第45話

 翌日も雨は降り続き、討伐隊の出発は延期された。

 雨くらいで軟弱なとオデッサ公は苦笑するも、タルファス市長が黙ってそれを承諾したのを見て、朝の会議が終わるなりレオニードとともに宿にまっすぐ戻る。

 レオニードがオデッサ公にいとまを告げて部屋に戻ると、部屋付きの召使が困惑した顔をして待ち構えていた。


「あの、お客様……お連れ様が、戻ってこられたのですが」


 困ったように指さす先には、何やら不穏なふくらみを作った大きな麻袋がどすんと置かれている。

 薄汚れた袋には赤黒い血が染みついており、召使たちは一様におびえた様子で、床に放置されたそれを遠巻きにしていた。


 レオニードは警戒しながら袋に近づき、剣先で袋の口を少し開いて中を確認した。

 大きく嘆息し、召使たち全員に部屋から出るように指示する。

 居間を挟んでレオニードの寝室と反対側に作られた個室の扉をノックし、返事を待たずに扉を開けて中に入ると、ベッドの上に白いシャツの男が寝転がっていた。


「グラシム、帰っていたのか」

「……マナーを知らんやつだな。返事くらい待てよ」


 かすれた声で応じながら、グラシムは起きる気などないようだった。

 シーツに口元までくるまり、壁の方を向いてこちらを見ることもない。

 部屋には魔術で洗浄した思しきマントとフォルマが干されており、その下には無造作に剣が転がされていて、清潔なのにどこか血なまぐささを感じさせる空気が漂っている。


「いつ戻った」

「夜明けすぎ」

「食事くらいとったらどうだ」

「いらない」

「……あの袋の中身は?」

「俺はいらん」


 さっさと出て行けと手ぶりで示され、レオニードは取りつく島もなく部屋を出た。

 床に置かれたままの袋を取り上げ、中身を再度確認する。

 例の魔獣の、大型の個体の首が4つ、それから森の入口で待たせていた兵士の身分を示す札が入っている。

 レオニードたちと別れたあと、1人で狩ったのだろう。


(……これをどうしろと)


 猫が気紛れに獲物をとってきては飼い主に献上する行動に似てはいるが、そこまで可愛らしいものではあるまい。

 レオニードがこれをティオディス王子に提出すれば、いつ誰がどうやってと問い詰められるに違いないし、このまま隠したら隠したで、討伐隊はいもしない魔獣を探していつまでも森を彷徨うことになる。


(……他の隊の協力を得て押し付けるか)


 早速、先ほど別れたばかりのオデッサ公の部屋の扉を叩き、グラシムのについて相談する。

 オデッサ公から「この隊ならば口裏を合わせてくれるはず」とお墨付きを得た2つの隊の隊長に会うため、今度は雨の中彼らの泊まる宿へ足を向ける。

 元王族の突然の来訪に彼らは驚きつつ、深く事情を聞くこともなくレオニードの提案に乗ってくれることになった。


「むしろ我々も多少の功がなければ陛下に顔向けができませんので」

「そう言ってくれるならば助かるよ……あとで誰か宿に寄こしてもらえるか。首を渡すから、目立たぬように夜にでも」


 打合せ通り、彼らの配下が魔獣の首を受け取りに来て、おっかなびっくりといった様子で1つずつ抱えて帰っていく。

 残りの2つはレオニードが隠し持つことになり、兵の身分札は小さく祈りを捧げてから灰皿で燃やした。


 翌朝、天候が回復したことから討伐が再開された。

 レオニードとグラシムはオデッサ隊に編入され、11人で森へ足を踏み入れる。


「……俺の好きにさせてくれ」

「もう無理をすることはないが、まあ、日が傾く前に戻ってくるんだぞ」


 グラシムは集団行動を厭ったのか、オデッサ公の制止を振り切ってまたしても隊を離れて姿を消してしまった。

 どれほどグラシムが暴れたのかわからないが、森には魔獣の気配がほとんどなくなっていた。

 たまに生まれたてと思しき幼獣を見つけ、ほとんど手をかけずに始末していく。

 子犬に似た姿をしたそれが悲鳴を上げて斃れる様は、犬好きのレオニードにしてみれば少々つらい。


 やがて日が正中を過ぎた頃、約束通りグラシムが戻ってきた。

 その左手にぶら下げられた2頭分の大型魔獣の首を見て、レオニードは少々げんなりした。


「やりすぎだ」

「そんなことはないだろう。1級魔術師が3人、2級魔術師が3人もいるんだ。これくらいの戦果は不思議ではない」


 オデッサ公のとりなしを、グラシムは恩知らずにも素知らぬ顔で聞き流している。

 適当に放り投げられた生首を受け取った平民兵たちがあたふたしながら、袋にそれらを丁重におさめた。


「まあしかし、十分ではある。戻ろうか」


 予定よりもずいぶん早い時間だが、「このあたりに魔獣は残っていない」とグラシムが言うので、彼らは即座にタルファスへ撤収した。

 昨夜の雨のおかげで足元がぬかるんでいるため、思ったよりも時間と体力を要したが、途中でグラシムが普通の鹿を魔術で仕留める程度には余裕を残しての帰還となった。


「その鹿はどうするんだ?」

「宿代代わりに使います。よろしいでしょう?」

「ああ、グラシムは宿で休んでいないんだったな……レオが許すなら行っておいで」


 いつの間にかグラシムはオデッサ公爵とすっかり普通に会話をする仲になっているようだ。

 許しを得たグラシムは街の入り口で堂々と隊を離脱し、レオニードは彼の相変わらずの自由さに頭を抱えたくなった。


 初日にレオニードが――正確にはグラシムが仕留めた大型魔獣2体、それから6頭分の大型魔獣の生首。

 合計8頭の大型魔獣と、それに付随する数えきれないほどの小型魔獣の討伐により、一定の成果を上げたと判断し、ティオディス王子は討伐の終了と王都への帰還を宣言した。

 実際のところ、僻地での滞在に、ティオディス王子は嫌気がさしていたとみえる。

 タルファス市長の丁重な謝辞があり、その夜は市庁舎の一角で盛大な宴が催された。

 部屋の収容人数と身分の問題があるので招かれたのは魔術師だけだったけれど、グラシムはやはり宴に姿を見せなかった。


************


 ミルスロータの民はもとは遊牧民であり、今でこそ定住しているものの、北部の痩せた土地では農作物も十分にはとれない。

 食事は焼いたり煮たりした肉が中心で野菜は少なく、蕎麦の仲間だという穀物を用いた平たいパンとともに食べる。

 酒はややにごっていて香りも度数もきつい。


 宴に呼ばれた北方の踊り子が舞うのを、レオニードはやや酔いの回った目でぼんやりと眺めていた。

 王都の女性に比べて背が低く骨が太いが、色は白く肉付きもよい。

 ティアディス王子が好色そうな目で踊り子を眺め、酌に回る彼女たちの腰に手を回して戯れていた。


「閣下は、あまりお楽しみではない?」


 他の者からやや離れていたせいか、つまらないように見えたのだろうか。

 先ほどまで踊っていた娘が、水差しを手にすぐそこにきていた。

 他の女性に比べて色の濃い赤茶けた髪をしていて、レオニードはふとグラシムを思い出した。


「にぎやかな席は苦手でね」

「では、静かなところに案内しましょう。少しお休みになられてはいかが?」


 レオニードは苦笑しながら閨への誘いに首を横に振る。

 妻への操を立てているわけではないものの、もともとそちら方面の欲は薄い。

 断られた娘は少々怪訝な顔をしたものの、すぐに気を取り直したか、にこりと妖艶に微笑んでみせた。


「少し風に当たりましょう」


 半ば強引に手を取られ、レオニードは逆らいかねて席を立った。

 オデッサ公の従者がこちらを気にして腰を浮かすのを手で制し、レオニードと娘は静かにバルコニーへ出た。

 自分でも思っていた以上に酔っていたのか、頬を嬲る夜風が心地いい。

 どうぞと娘に差し出された果実水を口に含むと、すっと頭の芯が冷やされる心地がした。

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