花火

海湖水

花火

 夜の空に幾つもの光が浮かび上がった。

 七色に輝くその光は、自分たちの声を隠してしまうようで、少し怖かった。

 隣に立っている朱莉あかりは、そんなことはないようで、楽しそうに花火を眺めていた。

 そんな姿を見ていると、この時間がずっと続けばいい、そう思ってしまう。少しの怖さも、夜の空を彩る虹の花も、今を感じさせてくれるから。


 「じゃあ、行こうか」


 朱莉は僕にそう話しかける。

 時間は非情にも、一定の間隔で時を刻む。

 僕らの仲を引き裂くかのように。



 「娘さんは迎えに行かなくても大丈夫なの?」

 「大丈夫ですよ。今、夫が迎えに行っているらしいですから」

 「そうかあ……。ごめんね、朱莉ちゃん。娘さん、熱を出しちゃったんでしょ?こんな来月店じまいする、小さい本屋のことなんて考えなくてもいいんだよ?」


 社長がそんなことを心配そうな顔で語り掛けてくる。

 私はそんな社長の表情に少し笑いだしてしまった。

 50はもうすでに過ぎている社長は、クマのような筋肉質の大きな体と、子犬のような優しい心を持っている。客からの評判はすこぶる良いが、話したことのない人にとっては、恐怖を煽るような見た目だ。


 「店長、もっと笑わないと、お客さんに怖がられちゃいますよ」

 「ごめんよ……でも、心配でさ」

 

 夫はもうすぐ小学校に着くだろうか。そんなことを考えていると、不安が高まってくる。夫は店も閉まるし忙しいだろうから自分が行くと言っていたが、店長もこう言っていることだし、向かってもいいかもしれない。


 「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」


 私は裏の部屋に置いてあったカバンを取ると、近くの駐車場へと向かった。

 良い社長がいる会社に今まで務めることができてよかった。もうすぐ閉店するという事実は、初めて聞いた時は驚いたが、今は仕事も落ち着いて、新しい仕事を探す準備もできている。


 「すみません、朱莉さんでしょうか」


 車に入ろうとしたとき、聞いたことのない人に声をかけられた。

 誰だろうか。私が振り返ると、そこには一人の婦警さんが立っていた。


 「〇〇警察署の川村です。数日前、発見された死体について話があるのですが」


 そう言われたとき、私には何のことを言っているのかわからなかった。

 死体?しかも、私に関係する?鼓動が少しづつ早くなっていくことに気が付いた。

 そこからのことは、あまり記憶に残っていない。熱を出した娘は夫に任せることに決めたのだが、そのことを連絡する余裕は生まれなかった。


 「朱莉さん、この方に見覚えがありますか?数日前、△△湾で発見されました。確か、あなたはストーカー行為を受けていたとのことですが」


 私は静かにうなずいた。

 私がパトカーに乗っているときに見せられた写真には、私が学生時代にストーカー行為をしてきた男の写真が写っていた。あの時の記憶が徐々によみがえっていくにつれ、私の鼓動はだんだんと早くなっていった。

 あの時、彼はどこに行ってしまったのか。

 体に病巣を抱えて、いったいどこに行ってしまったのだろうか。

 この男が私の目の前に姿を見せなくなった時、私のかつての彼氏、上田傑すぐるも姿を消したのだった。



 「よお」


 僕は小さく声をかけた。

 低い声を出すのは苦手なのだが、相手に恐怖感を与えるには必要な行為だと思われた。

 目の前の男は、目を泳がせているのが、暗闇の中でもわかった。

 どうせ長くない命だ。最後くらいは彼女の役に立って死にたい。そう思えたから、自分は今、ここに立っている。そう思うと、自然と武者震いが止まらなかった。


 「どうせお前は、俺が朱莉の彼女だってことを知ってるんだろ?じゃあ、俺がここに来た理由もわかるんじゃねえか?」


 男は震えていた。

 小太りで、脂ののった顔は、彼に生理的な嫌悪感を与えるとともに、羨ましさを生んだ。

 なぜそのような良い、少なくとも自分にとっては健康的な体を持って、ストーカーをしているのだろうか。ただただ疑問に思っていると、男は突然口を開いた。


 「なぜ、私をこんなところに連れてきた!!わかっているのか!?これは脅迫行為だぞ!!」

 

 自分のしていることを棚に上げて、何を言っているんだこいつは。

 そんなことを考えると、より寒気がしてくる。

 夜の海辺ということもあるだろうが、こいつの発言が余計に寒さを生み出していた。


 「いいんだよ、どうせ俺もお前も死ぬんだからさ」


 気づけば、あの花火を見た日の恐怖は消え去っていた。

 感情が高ぶり、興奮しているのがわかる。自分の市が近づいてきたという恐怖が、僕の心をおかしくしてしまったのだろうか。


 「好きな人がストーカーされたから報復するなんて、なんて奴なんだ、とか思ってるんだろうな。そうさ、僕はおかしくなってきたんだ。狂い始めてたのさ」


 男はもうすでに逃げようと走り出そうとしていた。

 しかし運動不足からか、躓くとその場に倒れた。


 「お前と僕がいると、彼女はハッピーエンドを迎えられないんだよ。だからさ、僕の自殺に、少し付き合ってくれ」


 そう言うと、僕は立ち上がろうとした男にタックルを喰らわせた。

 病気になってから、体重はゴリゴリと削れたが、少しは勢いを付けたら押し出せた。

 僕らは文字通り、真夜中の夜に投げ出されたのだ。

 沈みゆく中、水面にはあの日の花火が見えた。

 その水面を彩る光の華は、僕の人生に祝福と罰を与えているようで。

 もう少し、生きたかったな。彼女の未来はどうなるのだろうか。

 そんな言葉にならない思いは、深海へと沈んでいった。




 私はどうやら、この男を殺した犯人として疑われているようだった、が、その日にはアリバイがあったことが発覚し、とりあえずは家に帰ることができるようになった。

 その数日後、彼の死体が発見された。

 警察によると、恐らく、傑君があのストーカーを殺したと思われるとのことだった。


 「何考えてたんだろ。バカじゃないの、私が人を殺して喜ぶと思ってたのかな」


 そんなことを考えていると、思わず涙が出た。

 彼には自分の人生の意味が分かったのだろうか。

 彼は病魔に蝕まれている時、自分の人生の意味なんてことをよく考えていた。

 私のもやもやとした感情は、瞼の裏にこびりつく光のように、消え去ることはなかった。

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花火 海湖水 @Kaikosui

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