第58話――昔話その2

 赤子は2歳になるあたりまで塔で育てられ、さすがに隠すことが難しくなった頃、タルファスの知人に預けることに決めた。

 あの踊り子の腹違いの兄である彼は、甥を育てることを黙って受け入れてくれた。

 ただタルファスあっても――むしろタルファスであるからこそ、真っ黒な髪と目の子は目立ってしかたない。

 そこで街からやや離れた古城――かつてミルスロータが自治区になる前、領主としてこの地を治めていた貴族の城の、これまた因果なことに囚人を容れておくための塔に閉じ込めて育てることになった。


 ミルスロータでは十分な教育を受けられないだろうと、グレゴリーという男を教育係に送り込んだ。

 もともと他領の貴族の子息あったが、成人して間もない頃に親族が罪を犯した際に連座となって平民に落とされて、ヴィッテに流れてきた男である。

 それまで後ろ暗い家業であったせいか口は堅く、金でなんでもするというところが気に入り、あの子がエフィムの実子であるとは明かさぬまま現地に送り込んだ。


 まさか、元貴族のグレゴリーが、まともに教えられることがテーブルマナーくらいだとは思わなかったのだ――彼が送り続ける資金を着服し、子供を冬の寒さに凍えさせるほど困窮させていた知っていたら、あんな男はすぐに殺してやったのに。

 グレゴリーが周りの者たちをどう言い含めたかはわからないが、想像は容易い。

 “森”の呪いを受けた忌み子と疎まれるようになった子供は、ろくに教育を受けることもできず、やがて食べ物にも事欠くようになった。


 グレゴリーからヴィッテに戻りたいと連絡がきたのは、それから数年が経った頃だ。

 理由を聞けば、タルファスで博打に手を出して身を持ち崩す寸前だった。

 グレゴリーにこれまでの口止め料はいらないから城で匿ってくれと懇願され、報償の代わりに借金を肩代わりしてやり、城の馬丁として雇うことにした。

 秘密を洩らしそうな気配があればすぐに殺すつもりであったけれど、人当たりのいい彼はなかなか使い勝手がよく、試しに妻の機嫌を取ってみてくれというとあっという間に彼女の布団に滑り込んでしまった。


 グレゴリーが自分の代わりにと指名した子供の世話役は、しばらくの間はうまくやっていたようだ。

 だからその間、彼は息子の置かれた境遇を知ることもなかった。

 だが、新たな世話役は流行り病に倒れてあっけなく帰らぬ人となった。

 彼と一緒に子供の世話をしていた連中は、それでも必死に事実を隠蔽した。

 あの連中は、塔の子供が彼の実子であるとは知らなかったけれど、毎月のように潤沢な手当金が送られてきていたのだ、素性の想像くらいはついただろうし、その子のための金を着服した自分たちの末路など言うまでもない。


 露見したのは、偶然だった。

 彼からの資金を届けに行った側近が、世話役がいないことに気づき、取り繕おうとする連中の態度に不審を覚えて、主君の息子を案じて塔に突入して発覚した。


 栄養失調で息も絶え絶えな息子の体から黒い霧が漏れ出していると、側近から急報が届いたのはこのときだ。


 ヴィッテに伝わる“黒い森”と賢者の事実、ミルスロータの古い家柄である知人から教わった古い神々の伝承。

 そういうことか、と点と点が線でつながった。


「お母さんの仇を取ってみるかい」


 タルファスにつながる空を眺めながらつぶやいて、エフィムは決意を固めた。


 だがエフィムは間抜けであったと言わざるを得ない――グレゴリーがこの件に深く関与し、彼らを先導していたことにまでは、気づいていなかったのだ。

 自分の後任にと指名した男がろくでなしであったとはと、泣きながら頭を下げる姿に、すっかり騙されてしまっていた。


 グレゴリーは密かに、エフィムの妻に「一緒に逃げよう、足がつくといけないから台座から宝石だけを外しておいて」と伝えていたようだ。

 その加工が思ったよりも時間がかかったせいか、焦ったグレゴリーは密かに息子を誘拐してきてどこかに隠したのち、城に宝石を取りに何食わぬ顔で戻ってきた。


 グレゴリーは逃げる際に城に火をつけるという暴挙を起こした。

 騒ぎに乗じて、薬で眠らせ続けていた息子をつれ出し、東へ向かう乗合馬車に乗り込んだのだ。

 そのことに気づいて追っ手を出したとき、すでにグレゴリーはずいぶん先まで逃げてしまっていた。

 

 なんとか追いつきかけたものの、追手に気づいたグレゴリーは馬車から逃げ出し――そのすぐそばに“黒の森”があった。

 小さな体を人質のように担いで“森”の奥に逃げ込んだのだという。

 グレゴリー1人ならば魔術で粉々に砕けたものを、息子がいては手が出せない。

 引き返してきた部下たちを責めるわけにはいかなかった。


 “黒の森”は夜の眷属の領域である。

 いかなエフィムといえど、無防備に入り込めば生きて帰ることができる保証もない。

 己の無力さが、恨めしかった。


「…………ルダ、どうかあの子を守ってくれ」


 すべてを飲み込む“黒い森”を睨みつけ、エフィムは唇が切れて血を流していることにも気づかず、うめくように祈りを捧げた。

 賢者にそれとなく探りを入れて、息子の生死を問わねばならない。

 きっと大丈夫だ。あの子は強い。

 きっとまた会える。


 だからエフィムは、その日のために備えておく必要があった。

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