第39話
市長との面会は市長自身の意向により、代表者であるティオディス王子と作戦参謀、それぞれの護衛のみが参加することとなり、他の人間は早々に与えられた宿へ入ることになった。
タルファス市長はかつてミルスロータの民を率いた族長の末裔であり、400年を経た今もなお王家に準ずる家として遇されている。
カンチアネリの王族とはかけ離れた平民のような外見をした僻地の市長とはいえ、この土地においてのみは貴族以上に存在感があるため、さすがのティオディス王子も市長の意向を突っぱねることは控えたようだ。
タルファス市は観光都市ではないが、大陸全土にいくつか存在する宗教上の聖地のひとつであり、通年を通して巡礼者を受け入れてきた歴史があって、宿泊施設には多少の余裕がある。
最近は魔獣被害のため巡礼者の数も減り、街中にもミルスロータの民と思しき見た目の者の姿ばかりが目立った。
ミルスロータの人々はやや赤茶けた髪が多く、日陰に入るとグラシムのそれになんとなく似た色合いにも見える。
“知恵の樹”に与えられた叡智によれば、ミルスロータ族を含むいにしえの遊牧民たちの多くが黒髪黒目であったという。
今は王国民との混血が進んだため、黒髪黒目はまずお目にかかれないものの、細い目や筋の通った鼻梁などには、確かにグラシムのルーツを感じさせる。
身分ごとに分けられた宿のうち、レオニードに与えられたのは、今回手配された中では最も上等なものであったらしい。
部屋にはそれぞれ召使がついており、甲斐甲斐しくレオニードの世話を焼いてくれる。
その様子を他人事のように眺めていたグラシムだが、自分に与えられた個室に向かうとそちらにも召使が控えており、埃にまみれたマントとフォルマを引っぺがされそうになって、慌てて部屋から飛び出してきた。
「グラシムはこの街に馴染みがいるのだろう? 連絡さえ取れるのなら、そちらに行っても構わないよ」
レオニードの言葉に、グラシムの細い目が疑り深い色に染まる。
一応は、自分がレオニードの従者としてこの戦にきている自覚はあるらしい。
「自分の身は自分で守れる。軍規違反なんかには問わないから……ただし呼びだしたらすぐに応じるように」
少々悩んだのち、グラシムは小さく会釈をして部屋を出て行った。
5年間自分を憎み続けている青年から、まさか会釈程度とはいえ反応が返ってきたことにレオニードは驚き、やはり懐かしい土地に戻ったことでグラシムがやや気を緩めているのだと思った。
(この地にいる間にせめて声くらいは聞けたらよいのだが……)
レオニードは召使に用意させた風呂で旅塵を洗い流しながら考える。
だが、声を聞けたからどうだというのだろう。
彼の中にはレオニードに対する恨みと憎しみしかないはずで、対話が成立したところで何かが変わるとは思えない。
レオニード自身、彼に対しては謝罪の言葉くらいしか持ち合わせておらず、あの日エリスを喪ってしまったことへの言い訳さえも浮かばなかった。
許される資格などない。
言い訳する資格さえない。
自分は、彼のたった1人の家族を奪ってしまった。
かつてエリスはレオニードを、根は素直で頭もよいが視野が狭く未熟な一面があり、王座を得られないために屈折した性格を持ち合わせていると評価していた。
そんなことなどレオニードは知らないが、自らの軽挙で父王と同じくらい尊敬する伯母を喪って以来、己の欠点から目をそらさずひたすらに向き合い続けてきた。
過去の自分と顔を合わせることができたら、その場で縊り殺したいほどだ。
努力の甲斐あって、周囲からの信用を得ることに成功し、義父の築いた地盤の上で彼の力を借りつつも、過去のヴィッテ領主にも恥じぬ政治を行ってこられた。
“知恵の樹”の叡智にも多少は助けられた。
土木工事や魔術を用いた産業についての知識を持った過去の賢者のおかげで、いくらかは有益な助言ができたことは確かにある。
土地に現れる魔獣たちを、強大な魔術で吹き飛ばしていくつもの村の平和を守ってもきた。
しかし領主としての仕事をすればするほど、賢者として最も重要な叡智の探究はできなくなっている。
領主としての結果が出れば出るほど、アレクサンドル王子からは激しく嫉妬され、何年も嫌がらせを受けた挙句にこんな場所へ送り込まれてしまっている。
自分はいったい何をしているのだろう、と思う。
敬愛する伯母上を――彼の母を殺してまで奪った賢者という肩書なのに。
エフィムやその長男に領主の地位を返上しようと考えたことは何度もあった。
だがエフィムは政治的失策を理由に隠居した身であり、不興を買った原因であるアレクサンドル王子が王の代理を務めていることを考えれば、今後も政治の場に戻ることは難しいだろう。
長男はやっと成人した頃で、父親や家臣らの補佐があれば領主の職を務めることが可能だと思わせるだけの賢さはあるのだが、魔術の才能がからきしで、4級魔術師にしかなれなかった。
魔術の素養をなによりも重要視する王国で、貴族として表舞台に立つことはこちらも現実的ではない。
ではエフィムの娘である己の妻を領主にと思うけれど、こちらはそれこそアレクサンドル王子に比肩する人格的な問題で論外である――領民さえ、レオニードに同情するほどなのだ。
どこかで立ち止まるべきだったのだ、とレオニードは今でも過去を悔やむ。
そのどこかは言うまでもなく、グラシムを殴りつけて“黒の森”へ飛び込んだあの夜だ。
あの場面で才気あふれる弟分を認め、ともに王国を支え合おうと――その一言さえ口に出す勇気が自分にあれば。
だがどれだけ悔やんでも時間が戻ることはなく、賢者の叡智の中にもそれを可能とする術は見つからない。
************
タルファス市に到着した翌日は休日となり、その次の日に主だった魔術師を集めた作戦会議が行われた。
グラシムには魔術の鳩を飛ばし、作戦会議の日も休日とすることを伝える。
本来であればレオニードの護衛を兼ねた従者であるのだから同伴させるべきなのだが、あの見た目は相当目立ってしまうし、歴史ある貴族家出身の魔術師たちの不興を買いかねない。
どこにいるのかなんとなく鳩を目で追えば、街のずいぶん奥まったところに滞在しているようで、鳩の到着地点を宿の窓から確認することはかなわなかった。
市庁舎の会議室には、タルファス市を中心としたミルスロータ自治区の詳細な地図が張り出されており、市長自ら魔獣の被害を報告していく。
ほとんどの魔獣は風に属する魔術を使い、身体も小さくさほど強力ではないものの、数が多く、また魔術を使えない平民にとっては充分に脅威である。
特にミルスロータ自治区には、恐らくその歴史的経緯のためであろう、魔術の素養を持つ人間が極端に少ない。
王国民との混血が進んだといっても、ほとんどは平民階級の自然な交流の中で育まれた縁である。
元族長である市長の家系に、この400年のうちに数名の姫君が降嫁した記録はあるものの、異民族の融和目的で送り込まれただけの彼女たちには、魔術師としての素養がそこまであったわけではない。
結果、平民階級にも市長の家系にも魔術師の素養はほとんど混じらず、ごくまれに4級相当の魔術師が生まれる程度で、魔獣退治などもってのほかという状況なのだ。
「特に問題となっているのが大型の個体で、こちらは――」
市長の報告を聞きながら、レオニードたちは明日以降の作戦を詰めていく。
明日は天候が荒れることが予測されているため、討伐は明後日の朝から始めることに決まった。
思った通り、獣たちの長である強力な個体に差し向けられる討伐隊には、レオニードの名前が含まれていた。
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