第40話

 レオニードに与えられたのは、グラシムと2級魔術師3人、平民兵10人からなる合計15人の小隊である。

 1級魔術師2人、2級が3人と、単なる魔獣討伐にしては異様に強力な編成だが、決して兄王の好意から出た話ではあるまい。

 レオニードの身を危惧したオデッサ公爵が同行すると主張したものの、他にも強力な個体がいるからと、彼もまた別の隊を指揮することに決まった。

 平民兵には剣と弓を渡しており、目標を見つけると彼らがまず突っ込んで足止めをし、その間に魔術師が後方から攻撃魔術の『陣』を練り、兵の動きとタイミングをあわせて一掃する手はずになっている。

 彼らはタルファス市から西の方面の探索を請け負った。

 北方山脈のふもとに広がる深い森に入ることになったため、森の手前に伝令を兼ねた兵を1人の残し、馬を置いて徒歩で進んでいく。


 ヴィッテとまったく植生の異なるこの森は、背の高い樹々が今を盛りとばかりに葉を茂らせているため空が狭い。

 日中だからだろうか、生き物の気配はあまり感じられず、鳥の鳴く声が時折響く中を、彼らは無言で進んでいった。

 14人の中で最も森歩きに慣れているのは、どうやらグラシムのようだ。

 他の者が獣道を難儀しながら歩くのを後目に、身軽に進んでいく。

 たまに振り返って他の者のペースを確認している様子を見る限り、一匹狼のように見えて、意外と集団行動に抵抗はないようだ。


「――少し先を見てきてくれないか。休憩できる場所があればいいのだが」


 レオニードが声をかけると、グラシムはさっと身をひるがえしてそれこそ獣のような身軽さで森の奥へと入っていった。

 やや上り坂であるため、他の者たちはすでに薄く汗をかいているというのに、彼は息も乱していなかった。

 自分も他の者も、兵士であり魔術師である以上は、多少なりとも鍛錬を積んでいるはずなのに。


「ヴィッテ伯、彼はミルスロータから徴用した兵ですか?」

「いえ、ヴィッテの魔術師です。こちらに遊学していたことがあると聞いていますので、慣れているのかもしれませんね」


 他の魔術師と話しながらゆっくり進んでいくうちに、グラシムが戻ってきた。


「……いったん停止を。この先に魔獣の集団がいる。目標の個体を確認した」


 その声が誰のものなのか、レオニードには一瞬わからなかった。

 グラシムの薄い唇が動いているのを見て、やっと5年ぶりに耳にする彼の声だと気が付いた。

 変声期を抜けてなお低くなった声はひどくかすれ、とても20歳そこそこの青年のそれとは思えない。

 彼がこの5年間、決して安穏と暮らしていたわけではない事実がにじんでいるようで、レオニードは胸を鷲掴みにされたような痛みを覚える。


「いきなりか……運がいいな。隊列を組み直せ」


 レオニードは感傷を振り切り、素早く兵たちに指示を出す。

 平民兵たちに囲まれるように魔術師が位置をとり、なるべく音を出さぬように歩を進めていく。

 さらに運のよいことにこちらは風下だ。


「小型の個体が20、大型の個体が2だ」


 グラシムの目はこちらを向いていないが、自分への報告であろう。

 レオニードは頭の中で素早く計算をする。

 魔獣の戦力を考慮すれば、2級の術者と兵を小型の魔獣の討伐に集中させ、1級魔術師である自分たちが大型魔獣をそれぞれ相手することで分断させるべきだ。

 大型の魔獣以外は、さほど脅威にはならないと聞いている。


「兵は小型の個体の足止めを。術師はそれを支援して殲滅。私とグラシムが大型個体の相手をする――グラシム、いいね?」

「…………」


 返事はない。

 だが、彼は腰の剣をすらりと抜いて構えながらレオニードの横に並ぶことで応じてみせた。

 不思議と、その剣が自分に向けられることはないような気がした。


 坂を上りきり、急な下り坂をやや進んだところで、グラシムが「ここだ」と小さく声を出して足を止めた。

 一行が身を潜めている茂みの向こうに見えるのは幅の広い川で、川原には石がゴロゴロ転がっており、足場がいいとは決して言えない。

 その川原に巨大な犬のような魔獣が1頭、水を飲んでいる姿が見えた。

 周囲には似たような外見でもっと小型の魔獣が数多くいて、獣同士でじゃれあったり寝そべったりしている。

 やや離れたところにもう1体大型の魔獣がおり、こちらは周囲を警戒している様子だ。

 ねじれた角が頭部に生えていなければ、そのあたりにいる普通の野良犬の群れだと勘違いしそうな光景である。野良犬にしては大きすぎるのだけれど。


「私とグラシムは空から攻撃する。私たちが浮遊して合図を出したら、この場から弓と魔術で攪乱を」


 小声で指示を出し、グラシムに目配せをして静かに体を宙へ浮かせた。

 足元の兵たちがきりきりとかすかな音を立てて弓を絞っていく。

 高度を調整しながら樹に隠れるようにして前方に進み、獣に勘づかれない程度の高さを維持しながら川原の上空に出て、そのままゆっくりと魔獣の真上に移動した。

 魔獣の種類によっては魔力を感知するものもあるが、これらの個体はそうでないことはタルファス市長からの報告で知っている。


(今だ!)


 レオニードは茂みに隠れた者たちに手振りで合図を出した。

 鋭い音が空気を切り裂き、一斉に矢が射出される――レオニードに向かって。


「な――――っ!」


 真下の魔獣に向かって『陣』を練り上げていたレオニードは、不意の攻撃にまったく対応できなかった。

 すぐそばにいたグラシムが剣で矢を叩き落とすものの、2本の矢がレオニードの左肩と右わき腹に突き刺さった。

 体を弾き飛ばすほどの衝撃で浮遊の魔術が解ける――魔獣に向かって体が落ちる。

 魔獣がレオニードに気づいて稚拙な『陣』を描くのが見えた。

 防ぐ間もなく鋭い風がレオニードの全身を切り刻んでいく。

 致命傷には程遠いが、痛みと衝撃で集中が途切れ、体勢を立て直すことも『陣』を描くこともできないまま、レオニードは地面に叩きつけられた。

 なんとか受け身を取ることには成功したものの、石だらけの地面に打ち付けられた衝撃はすさまじく、骨がいくつも折れたのがわかった。

 頭を打たなかったのは奇跡かもしれない。


 魔獣が緩慢な動きで近づいてきて、レオニードを見下ろした。

 生臭い呼気。

 口を大きく開くと、上顎にまでびっしりと細かい歯の生えたおぞましい光景が見えた。


(――――――兄上の策にはまり、死ぬのか)


 それはほんの刹那であったはずだ。

 レオニードの脳裏に、ヴィッテに残してきた者たち、グラシム、エリスのことが思い出された。

 自分がしたことは、確かに死に値する行為であった。

 だがなんとなく、自分がグラシムに殺されて人生を終えるものだと思っていたから、このような最後は予想もしていなかった。


 グラシムは、何をしているのだろう。

 さっさときて自分にとどめを刺さないと復讐が終わってしまうぞ。


 獣のガラス玉のような目と視線を合わせたまま、レオニードが薄く微笑んだとき。


「ざまあないな、ヴィッテ伯?」


 ひどくかすれた声がして、大小の魔獣も、茂みの向こうにいた裏切者たちも、レオニードまでも真っ黒な霧が包んで、情けも容赦もなくまとめて吹っ飛ばした。

 レオニードの意識は、そこで途切れた。

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