第30話
いよいよ大晦日を迎え、城の人の気配もどんどん減っていた。
昨夜の宴に出ていた貴族たちも自らの館へ戻り、今夜の宴はヴィッテ伯とその家族、娘の婚約者で賓客であるレオニード、さらにエリス他の客のみが参加する、極めて私的なものとなる。
騎士や召使たちも朝のうちに交代で自宅に戻っていき、城は静けさを増していく。
城の守りが最も薄くなる1日に従者たちは緊張しているようだったが、2級以上の魔術師が3名も城内にいる以上、まあ何か起きても問題はないとレオニードは笑った。
そもそもヴィッテ領自体、他の領地に比べて犯罪の発生率が低い。
領主が王都で疑念の目で見られるなどという前代未聞の事態は起こったが、その領主自身が手際よく身を引いたこともあり、領内自体は平和なものだ。
朝食を終えたのち、雪が薄く積もった庭園を散歩する。
レオニードは寒さに耐性があるほうでも従者はそうではないため、強引に部屋へ置いてきた。
王都ならば1人で行動する機会などまずないのだし、たまには誰の目も気にせずに羽を伸ばしたかった。
ヴィッテ城はもともと王都防衛の際の重要拠点として作られたもので、その外観は城というよりも要塞に近い。
無骨な灰色の石造りの壁は頼もしくもあり、またよそ者を近づけぬ堅牢な冷たさがあった。
もっともこの50年は出兵の機会もほとんどないため、城の内部は平和なもので、庭園は美しく整えられている。
恐らくヴィッテ伯の奥方や、先代領主の奥方などが手を入れたためだろう。
春になればきっと美しく花が咲き誇るに違いない。
ふと――視線の先に、人影があることに気づく。
「ラシー、何してるんだ?」
呼ばれて、ラシー――もう間もなくグラシム・ランドスピアと名を改める予定の少年が、驚いたように振り返った。
「レオ兄、ちょっと体動かしたくてさ。もしかしてレオ兄も?」
「ああ、毎日気が張るから散歩でもと思ってな」
自然、2人で肩を並べて歩き始める。
初めて会ったときは自分の肩よりも下にあった頭頂部が、もう顔の横あたりにあることに気づき、レオニードは密かに驚いた。
人間とはここまで急激に成長するものだっただろうか。
鍛錬を怠っていないようで全体的に筋肉がついている様は、レオニードの目から見ても好ましいものの、いかんせんまだ線が細い――鎧を着せるのはもう少し体ができてからか、と勝手に計画を立てそうになってしまう。
「……そういえば、ラシーはまだ『適性』検査を受けていないのか? 何の報告も受けていないが」
「うん…………」
複雑な表情を浮かべて、ラシーが頷いた。
「伯母上はおまえが魔術師であるかどうか気にならないのだろうか。将来にも関わることなのに」
「…………あのさ、レオ兄」
ふと、ラシーの足が止まる。
何かを言いたげに口を開きかけ、周囲に視線を巡らせ、しかし「なんでもない」と結局首を横に振ってしまう。
「なんでもないってことはないだろう。どうしたんだ」
「…………ん、俺もまだ魔術師になりたいかどうかわからなくて、それが決まってから検査してもらおうと思ってて」
「別に検査くらいいいだろう。体質が変わることなんかないんだ。もし魔術師の素養がないのならば、さっさと別の道を探しておかないと、困るのはラシーだぞ」
「……そう、かな」
「そうだとも。それに魔術の素養があったらあったで、早いうちから訓練をしたほうがいい。今の年齢のほうが伸び幅がある。それに、どういう将来を選ぼうとも、まずは自分に与えられた可能性を知ることが重要だ」
「レオ兄も、そうだった?」
「……ああ」
自分の場合は、最初から玉座に続くレールから外されてしまっている。
目の前に、すぐそこに確かにあるはずなのに、どうあがいても手を伸ばすことを許されないもの。
ただ7歳の頃、王籍簿に正式に記載される儀式として『適性』検査を受け、類稀なる資質があることが判明した。
そこからは、神に与えられた才能にふさわしい者として励むことが目標となった。
兄を支えるため、優れた人間になろうと――
だが、同時に考えてしまうのだ。
神々が自分にこの才能を与えた意味を。
イオチャーフ教の教典は、すべてのことは神々の思し召しであると謳う。
では、この身にある有り余る力は、いったいどんな意図をもって神々が与えたもうたものなのか。
その意味を考えることを放棄し、ただ人々が作った法に従い、王の治世を支える駒になり果ててよいのか。
王は、神の代行者として王権を授かるべき存在であるはずなのに――
レオニードは頭を振って思考を払い、話題を元に戻す。
どうもこの手の話題は自分を暗くさせてしまいがちだ。
「というよりラシー、おまえは私の部下になるんだ。部下がどのような人間かを知っておかねば、配属先にも悩むことになるのだが」
「そうなのか……うーん…………あのさ、レオ兄」
再びラシーが周囲に目を向ける。
警戒心の強い野良猫のような顔をしたのち、ラシーは小さく囁くように告げた。
「誰にも内緒にしてくれる?」
「ああ」
「……エリスが言ってたんだ。俺には、エリスをしのぐくらいの魔術の才能があるって。だから、俺が大きすぎる力に振り回されないか、エリスはずっと気にしてる」
そこから先のことは、あまり覚えていない。
気づいたときには日暮れ前になっていて、城を抜け出したレオニードの腕の中には、ぐったりと力なく失神したラシーがいる。
魔術で夜空をまっすぐに駆け抜けながら、向かう先は“黒の森”だ――
**********
ヴィッテ城からレオニードとグラシムが姿を消した。
息子の姿がどこにもないことに気づいて周囲に確認させたところ、従者が青い顔をして主の不在を告げた。
弟分と少し話をするだけだと言って、人払いをしたのち、2人とも姿を消したのだという。
エリスは正体のわからぬ焦燥感を覚え、胸元からブローチを取り外す。
指先から宝石に魔力を流すと石はエリスの瞳と同じ菫色に輝き、一筋の光を窓の外に向けて強く発した。
グラシム本人には内緒にしていたが、彼の持ち物のいくつかには居場所を特定するための魔術具を仕込んでいた。
そのうちの1つがブローチと共鳴し、持ち主が屋外にいることを示している。
あちらの方向にあるものといえば、いくつかの街と集落と“黒の森”。
エリスは歯噛みした。
「……“森”だ」
根拠はない。若者が2人、大人の目を盗んで途中の街に夜遊びに行っただけかもしれない。
だがエリスは自分の勘が外れないことを知っている。
「エフィム、ちょっと出かけてくるよ」
「……殿下とご子息が“黒の森”に向かわれたというのは本当ですか」
「知らない。でも、そう思う。そして、急ぐ必要がある」
「では私も御供致しましょう。騎士も向かわせます」
エリスはエフィムの顔をちらりと見た――なにか、引っかかる。
しかしそんなことに頓着している暇はないのだと、エリスの直感が叫んでいた。
「馬で駆け抜けて半日。あちらは恐らく魔術で飛行している。馬では間に合わない。私は自分で飛んでいく。あんたも、ついてきたいなら勝手にすればいい」
飛行の魔術は極めて高度なもののひとつであり、エフィムがそれを使えるかどうかなどエリスは知らないし、気にかけてやる義理もない。
さっさと言い捨てて、広間の窓から空に身を躍らせた。
冬の冷たい空気が頬を切り裂くようだったが、血の上った頭を冷やすにはかえってちょうどいい。
(……なんなんだ、この嫌な予感は)
寒さのためとは異なる鳥肌を感じながら、エリスはわき目もふらず“森”を目指す。
まもなく日が落ちようとしていた。
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