第41話
レオニードは王子で、10番目で、17番目の末っ子だった。
だから、だろうか。
誰からも愛されたし、誰からも大事にされたと自覚している。
満たされることが当然で、自分が望まなくとも周りが動いてくれていた。
その代わり、王冠だけは望んではならなかったけれど。
兄たちが自分に嫉妬しているなんて、最初は信じられなかった。
幼い頃は離宮でともに学び、いつも可愛がってくれた彼らが、自分に何故憎しみを向けるのか――いつから、そうだったのか。
誰もが望み誰もが手に入れられないものを彼だけは手に入れられるはずで、どうして妬まれるのか本当にわからなかった。
だが成長するに伴い、自分の顔かたちだけでなく魔術の素養もまた父王に最も近いところにあることを理解し、ようやく兄たちの気持ちがほんの少しわかった気になった。
だから成人後の希望を父に訊ねられたとき、最初は姉のように領地を賜りたいと申し出た。
兄たちのためにも自分は王都にいてはならないと思ったのだ。
父はレオニードの希望を受け入れたものの、それを先延ばしにし、領地の統治に必要な知識や人脈を得るため、当分王都で執務にあたるよう勧めた。
実際、姉も社交や政治の場で揉まれた経験があるからこそ、今は優れた領主として君臨しているのだと説得されれば、否はなかった。
だが王都での暮らしは退屈で窮屈だった。
兄たちの疑念を搔き立てぬよう、軍から離れて文官としての執務を選んでも、彼らはレオニードにろくな仕事をさせようとしない。
社交の場に顔を出せば、父親をつれた令嬢たちの値踏みするような視線に晒される。
たまに体を動かそうと騎士団の元へ向かっても、騎士を篭絡しようとしているのではないかと、3番目の兄から探りが入った。
魔術師こそ体術が必要であると彼らも知っているはずなのに。
いや、2級魔術師である兄たちにはわかっていなかったのかもしれない。
1級魔術師と2級では使うことのできる魔術に大きな隔たりがある。
1級魔術師はその膨大な魔力をもって、攻城級の魔術をも使うことができる。
それほどの魔術を発現させようとすれば当然『陣』も複雑で呪文も長くなるり、敵に隙を突かれるリスクが高くなるのだ。
だからこそ、強力な魔術師ほど魔術によらない身を守る手段を複数持つことを推奨される。
2級でしかない彼らには、そういった理屈があまり理解できなかったのかもしれなかった。
エリス・ランドスピアは、そんなレオニードにとって憧れの存在であった。
父王よりも強力な魔術師であるのに、彼女は王権なんぞ鼻にも書けなかった。
一度だけ、エリスの助けを借りて彼女の『陣』を見せてもらったことがある。
まるで絵画のように美しく、精緻で、精密で、無駄なく洗練された『陣』。
自分が同じ魔術を使おうと思っても、ああはなるまい――教師に教わったものをそのまま描いていた自分の『陣』に、いかに無駄が多いかを思い知らされた瞬間だった。
「いいかい、レオ。誰かに教わるままってのはよくない。そこから踏み出すのが魔術師の本質だ」
『陣』を改良できることも、手を加えることが許されるというのも、エリスが教えてくれた。
『陣』は教典をもとに作り出された神聖なものであって、神界におわす神々の助力を請うための重要な窓である。
だがその常識さえ、エリスは自由に飛び越した。
羨ましかった。
ああなりたかった。
いや――違う。
本当になりたかったのは、彼女のような柔軟性を持ちながら、父王のようにその力を国のために使うような、そんな存在だ。
矛盾している、と思う。
エリスがああも自由になれたのは国に尽くす王侯貴族の義務を放棄したからで、父王とは対極の位置にいた。
だが、レオニードは10番目で、17番目の末っ子だ。
父王のようにはなれない。王冠はこの手に届かないのだから。
だからレオニードはエリスの弟子となり、彼女のそばで学びたかったのだ。
ふと瞼の裏に、真っ黒な目をした青年の姿が浮かぶ。
墨を流したような髪は、旅の疲れでずいぶんと痛んでいた。
初めて会ったとき彼の髪や目は平民らしい茶色で、こんなに珍しい色をしているとは思ってもみず、ヴィッテで久しぶりに見たときは誰なのかまったくわからないほどだった。
あの青年が現れければ、と考える。
もし彼が現れなければ、レオニードは今どうしていただろうか。
エリスは今でもレオニードを拒んでいただろうか。
ずっと満たされることが当然であったレオニードにとって、エリスとグラシムという2人の存在は不可解で、理不尽で、そうして眩しかったのだ。
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