第56話

 グラシムをレオニードの側近に取り立てたいという話に対して、エフィムは当然よい顔をしなかった。

 グラシムの親代わりとして5年間見てきた立場から、レオニードに対する歪んだ感情がいつ領主を危険に晒すかわからない――そんな真っ当な理由からだ。

 事前にオデッサ公に口添えをしておいたことが功を奏した。


「あの子のほうから歩み寄ってくれそうな気配があるんだ」


 と、オデッサ公がにこにこ笑いながら言い添えれば、隠居した身としてはそれ以上口をきけないようだった。

 エフィムはヴィッテ領内では人格者として知られる前領主ではあるものの、中央政治においては大した力を持っているわけではない。

 むしろ宮廷の貴族の目から見れば、アレクサンドル王子への不用意な発言によって失脚したうえ、ヴィッテと現領主を危険に晒している元凶でもある。


 エフィムがもう少し穏やかに王子へ諫言していれば、私の甥に対する風当たりもここまで強くはなっていなかったかもしれない。

 貴族らしく取り繕った言葉で王弟自らそう批判されれば、ある意味で模範的なエフィムは反対しきれなくなってしまった。


「なに、若い時分には猛獣を飼いならす経験も必要だと思わんかね、エフィム殿」


 猛獣というにはあまりに力が強すぎるのだが、と古代魔術のことを打ち明けられたレオニードは内心苦笑しながら、オデッサ公に「義父と2人で話したい」と頼んで席を外してもらう。


「義父上は、グラシムのことが心配なのだろう? ……ご子息のことが」


 グラシムとの関係を知ったことを口にすると、エフィムは――レオニードが見たことのない表情を見せた。

 驚いたとも狼狽えたとも違う。

 だがその表情の正体を理解するよりも先に、エフィムは顔を伏せてしまった。


「……あの子から、聞いたのか」

「ええ」

「生きていることがわかっていながら、母から引き離して隠して育て、嫡子として迎え入れない私はひどい父親に思われるだろうな」


 ゆっくりとこちらを見遣ったエフィムは、常識的な大人のような目をしているように見えた。


「……人道的な批判については、今さらだと思うよ」

「レオは……どう思う。あの子を実子として扱いたい気持ちはあるのだが、不可能だろう」

「義母上は、ご存じなのか?」

「いや……あれは、あの子が死産であったと思っている」


 そう思わせて、訂正もしていない。

 ペトレン家の正統なる後継者であり、そのうえ王族とも比肩しうる1級魔術師である。

 あの、見た目でなければ。


「グラシムを迎え入れれば、後継者争いが起こる」


 レオニードは、領主の咎の償いと実子の資質不足を補うための特例的な形での婿入りである。

 宮廷での振る舞いはともかく、領主としてのエフィムは民に慕われ、領政に失策もないどころか、辣腕として知られていた。

 その息子が跡を継げずにレオニードが取って代わったのは、ひとえに息子に魔術師としての――貴族としての資質が欠けていたためだ。

 そこに、優れた魔術師であるグラシムが現れればどうか。

 見た目の問題はついて回るだろうが、結局、そんなことを気にするのは貴族たちだけだ。

 領民にとってみれば部外者であるレオニードよりも、たとえ異民族の見た目であっても、善良な前領主の血を引く息子が頭にいたほうが気持ちよいに違いない。


 今は動乱の時代であるから、徳政を敷いているレオニードを引きずり下ろそうという者がすぐに現れることはあるまい。

 だが、時代は変わる。

 結婚して5年を過ぎても後継者に恵まれない領主夫妻の不仲は、少しずつ民にも知られてきており、今後もどうなるかわからない。


 そんなところに、グラシムが現れたら。

 ヴィッテ城を一応は掌握しているつもりのレオニードだが、前領主の血を継ぐ息子の存在を知れば、彼を担ぎ出そうとする勢力が出てくることは想像に難くない。

 ヴィッテに対してアレクサンドル王子が辛辣なのは、彼に疎まれるレオニードがいるせいだ、と逆恨みしている者の存在があることくらい、レオニードだって知っている。


「私の跡を継ぐのは私の息子……あなたの孫であると思っている。だからこそ、グラシムが私の家臣であると周知しておくことは重要ではないか?」


 そうしておけば、いつか秘密が知られても後継者争いを抑え込むことはできるかもしれない。

 何もしていなければ、いつか秘密が露見したとき、ヴィッテは荒れるだろう。


「……私はあの子が生きていてくれさえすればよい」


 まるで優しい父親のように言うエフィムに、レオニードはほんのわずかな違和感を覚えるものの、その根底まではわからなかった。

 ただ、「エフィムに気をつけろ」とささやいた低くかすれた声が耳に甦る。


「では、私の側近に取り立てても構わないね?」

「しかたない……」

「――――義父上、ひとつ教えてくれないか」


 すでに冷めてしまった茶を喉に流して、どこかうなだれた様子のエフィムをレオニードは見下ろした。


「彼の母親は、本当に義母上か?」

「もちろんだ」


 これは、真実か。

 弾かれたようにこちらを見たエフィムの目には、嘘が混じっていないように見えた。


「……失礼した」

「レオの疑いももっともだ。北方の、見た目だからな――……実を言えば、私の祖先はミルスロータに縁がある」

「そう、なのか?」


 それは初耳だ。


「カンチアネリとミルスロータが、婚姻により結ばれた関係なのは知っているだろう?」

「ええ」

「私の祖母の血筋には、ミルスロータからカンチアネリに嫁いだ者がいる」


 カンチアネリはミルスロータだけでなく、征服した異民族たちに姫君を降嫁させることで血の融合を図ってきた歴史がある。

 その中には逆に、異民族の支配階級の姫君を王国に嫁がせるケースもあったと聞く。

 カンチアネリ王家にミルスロータ族の姫君が嫁いできたという話は聞かないから、恐らく王国貴族が異民族の姫を娶り、その血がエフィムに受け継がれているということか。


「グラシムは、その先祖返りではないかと思っているのだ」

「なるほど……不躾なことを聞いてしまってすまない」

「いいえ……あの子は、真実、愛されて生まれてきた子なのだ。それは、本当のことだから……」


 エフィムの言葉をレオニードは不思議な気持ちで聞いた。

 奥方との不仲は有名で、今から10年近く前にあの奥方が馬丁に入れあげる騒動があった。

 エフィムは妻を咎めるどころか、馬丁に対して妻をうまく宥めてくれと金まで渡していたというではないか。

 ということは、グラシムが生まれた頃の夫婦仲は悪くなかった――あるいは、親に似ぬ子を産んだ奥方にエフィムが不義の疑いでもかけて、夫婦仲がこじれたのだろうか。


 しかし、孤独なグラシムを慈しむ者がいること自体は、歓迎すべきだ。

 タルファスのあの老夫婦以外にもそういう存在がいることをグラシムに知らせてやりたいが、彼らと違い、エフィムとグラシムは毎日でも直接顔を合わせられる関係である。

 レオニードのような未熟者がお節介を焼くよりも、当事者同士で解決させるべきだろう。


「義父上のお気持ちはわかった。私にとっても以前から……その、弟分だったから、仮に義弟として遇することになっても何の不満もない」

「……あの子を、頼みます」


 ゆっくりと下げられた男の頭には、確かに偽りはないように思われた。


 ティオディス第3王子が自害したという知らせが届いたのは、ちょうどこのときだった。

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