第43話
背後から向けられるやけに熱のこもった視線を感じながら、グラシムは彼に気取られぬよう小さく息を吐いた。
(……やっぱり助けるんじゃなかった)
オデッサ公爵――本人はゲオルグおじさんと呼んでくれとやけに馴れ馴れしいヒゲの酔っ払いであった――から、レオニードの暗殺計画があることを知らされたのは、出陣の朝のことだ。
市長からの預かりものだと、周囲にそれと知られず地図を手に顔を近づけてきて、なんだこのヒゲ野郎そんな趣味だったのか、などと失礼なことを考えるグラシムの耳元に、ほんの2言3言ささやきかけた。
「レオが殺される」と。
グラシムとてこの数年間、暇を持て余していたわけではない。
自分が集めた情報だけでなく、妙な情報網を持つエフィムからもレオニードの立場が危ういことを知らされていた。
だから、オデッサ公爵から情報提供を受けたときも「やはり」としか思わなかった。
というよりも、平民にだってアレクサンドル王子がヴィッテ伯爵を目の上の瘤だと毛嫌いしていると噂が回るほどで、王族同士のごたごたを外部に知られていないと思っているのは、普段城にこもって日焼けもしていないようなお坊ちゃまお嬢ちゃまくらいだろう。
あの馬鹿王子は――違う、馬鹿元王子にもオデッサ公爵は忠告していたようだが、本人は馬鹿なのですっかりそれを忘れ、普段の魔獣討伐と変わらぬような態度で、周りを警戒することもなく山歩きで疲れたなーという顔をしていた。馬鹿だから。
グラシムはあのとき魔獣に半分、地上の兵士らに残り半分の意識を向けていた。
矢が放たれたらすぐに魔術が追い打ちをかける作戦なのに、誰ひとり『陣』を描いていなかった――さすがの馬鹿でも、自分に向けられた『陣』があれば気づくから、だろうか。
もしもあそこで魔術の追い打ちがあれば、レオニードはもう少しひどい傷を負っていたはずだ。
魔獣がグラシムとレオニードに食らいついている隙に、『陣』を描いて魔術を発現させ、もろともに打ち倒す――というあたりが彼らの計画であったに違いない。
ずいぶんと適当だな、とグラシムは呆れてしまう。
一度くらい痛い目を見せておいたほうが本人の目も覚めるだろうと、魔獣の目の前に落下するのも放置したし、古代魔術を発現させるときにはわざと一緒に吹っ飛ばしてやった。
もちろん殺さないように加減したものの、自分の術が魔獣のそれと干渉でもしたのか、思っていた以上の威力が出てしまい、彼を回収しに行ったらほとんど瀕死で、ちょっぴり慌てて急いで治癒術をかけたのは内緒だ。
古代魔術はグラシムにとってもまだ全体像を掴めない強大なもので、油断をするとときにこういう予想外のことが起こってしまう。
レオニードは爆発の前後で記憶が飛んでしまっていたらしく、グラシムには深い矢傷を癒してもらったと勘違いしていたので、これはこのまま墓場まで持っていこうとグラシムは思う。
ちなみに細かい骨折などを放っておいたのは、痛い目を見やがれ、という単純な嫌がらせである。
(しかし、調子狂うなぁ)
先ほど強めに釘を刺してやったおかげで話しかけてくることはなくなったが、機会があれば何かしゃべろうとしているのは気配でわかる。
心底馬鹿なのか、それとも育ちの良さというやつなのだろうか――進路をふさぐ蔓を魔術で払い、道を作り出しながらグラシムは呆れてしまう。
この5年間、グラシムが憎しみを育てているのと同じ速度で、レオニードは自省の日々を過ごしていた。
グラシムが一言求めれば、レオニードは喜んでただちに首を自らはねてみせるだろう。
かつては自信に満ち溢れていた兄貴分のそういう惨めな姿を見ると自分の牙が折れてしまいそうで、城にはなるべく近づかず、エフィムの勧めでミルスロータへの遊学も決めた。
ミルスロータは思いのほか温かくグラシムを迎え入れてくれ、これはこれで芯がぶれてしまいそうだったのだが、それはともかく、ミルスロータで文字通り血反吐を吐きながら多くを学んで戻ってきた。
ヴィッテに戻って久々にレオニードの顔を見ても何の動揺もなく、いつか殺してやると思えた自分に満足した。
むしろ、今回の討伐中に何かが起こるだろうから彼を護るように、とエフィムに指示されて激しく口論してしまったほどには、彼のことなど大嫌いだ。
それなのに、もうこれだ。
グラシムは自分の弱さにため息をつきたい気持ちになる。
エリスを死なせる原因になったレオニードのことは許せないけれど、エリス以外の世界を見せてくれたレオニードとの交流が楽しくて貴重な思い出であったことも事実だ。
耳に心地よい声でラシーと呼んだことも確かにあったのだ。
そんな記憶はなるべく奥底に沈めて忘れようとするのに、憎しみを思い出すと同時にそれらも顔を出す――まるで、グラシムに彼を殺させまいとするように。
(……まあ、今じゃないんだけどさ)
そう。
彼を殺すのはいつでもできる。
ただ、彼に今死なれると困る。
不意に背後でどしゃっと音がして、振り返ればレオニードが何かに躓いて転んでいた。
手首をひねったらしく、痛そうに顔をしかめている。
グラシムはとっさに治癒の『陣』を描こうとし、次の刹那でそれを霧散させる。
「何してるんだ。さっさと癒して、行くぞ」
感情を配した口調で言い捨てて、わざとらしくない程度に空を見上げる。
このまま進めば、日が傾くより前にはオデッサ公爵と合流できるだろう。
遠くに意識を向ければ彼の魔力を感じることができた。
************
レオニードの体力が思ったよりも足りなかったせいで、オデッサ隊との合流はグラシムの予想よりもやや遅くなった。
それでもタルファスへ引き上げていこうとする彼らに追いつけたのはよかった。
これ以上馬鹿の面倒を見るのはごめんだと、グラシムはさっさとオデッサ公爵にレオニードを押しつける。
「グラシム、報告くらいはしないか」
「……それはヴィッテ伯からお聞きください、閣下」
「閣下じゃないだろ、ゲオルグおじさんだ」
言いながらオデッサ公爵がグラシムの首に太い腕を回す。
なんだこの野郎こんな時間からもう酔ってるのか、と眉をひそめたくなるグラシムの耳元に、彼は低く「レオを守ってくれてありがとう」と囁いた。
彼ら2人のほかに誰もいないことで、だいたいの状況を察したらしい。
まあ、やたらとぼろぼろなレオニードの見た目を見れば、彼がろくな目に遭わなかったことくらいは誰にでもわかるだろうが。
「……俺にも事情があるだけです」
オデッサ公爵の暑苦しい体を押しのけながら、グラシムは再び森の奥へと視線を向ける。
「グラシム、どこへ行くんだ?」
「森へ。もう少し数を減らしておきます」
「ちょっと待て。もう日が暮れる。危険だ」
「問題ありません……夜は俺の領域なんで」
ねえ、ヴィッテ伯? とあえて笑いながら声をかけると、レオニードの顔がやや引きつるのがわかった。
これ以上引き留められる前に足を速めて森の奥へと進む。
真っ黒な髪と真っ黒なフォルマは、あっという間に彼らの目からグラシムを隠してくれるだろう。
ある程度距離を取ったのち、グラシムはさっと魔術を発現させて木々の上へ身を躍らせる。
こうしておけば、誰が追ってきても見つかることはない。
(そもそも集団行動なんて性に合わないしなー)
あくびをしながら自らに目くらましの術をかけ、太い枝の上に体を器用に横たえた。
グラシムが魔術師となってから誰かとともに行動した回数など、片手で数えられるほどだ。
そもそも誰かがそばにいるのは落ち着かないし、他人の目がある場所では本来の力を発揮することもできない。
そっと手を宙に向けて差し伸べる。
爪の先からじわじわと黒い霧がにじむのを確認し、ふと息を吐いてそれを霧散させた。
(どこまで狩るかな? 俺が全滅させてもいいけど、それじゃちょっと怪しまれそう……でも
グラシムにとって、ミルスロータはほんの2年ほど滞在しただけの場所だが、第2の故郷と呼べる程度には愛着のある場所だ。
彼を温かく受け入れてくれた友人たちが魔獣の害に苦しめられているのならば、なるべく魔獣を減らしてからヴィッテに戻りたい。
(……とりあえず兵士を片付けたら大型の個体だけでも狩っておくか。小型のは多少残して、時々は様子を見に来るようにしよう。それくらいならエフィムも許すはずだ)
魔獣の繁殖速度がどれくらいなのか考えながら、空を見上げる。
空の端にはまだ夕焼けも現れておらず、夜がくるのはもう少し先になりそうだ。
所在なさげに宙をさまよった右手が、なんとはなしに胸元を探り、服の内側からペンダントを引きずり出した。
かつて“黒の森”が失われた際に見つかったという、焼け残ったブローチ。
そこから外された菫色の宝石が、今はペンダントに加工されてグラシムの胸元にある。
本来身分証でしかないこの宝石を、元の持ち主はなにやら便利に使っていたらしく、彼女が死んで5年が経ってなお、石の内には彼女のこめた魔力がほんのり残っている。
グラシムは指先からにじませた黒い霧で石を丁寧に包み込み、放置すると自然と漏れだそうとする彼女の魔力を石の奥深くに追い込んだ。
今はもう、これしかエリスのぬくもりを残すものがないから。
グラシムは優しい手つきでペンダントを服の中へと戻し、最初の仕事を片付けるために体を起こした。
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