第47話
家の中にいたのは、いかにもミルスロータの住民といった外見をした老いた男女だった。
例の踊り子の娘が「家を管理させている」と言っていたのはこの2人だろう。
ちょうど朝食の準備を始めていたところのようで、2人は明らかに貴族然とした外見のレオニードに警戒心をにじませた物腰で挨拶をしながら、朝食を一緒にするかとグラシムの方に助けを求めるように声をかける。
「ううん、気にしないで。俺たちの飯は宿にあるから……驚かせてごめんな。荷物取ったらすぐに出るから、気にせずに飯食ってて。ほら、焦げちゃうよ」
「そんなに急がなくてもいいのに……次はいつ会えるかわからないんだし……」
「ばあちゃん、大丈夫。ちゃんとまた来るから」
老女の方ががっかりしたように言い、グラシムがその骨ばった手を握って困ったように笑う。
レオニードは親密そうな3人の様子に口を挟むこともできない。
グラシムの表情や口調は5年前の面影をしのばせていて、懐かしさで目がくらみそうだ。
グラシムに視線で促されながら、奥まった部屋へ向かう。
彼はレオニードが部屋に入るのを確認すると、しっかりと内側からドアに鍵をかけた。
魔術で照らし出された部屋は、ベッドとテーブルがあるだけの質素なものである。
グラシムがテーブルを動かし、下に敷かれたカーペットをめくると、現れた床には小さな扉がはめ込まれていた。
グラシムが指を――まるでエリスが生前そうしていたように――ふるうと、かち、と小さな音がして扉が勝手に開いた。
「ちょっと待ってろ」
細長い体を窮屈そうに折り曲げて、狭い階段を使って地下室へ降りていく。
さほど待つこともなく、グラシムは両手に本を抱えて戻ってきた。
「落とすなよ」
無造作に押し付けられたそれらを眺めるも、背表紙には特に題名の記載がない。
中身を確認する前に、両手いっぱいの本とともにグラシムが再度姿を現し、本をレオニードの抱えた山の上に容赦なく積み上げると、先ほどと同様に指をふるって扉を閉めた。
カーペットとテーブルを戻し、同じく地下から取り出してきた袋に本の山を半分ほどしまい込む。
残りの本をどうするか少し考えたらしいグラシムは、結局マントを脱いで包み込んだ。
「落としたら承知しないからな」
袋の方をレオニードに持たせると、グラシムはすぐに家を出ていこうとする。
寂しそうな目をした老夫婦にやや引き留められかけたものの、王都への帰還を理由に丁重に断っていた。
「……彼らとはずいぶんと親しいんだな」
行きと違い、細かい路地を通って宿に向かうグラシムを追いかけながら、レオニードはぽつりとつぶやいた。
「親代わりのようなもんだ」
「……そうか」
もっと気の利いたことを言えないのか、と我ながら呆れてしまう。
ずっとヴィッテで他人を拒んできたグラシムがその実孤独でなかったこと、親と呼べるほど心を許した存在が彼にあったことが、レオニードは無性に嬉しかった――だが、彼の母を奪ってしまった自分にそれを口にする権利などあろうはずもない。
「……それよりも、ヴィッテ伯?」
足を止めずに、グラシムが声を潜めて、ほんのわずかに振り返った。
「このまま本当に王都へ戻る気か?」
「陛下への報告をせねばならん」
「のんきすぎないか」
また呆れられている――レオニードは彼と顔を合わせるたび、思慮の浅さを笑われているように感じてしまう。
被害妄想だろうか。
「あんたは自分に与えられた隊を壊滅させた。軍規に従えば処罰の対象になる。暗殺に対する反撃だと言ったところで証拠など見つけていないんだろう? 王都に戻れば論功行賞が行われる。あんたに対する糾弾の場になるだろう」
「……そうだな」
珍しくグラシムが饒舌だ、などと場違いなことを考えてしまうレオニードである。
そんなことは、彼に言われずともわかっていた。
「だが、グラシム。王都へ向かわずヴィッテに戻れば、それもまた兄上の逆鱗に触れるぞ」
「ヴィッテに戻らなけりゃいい」
「どこに逃げたととしても、私をかくまっていると言いがかりをつけて、兄上がヴィッテに兵を向けるだろう」
それなら、とグラシムの背中が低く笑ったような気がした。
「いっそ殺されてしまえばいい。手伝うよ、俺が」
************
王都への帰還は、行きと同様の行程ながら、途中で悪天候に見舞われたためやや時間を要した。
「きみの部下は本当にどこに行ったんだ?」
雨の気配を察した兵たちが素早くたてた天幕に逃げ込み、オデッサ公がレオニードに問う。
例によってグラシムはレオニードのそばから離れ、姿をくらませていた。
「さあ……私の近くにはいたくないようですから」
その言葉の終わらぬうちに、ざぁっ、と強い雨音が天幕を叩き始めた。
「……まあ、案外人懐っこい子だ。そのへんの天幕に潜り込んでいるのかもな」
「ええ……」
タルファスへ向かう道中に「人懐っこい」など聞いていたら首を傾げるところだったが、確かに彼にはそういう一面が子供の頃にはあり、あの街でも親しい人間には気安くしていた。
レオニードやヴィッテだけがグラシムにとっては「人懐っこく」なれない対象であるだけなのかもしれない。
雨は2時間ほど強弱を変えて降り続き、止んだ頃には周囲を一面のぬかるみに変えていた。
馬が嫌がるのをなだめながら移動を再開するも、やはりグラシムはどこにも姿がない――だが、それを気にしているのはオデッサ公と自分だけだ。
あれほど真っ黒な魔術師はどうやったところで人目を引くはずなのに、彼の不在をほとんどの人間が気にしていないことに、レオニードはやや違和感を覚える。
だがそれを口にするより先に、1騎の兵がこちらに走ってくるのが見えた。
「閣下、王子殿下からの伝令です。引き続き天候が崩れることが予想されるため、この先の街で本日は休息をとるとのこと」
「……この先といえばトリムか……全員は収容できんぞ」
「はっ。ゆえに、魔術師のうち伯爵位以上が街の宿を利用し、子爵以下と兵卒は街の外で野営となります」
「……承ったとお伝えしろ」
苦りきった顔でオデッサ公が頷き、伝令兵が行進の先頭へ戻っていく。
「なあ、今の聞いたか、レオ」
「……他の者の耳がありますので、のちほど」
頭の中に地図を描いてみる。
日没の時間を考えれば、無理をせずともトリムの街の先までは進めるだろう。
そこから少し街道をそれたところはひらけた高台になっていて、野営を張るにはもってこいの場所で、往路でもそこに野営した。
だが、王都でぬくぬく育った第3王子には、ただでさえ耐えがたい野営に雨が加わるというのは許しがたいことなのだろう。
「グラシムは、騎士だったか?」
「え、ああ、ええ」
「会ったら私の部下の天幕に来るように伝えてやれ。温かい飯もあるぞ」
「……ご厚情に感謝します」
話をしたいとき、先回りをするようにいつもグラシムはそこにいる。
今回もそうではないかと期待してレオニードは周りを見回したが、ひどく目立つ黒い姿はやはりどこにもなかった。
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