第37話
勅命が発せられて3か月後――レオニードはグラシムとともに王都ダルクレーニに来ていた。
家臣たちは、主に悪感情を抱いていることを隠そうともしないグラシムとの出陣に最後まで反対していた。
レオニードにとっては5年ぶりの里帰りである。
もっとも今回は城に立ち寄ることはできない。
父母と顔を合わせたい気持ちはあるのだが、下手に動き回って長兄を刺激したくなかった。
「……静かだな」
都をぐるりと囲った外壁の門をくぐったレオニードは、周囲を見回して眉をひそめた。
以前は数多くの露店が並んでいた大通りには、まだ昼前だというのにほとんど店が出ていない。
露天商がいないためか通行人の姿も少なく、さすがに王都だけあって閑散としているというほどではないものの、5年前と比較すれば雲泥の差だ。
門を守る兵士たちの雰囲気もどこか荒んでいたし、これならばヴィッテのほうがよほど空気がよい。
「グラシム、一応周りに気をつけながら来てくれ」
相変わらず返事ひとつ寄こさない部下に声をかけ、王城へ向けて馬を歩かせる。
ダルクレーニは内と外の二重の壁に守られた都市である。
内壁の真ん中には王城があり、それを囲むように貴族街が、内壁を隔てて平民の暮らす街がある。
王城を起点として東西南北に8本の大通りが放射線状に伸び、今彼らがいるのは外壁の北西門につながる通りだった。
さすがに露天商とは違い、店舗を構えている商人たちはしっかり営業しているようで、街の中心に近づくにつれて人の姿も増えてくる――露天商は外壁に近いエリアでしか営業を許可されておらず、中心に近いところでは見かけることがない。
だが道に落ちているゴミが増えていたり、子供の声が聞こえなかったりと、なにかが以前と違うのは間違いなかった。
「……食糧難はすでに去っているのだが」
思わずつぶやいたレオニードに、くっと背後から笑うような声が漏れた気がした。
振り返ればひどく醒めた黒い右目と視線がぶつかる。
平民出身のグラシムにはこの変化の理由がわかるのだろうが、どうせ聞いたところで、挨拶一つ返さない彼が教えてくれることはないだろう。
レオニードは視線を正面に戻すと、王城を囲む内壁へ再び馬を進めた。
王城の謁見室にはすでに多くの貴族が集められていた。
貴族はすなわち魔術師であるものの、正式な場では魔術師としてよりも貴族としての装いをすることを許されている。
黒いフォルマを着ているのはグラシムだけで、胸元に輝く1級魔術師の証と、他ではまずお目にかからない漆黒の髪に周囲の目が集まる。
「ヴィッテ伯ではないか」
「オデッサ公、ご健勝のようでなによりです……あなたも出陣を?」
「ああ、陛下たってのお願いで」
話しかけてきた中年男――オデッサ公爵は王の弟であり、国軍の将である。
レオニードにとっても叔父であるから、それなりに面識はあった。
今でこそヴィッテ伯などと他人行儀な呼び方をしているが、私的な場では今でもレオと愛称で呼んでくれるし、レオニードのほうも同様だ。
「お目付け役というわけだ」
オデッサ公爵が誰にも聞こえない程度の声で囁きながら苦笑する。
誰の、ということは聞かなくともわかった。
この軍を率いる大将はティオディス第3王子であり、アレクサンドル王子に最も近しい立場にいる――つまり、長兄と似た者同士というわけである。
「ところで、ヴィッテ伯……彼は?」
オデッサ公爵の視線が、レオニードからやや離れたところに佇む青年に向けられている。
周囲の好機の目をものともせず堂々と佇むその姿は、若干の傍若無人さをも感じさせた。
「私の部下です。今回ヴィッテからは、彼と私の2人が出陣します」
「たった2人で……? あれは平民だろう?」
言いながら、オデッサ公爵は口をつぐんだ。
グラシムの胸元に輝く深い紫色のブローチ、1級魔術師の証に気がついたのだ。
オデッサ公爵の胸に光るそれと同じ色である――ちなみに王族は淡い菫色の宝石を使っている。菫色はこの国の貴色でもあった。
「……平民なのに、1級?」
「疑問に思われるのは当然です。しかし彼はエリス・ランドスピアに育てられたのです」
エリスはグラシムが魔術師として開花するより前に死んだ。
魔術師として彼を育てたのは前ヴィッテ伯なのだが、それを説明しても理解されまい。
だからこういうとき、レオニードは伝説のまま死んだ伯母の名を借りることにしていた。
「……なるほど。まるで“黒の森”の闇が姿を取ったような青年だな」
不気味だ、を貴族らしく優雅に言い繕って、オデッサ公爵が微笑んだ。
レオニードはそれに気づかないふりをして、さりげなく視線をそらした。
「彼は少し前までミルスロータ自治区にいました。土地の者とも親しんでおりましょうから、役に立つはずですよ」
************
久しぶりに見た長兄アレクサンドル第1王子は、以前よりは痩せて見えた。
しかしそれは健康的な減量というよりも、日々の激務と進行する病に侵されてやつれているようにも思える。
椅子に腰を下ろした彼はレオニードを確かにじろりとにらんだのち、謁見室に集められた貴族たちへ声をかける。
「北方山脈に巣くう魔物の群れを殲滅せよ」というだけの言葉を、仰々しく飾り立てて長々と述べる。
そういう形式も時には大切であるとレオニードはわかっているものの、どうしても父王と比べてしまう。
父王の声には王者の風格があり、騎士たちを奮い立たせるのが上手だった。
それに比べてこの長兄は――いや、なにも言うまい。
レオニードの立場で、自分ならもっとうまくできるなどという驕った考えを持ってはならないのだ。
続けて大将となるティオディス王子が型通りの言葉を述べ、作戦参謀である将が挨拶を引き継ぐ。
彼曰く、今回の軍は国軍から選抜された精鋭で構成されているらしい。
平民兵が100、貴族階級の魔術師が30という、戦にしては規模があまりに小さく、しかし魔獣討伐という目的でいえば前代未聞の規模である。
前代未聞というのは、数が、ではない。
集められた合計30の術者のほとんどが2級以上で構成されているという点である。
魔術師には4つの等級があり、その魔力量と『適性』で区別される。
4級の術者は多くが1つだけ生活魔術を使える程度で、就職に有利な一芸を持つ者といった程度の評価であり、フォルマの着用や国への登録の義務はない。
3級はほとんどが下級ないし中級の貴族か、ごくごくまれに平民――ここからフォルマの着用と国への届出義務が生じる。
2級以上ともなれば全員が上級以上の貴族であると言って差し支えない。アレクサンドル王子やティオディス王子、エフィムもここに含まれている。
特に1級は王の血縁がほとんどで、現在の王国には10人もいない存在である。
その1級魔術師が、今回はレオニードとオデッサ公爵、グラシムと3人も含まれている。
ただの魔獣討伐にしては明らかに過剰だ。
この3人だけで目的を果たすことも可能ではないかと思う――1級魔術師が1人いるだけで攻城戦が成り立つと言われるほどなのだから。
「……通常の魔術討伐とは考えない方がいい」
謁見室を退室する喧騒に紛れ、 オデッサ公爵がレオニードの耳にささやきかけた。
「兵と術者は私自身が自ら育てた中から選んだ。それでも、気は抜くな」
「……ええ」
何が紛れ込んでいるかわからないぞという忠告を胸に、レオニードは感謝をこめて会釈を返す。
アレクサンドル王子とレオニードの確執は、あまりに有名だ。
いかなレオニードとはいえ、背後から弓で射られたら普通に死んでしまう――恐らく長兄が狙っているのはその手のことで、オデッサ公爵もそれを危惧している。
「……王国はきみを失うわけにはいかんのだ」
レオニードは叔父の言葉にかすかににじむ期待に、何も答えなかった。
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