学校に送った時は、しっかり降ろしただろう」

「じゃあなんで今回は引っ張ったの?」

「つい出来心で。反省はしているが後悔はしていない」

「後悔もして」


 そう言いながら彼女を地面に下ろして、手を差し出す。


「ここではそんなことしなくてもいいんじゃない?」

「最初はしておいたほうがいい。俺が結婚相手を連れてきたというのに、大事にしていないように見えて、使用人達に舐められるぞ」

「確かにそうね」


 ミランダは俺の手を取らず、腕の方を掴んで身体を寄せてきた。

 まあこちらの方がそれっぽいか。


 しかし本当に慣れているかのように演じられるな。


「エスコートをされ慣れている気がするが、恋人でもいたのか?」

「いたことないけど。学校で私がなんて呼ばれているか知っているでしょ?」

「酷い名で呼ばれていたな、出涸らしと」


 能力も容姿も妹のオレリアに劣っているから、薄くなった出涸らしと呼ばれているようだ。


「俺からすればどちららが出涸らしなのかはわからないが」

「あまり言わないでね。そんな酷い名をオレリアに押し付けたいとは思わないから」


 ミランダが精霊王と契約した後のことを危惧しているのだろう。

 今度はオレリアが出涸らしと呼ばれるのではないかと。


「甘いな、ミランダは」

「優しいって言いなさいよ」


 もちろん優しいとは思うが、それ以上に甘いとは思う。


 同じような境遇だったが、俺とはこうも対応は違うのだな。


「実際は精霊魔法も容姿も劣るどころか、上回っているというのにな」

「えっ? いや、精霊魔法はそうだけど、容姿はオレリアのほうが華があっていいでしょ?」

「そうか? 俺は下品な感じがして好みではないが」

「そう、なのね」

「ああ。ミランダのようにお淑やかで綺麗な女性じゃないと、俺の心は動かないな」

「私がお淑やかで綺麗って、真逆じゃない?」

「真逆ではないと思うが、確かに綺麗というよりも可愛いと言うべきか」

「……えっ」


 ミランダは隣で歩いていて、俺の顔を見上げて驚いたような表情を見せる。


「か、可愛いって……そんなお世辞はいらないわよ」

「世辞なんて俺は言わないぞ。それが妻になる相手だとしても」

「っ……た、多少は言ったほうがいいんじゃない? 仕事とか社交界で、お世辞を言ったほうが円満に関係が進むこともあるでしょ」

「逆に関係が進んだと勘違いした女が出ないようにしているんだ」

「なるほど、それは大変ね」


 さっきよりも顔が赤くなっている気がする。


 耳も真っ赤だな。

 可愛いと言われて照れたのか?


「お前なら言われ慣れていると思ったが、意外と初心なんだな」

「っ、学校でオレリアの出涸らしって呼ばれているんだから、言われ慣れているわけないじゃない」

「容姿は双子なんだから似ているだろ」

「オレリアのほうが綺麗な金髪で美人で、容姿も薄まっているって言われ続けてきたわ」

「髪色はミランダの茶髪のほうがお淑やかだ。それに茶髪というよりかは……」


 俺はミランダの風で靡いている髪を軽く撫でる。

 もう夕方で日が沈みかけていて、太陽光が淡く光っている。


 その光に当たって、ミランダの髪は輝いているように見えた。


「琥珀のような色だな」

「っ……!」


 さらに顔が真っ赤になったミランダを見て、俺は口角を緩める。


 余裕そうな態度をしていた彼女が狼狽えるのは、見ていて気持ちがいいな。


「ル、ルカ様こそ、女性慣れしていそうね。そんな恥ずかしい言葉をすらすらと」

「あいにく女性経験は皆無でな。恋人は一度もできずに結婚してしまった」

「私も同じよ」

「そうか。同じことが多いな」

「他に何が同じなの?」

「……精霊王と契約しているだろう」

「ああ、そういうことね」


 危ない、俺の家庭環境についてはまだ教えていないんだった。

 別にミランダには言ってもいいと思うが、話すには少し早いだろう。


「じゃあ、本家に入るぞ。今からここがお前の家だ」

「ええ、とりあえず一年間ね」


 一年間か……この一年でミランダと俺はどうなるのか。


 ただ、楽しい一年にはなりそうだな。


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