第四章 背中を押してやること

 それから一樹と二葉は、二葉の親友である五李も交えて勉強会の頻度を増やしていった。恋の進展はともかく、勉強自体は国語科目が得意らしい一樹の存在が大きく、二葉と五李にとって有意義なものになっていたようだ。一樹のほうも言わずもがなだ。

 そして二週間近くが経ち、定期テストの日がやって来た。六代先生たちが灸を据えてくれたおかげもあり、黒板消しの件以来クラスメートの連中にいじめを受けることがなくなったので、一樹は心置きなく定期テストを迎えることができた。もしかしたら、陰湿ないじめのせいで一樹もこれまでまともに勉強ができていなかったのかもしれないな。

 定期テストは、生徒一人ひとりの評価に関わる重大なイベントだ。だから当然、俺も邪魔をするわけにはいかない。一樹たちがテストに取り組んでいる間、俺は教室の後ろにある荷物入れの棚の上で丸くなりながら寝て時間を潰した。

 キンコンカンコンと終業のチャイムが鳴る。クラスの連中が一斉にくたびれたような声を上げ始め、俺は目を覚まして大きなあくびをかいた。

 「疲れた」「まあまあ頑張った」などとクラスの連中は話し合っていたみたいだったが、黒板消しですら人任せにするような根性なしがテストをまともに頑張れるはずがないんだ。このクラスの中で一番成績が良い生徒は間違いなく一樹だと、俺は容易に推測できた。

「ニャン太郎」

 名前を呼ばれて顔を上げると、一樹がすぐに荷物をまとめて帰ろうとしていた。長居する気がない一樹の気持ちを察し、俺もさっさと一樹の肩に乗って一緒に帰った。

 定期テストは二日がかりだったとはいえ、二日目は午前中にしか実施されなかったので、外はまだ明るい。さんさんと太陽が照る中、俺と一樹はいつもの住宅街の道を歩いていった。

 俺は猫だから、「テストの出来はどうだった」とか、一樹に直接聞くことができない。代わりに一樹のほうからいろいろと話してくれる。たまにどうでもいい話をしてくることもあるが、俺は一樹の肩という特等席で話を聞くことができるから、贅沢な身分だ。

「自惚れかもしれないけどさ、ニャン太郎。今回のテストは結構自信があるんだ。二葉さんたちに敵うとまではいかなくても、もしかしたら学年で十位以内に入れているかもしれない。勉強に付き合ってくれた二葉さんと五李さんに感謝だね」

 そう満足げに語る一樹を見て、俺も何だか安心させられた。こういうのは後悔せずに終われるのが一番だろうからな。

 もし一樹がテストで上位に入ったら、その時は祝ってやりたいところだ。だが俺は猫だから、祝福の言葉を贈ることすらも叶わない。こういうのは一樹の両親の役目なんだろうなと考えていたところ、突然一樹のポケットにあるスマートフォンがピロリンと鳴り、一樹は語るのを止めた。

 スマートフォンを取り出し、その画面を見た一樹が息を呑む。一体何があったのか気になっていたところ、すぐに一樹がスマートフォンの画面を俺に見せてくれた。

「どうしよう、ニャン太郎。五李さんから打ち上げの誘いを受けちゃった」

 どれどれとスマートフォンの画面を見てみると、五李からのメッセージが表示されていた。

『五李:二葉、一樹くん、テストお疲れさま。せっかくテストが終わったことだし、今日くらいはパーッとカラオケにでも行くわよ』

 家に帰り着くなり、一樹はすぐに身支度を始めた。ダイニングに向かって一樹の母親が用意してくれた昼飯を掻き込み、一樹の部屋に戻って学校の鞄を置き、制服から私服に着替え、眼鏡を外してコンタクトに変えた。

「大丈夫かな、ニャン太郎。これ似合ってるかな」

 そう言って一樹が見せてきた格好は、青いジーンズに白い長袖のポロシャツ、そしてカーキ色のモッズコート。俺には人間のファッションはよく分からんが、外出する分には悪くないんじゃないかと思った。高校生なんだから、別に格好ひとつで背伸びしなくたっていいとも思うんだがな。

 財布や本を入れた縞模様のショルダーバッグを担ぐと、一樹は俺を肩に乗せて玄関へ向かい、黒のスニーカーを履いて家を後にした。

「ついさっき、五李さんから集合場所の連絡があったんだ。この辺だとカラオケとかの遊べる施設がないからね」

 住宅街を歩きながら、一樹はもう一度スマートフォンを取り出し、画面を俺に見せてくれる。そこに表示されているメッセージを目にし、俺はあんぐりと口を開けた。

『五李:一樹くんはあたしたちと一緒に遊ぶの初めてだったわね。集合場所は西町の葛西駅の近くにある時計台の前よ。午後二時に集合だから』


「うぅ……本屋さんに行く以外にほとんど出かけることがないから緊張するなぁ……」

 西町へ向かう電車に乗りながら、一樹はつり革を片手に不安の色を浮かべた。励ましてやりたい気持ちは山々だが、不安なのは俺も同じだ。何せ、敵の本拠地である西町に乗り込むのは久々のことだからな。

「間もなく、葛西(かさい)駅、葛西駅に到着いたします。お降りの際は、お近くのドアからお降りください」

 電車のアナウンスが鳴り、ほどなくしてドアの開く音が聞こえてきた。ショルダーバッグの中に入れられていた俺は、一樹に抱えてもらいながら電車を出た。駅からも出たところでショルダーバッグを開けてもらい、俺はバッグから脱出して一樹の肩に跳び乗った。

 前方を見渡してみると、さすがは五李が遊ぶ場所に選んだだけのことはある、目の前のスクランブル交差点では多くの若者とサラリーマンがごった返していた。あちこちに高層ビルが立ち並んでおり、ここは西町の中でも有数の場所なのだろうと想像ついた。

 人通りの多さに立ち尽くしながらも、一樹は奥にある建物の屋上を見上げる。俺も釣られて視線を上げると、屋上には下からも確認できるほどの巨大な時計があり、あれが時計台なのだと推測できた。

 時刻は午後一時五十分。目の前のスクランブル交差点を渡りさえすれば、約束の時間までにまだ間に合いそうだ。俺は一樹の肩に乗ったまま、スクランブル交差点を進んでいった。

 交差点を少し渡ったところで、俺と一樹はふと、一人の婆さんが目の前を歩いていることに気づいた。片手に手提げ袋を持ちながらもう一方の手で杖を突いており、足元がおぼつかない。信号が点滅し、もうすぐ赤に変わりそうになっていたが、今の婆さんの速度だと向こうまで渡り歩くのは厳しそうだ。

「お婆さん!」

 見兼ねた一樹が婆さんに声をかける。そして、俺を持ち上げて肩から降ろすと、婆さんのもとへ駆け寄ってしゃがみ、おんぶの体勢になって言った。

「乗ってください! 僕が向こうまで運びます!」

「えぇ……あんた見るからに華奢じゃないか、大丈夫なのかい」

「いいから! 早くしないと車にひかれちゃいますよ!」

「仕方ないねえ……」

 くどくどと嫌みを言う婆さんを担ぎ、一樹は急いで交差点を駆け抜けていく。俺も後に続いていく途中、ふと振り向くと、婆さんが手提げ袋を交差点に落としてしまっていることに気づいた。

 俺は交差点を引き返し、口で手提げ袋をくわえると、一樹たちと反対方向の駅があるほうへ駆け抜けた。一樹たちがいるほうへ戻ろうとしたら、確実に信号が間に合わないと判断したからだ。婆さんの手提げ袋は、また後で一樹たちと合流したときに渡せばいい。

「ニャン太郎、大丈夫?」

 一樹の呼ぶ声が聞こえる。俺は手提げ袋を口にくわえたまま、ぴょんと跳んで無事であることを伝えた。一樹が心配そうに俺を見つめているのを見て、すぐにでも合流したほうがいいと考えた。なら、交差点の信号が再び青になるまで待っているのが最善と言えよう。

 周囲の人間たちに注目される中、俺はその場をくるくる回りながら信号が変わるのを待ち続けた。まだしばらく変わる様子のない信号に待ちくたびれていたところ、突然何者かにひょいと体を持ち上げられた。

 顔を上げてみると、俺を抱えていたのは五李だった。黒のミディアムボブで一樹よりも高身長。そして一樹と違い、学校の制服を着たまま、学校の鞄を担いだままの格好でいた。

「何あんた、随分と気合い入れた格好で来たわね?」

 交差点の向かい側に立っている私服姿の一樹を見て、五李は思わず吹き出しながら声を上げた。一樹は後悔するかのように顔を赤らめていた。

「信号が青になるまでの間、あたしがこの子の面倒見るから、あんたは婆さんと一緒にそこで待っててー」

 五李が俺を胸の辺りまで持ち上げながら言葉を続ける。一樹が返事を返そうとしたとき、婆さんが一樹の背中から下り、突然五李に向かってキーキー声を上げ始めた。

「何を言ってるんだい! あたしの手提げ袋を勝手に持っていっておいて! ちゃんとあたしの店まで運ぶのが礼儀でしょうが!」

 どうやらこの婆さん、ぼけているのか、自分で手提げ袋を落としたのを俺が奪ったって勘違いしているらしい。五李は眉間にしわを寄せながら言い返した。

「はあ? あたしここでずっと見ていたけど、婆さんが交差点に落としたんじゃない! ニャン太郎はそれを拾ってあげただけよ!」

 婆さんも向きになってキーキー声を続ける。

「知るもんかい! とにかくあたしの店はアーケードにある『しろいろ』っていう服屋だから、そこまで持ってきな! 今時の若いもんならスマートフォンで場所くらいすぐ調べられるでしょ!」

 そう言うと、婆さんは一樹に礼を言わぬまま、ふてぶてしく先にアーケード商店街があるほうへと向かっていってしまった。

 やれやれ、ああいうのは開き直られると手が付けられなくなるもんだ。無表情のまま青筋を立てている五李に対し、俺はにゃんごろと鳴き声を上げて我に返らせた。

「……ああ、悪かったわね。一樹くん、あんたは先に時計台で待ってて。そのうち二葉もやって来るはずだから」

「うん、分かった!」

 五李の言葉を聞いた一樹は手を振って返事し、踵を返して時計台のほうへ歩いていった。

 俺は一樹が一人で行ってしまうことに不安を覚えた。片思いの相手である二葉と二人きりになったときに、まともに口が利けなくなるんじゃないかと思ったからだ。

「ニャン太郎、一樹くんと二葉が二人きりになるのがそんなに心配?」

 見えなくなる一樹をずっと目で追っていた俺を見兼ね、五李が言った。俺は返事の代わりににゃあと鳴いてみせた。

「心配いらないわよ、あの二人は。あたしも仲良くやれるか最初は不安だったけど、気づいたら連絡先まで交換し合ってるんだもん。あたしたちが思っている以上に二人はできるんだから、もっと信用してあげてもいいんじゃない?」

 五李の言葉に、俺ははっと気づかされる。これまでは一樹たちのために何でもしてやらなければならないと思っていたが、少なくとも、二葉と連絡先を交換するため、最終的に行動に出たのは一樹自身だ。一樹の世話を焼くんじゃなく、一樹の背中を押してやることこそが自分の役目なんじゃないかと俺は考えた。

「ほら、さっさと手提げ袋を持っていって、一樹くんたちと合流するわよ」

 手提げ袋の取っ手を腕に通し、俺の腹を両腕で抱えながら、五李は言った。俺は返事の代わりにみゃうと鳴いた。スクランブル交差点の信号が青に変わり、五李は俺を抱えたまま歩き出した。


 アーケード商店街までやって来ると、多くの人で賑わっていた。一樹たちと同じくテスト明けであろう学生以外にも、着ぐるみを着て客寄せをしている店員、道の隅っこで煙草を吸いながらしゃがんでいるヤンキーたち、ギターを担いで路上ライブをするミュージシャンなど、さまざまだった。

 そんな中でも、俺と五李はかなり目立っているようだった。何せ、アーケード商店街に来てまで猫を連れていく人間はほとんどいないだろうからな。

 ヤンキーたちにも怖い顔で興味津々に見られる中、五李は周りの目を無視し、俺をいったん地面に降ろしてスマートフォンを操作しながら言った。

「『しろいろ』は、ここからまっすぐ百メートル先……と。思ったより近くて助かったわ」

 経路を確認し終えると、五李はスマートフォンをスカートのポケットにしまい、俺をまた両腕で抱え上げた。再び五李が歩み出したとき、俺にしか聞き取れないひそひそ声が耳に入り、俺は思わず息を呑んだ。

「あれって東町のクロじゃないか?」

「首輪をしているのが謎だが、間違いねえ」

「何であいつが西町のこんなところまでやって来たんだ?」

「きっと、シロさまに喧嘩を売りに来たんだ」

 たまらず、俺はアーケードの路地裏へ視線を移す。すると、路地裏の暗闇から俺を見つめる鋭い眼光がいくつも浮かび上がっていた。

 俺は五李に警戒するよう鳴き声を上げようとしたが、それよりも早くやつらが行動に出た。

「なら、俺たちの手でやつを倒さなければ」

「今こそ敵の大将首を討ち取るぞ!」

 その言葉を皮切りに、路地裏のあらゆる所から、西町のチンピラ猫どもが、みゃあみゃあと不気味な鳴き声を上げながら姿を現した。数にして数十、いや百はくだらない。

「ちょっと……何がどうなってんのよぉっ!」

 チンピラ猫どもが牙を剥いて一斉に襲いかかってくるのを見て、五李は悲鳴を上げながら俺を抱えて駆け出した。

 チンピラ猫どもが後を追いかけてくる。人間の足では猫の足に敵わないと悟った俺は、五李の腕から離れ、五李が逃げきるまでの間応戦することにした。

「やっちまえ!」

 チンピラ猫どもが鋭い爪を立てて襲いかかる。俺も爪を立てようとしたが、昨夜のグレーの言葉が頭をよぎった。

 ――飼い猫になったということは爪を研がれたりしてるんじゃ……。

 そうだった。飼い猫になった今、爪は使いものにならないんだった。なら、ほかの手段で戦わなければならない。俺は前足を握って拳のようにし、チンピラ猫どものあごや腹に猫パンチをお見舞いした。

「ぐふっ!」

 呻き声を上げて倒れていくチンピラ猫ども。だが、やつらの勢いが衰える様子はない。俺が次の敵に備えようとしたところ、突然後ろから来た五李に片腕で抱え上げられた。

「ずっとやり合ってても埒が明かないでしょ! すぐ近くに婆さんの店があるから、そこに逃げ込むわよ!」

 五李はもう片方の手で手提げ袋を握り、チンピラ猫どもを追い払うように振り回しながら走っていった。

 チンピラ猫どもに追いかけられながら、五李の言う婆さんの店に辿り着く。すると、婆さんが店の前で俺たちを待ち受けていた。

「遅いじゃないか! さっさとあたしの荷物を返しな……」

「婆さん、どいて!」

 五李は婆さんの言葉を無視して店の中へ駆け込んだ。怒りながら振り向いたのと同時に、婆さんは雪崩のように押し寄せてくるチンピラ猫どもの軍勢に巻き込まれてしまった。

 並べられた古臭い服の棚を通り抜けて先に進むも、小さな店だからか、すぐ行き止まりになってしまう。俺と五李は逃げ道が見つからないまま、わんさかいるチンピラ猫どもにとうとう追い詰められた。

 勝ち誇った顔を浮かべ、チンピラ猫どもがみゃあみゃあと鬨の声を上げる。そして一斉に襲いかかり、五李が俺を抱えたまま悲鳴を上げた、その時だった。

「止めなさい、あなたたち!」

 それは聞き覚えのある、そして俺たち猫にしか聞き取れない声だった。その声を耳にするなり、チンピラ猫どもはぴたりと襲いかかるのを止めてしまった。

 声の主は、チンピラ猫どもを掻き分けながら俺たちのもとへやって来る。そして、姿を見せた。現れたのはほかでもない、西町の野良猫のボスである雌の白猫、シロだった。

「シロ……!」

 五李やチンピラ猫どもが呆然としている中、俺が五李の腕から降りると、シロは俺のほうへ悠然と歩み寄りながら言った。

「うちの子たちはすぐにここから退散させるわ。随分と迷惑をかけたわね」

「……まったくだ」

 俺が同調するようにうなずくと、シロは口元だけ笑みを浮かべた。シロが振り向いてチンピラ猫どもに一声かけると、チンピラ猫どもは従順にぞろぞろと店を出て、アーケードの路地裏へ引き返していった。

「シロさま、なぜ今ここでやつを倒さないのです! せっかくのチャンスだというのに!」

 チンピラ猫どもが去っていく中、一匹の雌の茶トラ猫がシロに駆け寄って食い下がった。だが、シロはその茶トラ猫に対し首を振って言った。

「私が西町のボスである以上、私の指示に従ってもらうわよ、ブラウン。もし彼を倒せば、東町の野良猫たちとの衝突は間違いなく避けられない。そうなったら、私たちまでもが傷を受けることになるわ。最悪死に至るかもしれない。それでも彼をここで倒すというの?」

「そ、それは……」

 口ごもる茶トラ猫に対し、シロは諭すように言葉を続けた。

「何も争うことだけが物事の解決策じゃないわ、ブラウン。私が普段から揉め事を治めているように、彼もまた西町と東町との衝突が起こらないよう尽力しているのも事実よ。穏便に済ませるためにも、今は彼を見逃してあげて。お願い」

 俺は素直に感心した。どうやらシロの野郎は、俺が思っていた以上に話が分かる野良猫のようだ。

 シロの言葉を一通り聞き、茶トラ猫は葛藤しているのだろうか、しばらく黙り込んだ末に口を開いた。

「……私はやつをシロさまと同格だと認めません。偉大な野良猫はシロさまただ一匹ですから」

 茶トラ猫は冷たい目で俺を一瞥し、くるりと背を向けて走り去っていった。

「あなたがなぜ首輪をしているのかは聞かないけど」

 俺の首輪を見ながらふふっと笑い、シロは言葉を続ける。

「クロ、ひとつだけ約束して。西町にあなたがいると、今回みたいに必ず混乱を招くわ。うちの子たちの目につかないように、できれば姿を隠して行動してほしいの。揉め事さえ起こさなければ私からとやかくは言わないわ」

「ああ、分かった」

 俺が返事するのを見届けると、シロは踵を返して歩き出した。服の棚を通り抜け、気絶して倒れている婆さんの上を歩き、店の入り口の上に立てられている看板の裏へ跳び、去っていった。

 どうやらこの『しろいろ』という店こそがシロの縄張りらしい。偶然とはまさにこのことだ。

「な、何か分かんないけど、助かった……」

 五李がへなへなと座り込みながら呟く。同時にピロリンと五李のスマートフォンが鳴った。

 床に座り込んだまま、五李はスマートフォンを取り出し、画面を確認する。そして、失笑しながら俺に画面を見せてくれた。

「二葉ったら相変わらずね。一樹くんの私服姿を見て舞い上がっているみたい」

 画面には、一樹と二葉のツーショット写真と一緒に、二葉からのメッセージが表示されていた。

『二葉:私服姿の一樹くん! 眼福にあずかります!』

 やれやれ、確かに二葉のほうは相変わらずだが、一樹のほうも写真の表情を見る限り満更でもなさそうだ。五李の言うとおり、二人が今も仲良くやれていることに、俺は安堵した。

「さ、こんな所さっさと出て、今度こそ一樹くんたちと合流するわよ」

 スカートを叩いて立ち上がると、五李は俺を学校の鞄の中に入れ、店を出た。まだ気絶している婆さんの上に手提げ袋を置き、五李は俺を鞄の中に入れたまま時計台へと向かっていった。


 打ち上げのカラオケも、一樹が歌下手なこと以外無事に終わり、それから一週間の時が流れた。

 西町で起こった騒動は、野良猫が百匹近くもともに行動するなどありえない、フェイクニュースだと最初は疑われたが、アーケード商店街で大勢の目撃者がいたことから、地元のニュース番組に取り上げられた。目撃者の一人が撮影した写真に写っていた五李は取材を受けることになったが、当然俺たちの事情を知るはずもなく、「しばらく野良猫を見るのは懲り懲り」とだけコメントした。

 そして、学校で大きなイベントが待ち受ける。定期テストの結果発表だ。一樹いわく、学年ごとの定期テストの順位が、学校の掲示板に上位三十人まで大々的に公開されるとのことだ。一樹はその三十人に毎回入っていたのだが、それでも順位はいつもギリギリだったらしく、一樹自身は「褒められるようなものじゃない」と語っていた。

 だが、今回ばかりは違う。何せ、二葉たちが勉強に付き合ってくれたこともあり、定期テストの順位に相当な自信を持っているからだ。もしかしたら十位以内に入れているかもしれないとまで言っていた一樹は、いつものように俺を肩に乗せたまま、掲示板がかけられている廊下へと向かっていった。

「あっ、一樹くん! こっちこっち!」

 掲示板の辺りには生徒たちの人混みができており、その中から一樹を呼ぶ声が聞こえた。人混みの中に入ってみると、掲示板の前で二葉と五李が待ち受けていた。

 そして妙なことに、一樹という名前を耳にすると、人混みは遠慮してか一斉に一樹たちから距離を置いた。新手のいじめかと俺は疑ったが、よく見ると大半の生徒から尊敬の目を向けられており、そうではないのだと察した。

「今回の結果、上から順に見てみて!」

 二葉が一樹の手を取り、掲示板に張られたテスト結果の紙を注目するよう指差した。

 俺と一樹が指差された方向へ視線を上げる。すると、まず最初に聞き慣れた名前が目に映った。二葉の名前だ。一位、九百点中八百九十六点。一樹が前に話していたとおり、二葉は今回のテストでもとんでもない結果を叩き出したようだ。

「さすがは二葉さんだね、やっぱり僕なんかじゃ敵わないや」

「ありがと。でも、その次も見てみて。びっくりするから!」

 一樹の称賛に対し礼を言いつつも、二葉は張り紙を再度指差して注目させた。俺と一樹はもう一度視線を上げ、二葉のすぐ下に並んでいる名前を目にし、そして唖然とした。

 二葉の下に載っていたのは、なんと一樹の名前だった。二位、九百点中八百九十二点。二葉とたった四点しか差がない。上位三十人ギリギリにいつも入っていたという一樹の言葉が嘘のようだ。

「負けたわ、一樹くん、おめでとう。あたしを出し抜くなんて、次のテストは覚悟しておきなさいよ」

 称賛の言葉を贈る五李に対し、一樹は驚きを隠せないながらも礼を言った。張り紙にある一樹の名前の下を見てみると、そこに五李の名前があった。三位、九百点中八百八十三点。つまり、ここに学年一位から三位までの面子が出揃っているということだ。

 周囲からも喝采を浴びる中、二葉はコホンと咳払いをしながら一樹と二葉に向かって言った。

「今回の二学期中間テストは、私たちにとって有意義なものとなりました。ですが、これに慢心することなく勉学を続けることが重要です。今度の期末テストでも、私たち三人がトップスリーに入っていることを願います!」

「あんた、そんなキャラじゃなかったでしょ。いきなり変なこと言い出すんだから」

 そう五李から突っ込みを受けつつも、一樹と二葉と五李の三人はお互いの健闘を称えて拳を合わせた。俺がちらっと一樹の顔を覗き込むと、二葉と五李の二人に肩を並べられたことがうれしいのか、喜びに満ち溢れており、俺も釣られて笑みが零れてしまった。

 口元が緩んでいるのが一樹たちにばれないようそっぽを向いたとき、ふと、人混みの後ろで赤いモヒカン頭のヤンキーが俺たちを見つめていることに気づいた。あの男はどこかで見た覚えがある……確か、一樹と同じクラスの三四郎ってやつだったか?

「どうしたの、ニャン太郎?」

 俺がよそ見していることに気づいた一樹が声をかけた。俺は三四郎から視線を外すことなくにゃあと返事してみせた。

「誰かいるの?」

 視線にようやく気づいたのか、一樹がそう言って振り向くも、すでに遅かった。一樹が振り向いたときには、三四郎は踵を返し、教室のほうへつかつかと歩いていってしまっていた。

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