第29話

 カンチアネリ王国では、年越しは家族とともに過ごすものとされている。

 貴族もそれは変わりなく、レオニードも年末は王都に戻るものだと思っていたのだが、情勢が許さないのか、年越しはヴィッテ城で過ごすそうだ。

 エリスとグラシムは、王子のわがままに付き合わされることになり、大晦日の前日に城に呼び出されてともに年越しの宴――3日間も続くのでエリスは好きではない――に出席することになってしまった。

 無論断ることもできたのだが、エリスとしては、来年の春からこの場所に息子を送り込むことを考えると、一度足を運んでおくべきと考えたのだ。

 前回きたときからは、若干世情も変わってしまっている。

 レオニードからきちんと話を聞かねばなるまい。


 ヴィッテ伯は堅実な人柄であり、必要以上の社交を行わないと聞く。

 そのためか、あるいはのせいか、年越しの宴に姿を見せているのは、ヴィッテ伯に近しい立場の貴族とその妻子といった程度である。

 もっとも、さすがは大貴族というだけあって、食べ物も酒も質がいい。

 エリスは酒を口にしつつ、賢者との顔つなぎを求めて群がってくる人々を適当にあしらいながら、人ごみの中からグラシムの姿を探した。


 茶髪茶目でいかにも普通の平民といった風体の彼は、未だ王籍にあるレオニードに近づくことを遠慮しているのだろう、襟の詰まった服に居心地悪そうな顔をしながら、隅のほうで大人しくしているのが見えた。

 レオニードのほうはと視線を巡らせると、ヴィッテ伯と一緒にいた。

 まだ稚気の残る顔をした娘を伴い、ヴィッテに縁のある貴族たちと話をしている様子だ。

 エリスはそれなりの身分であるから、宴の冒頭でヴィッテ伯とレオニード、彼の婚約者から挨拶を受けてはいるものの、深い話はまだできていない。

 今日の彼は将来のヴィッテ伯としてのお披露目を優先せねばならないから、致し方のないことではあった。


「ちょいと失礼するよ」


 人波をかき分け、グラシムのほうへ近づく。


「エリス。どうしたの」

「どうも酔っちまったようだ。風にあたるから付き合いな」


 手を差し伸べてエスコートしろと目線で促すと、グラシムは以前マナーの授業で習ったことをようやく思い出したのだろう、おずおずとエリスの手を取った。

 宴を勝手に抜け出す傍若無人な振る舞いに、周囲の人々が奇異の目を向けることなど気にもかけず、エリスは控室のあるほうへどんどん足を進め、さらにその奥にまで勝手知ったる顔で進んでいく。

 時折衛兵が止めようとして、エリスのフォルマと胸元に輝くブローチを見て素性を察したか、丁寧な礼で見送られる始末である。

 いくつもの角を曲がり、階段を上り、やがてたどり着いたのは城の本館から天へ飛び出すように作られた塔だった。


「ここは、かつて見張りとして使われていたんだ」


 エリスは塔の頂上にある部屋にたどり着くと、さっさと扉を開けてしまい、かび臭い空気に顔をしかめて窓を開け放った。

 冬の冷えた空気が酒で火照った頬に心地よく感じられる。


「今はもう別の場所で見張りを立てているらしいから、ここは使われていないが、いい場所だろう?」


 窓のほうにグラシムを押しやると、少年は小さく息を飲んで目を丸くした。

 外に広がるのは墨に白砂をまいたような一面の星空、その下には人の営みの輝きが満ちている。

 魔術師がいかに多く暮らしている街でも、魔術のランプは未だ高級品で、人々の暮らしを照らすのは燃料ランプの明かりである。

 普段、彼らは燃料を節約するため、夜が更ける前に明かりを消して早々に寝てしまう。 

 しかし今は一年の最後だ。

 人々は今日明日ばかりは燃料を惜しまないから、街には光があふれていた。


「綺麗だろ」

「……うん」

「あんたは“森”で一生暮らすのがいいことだと思ってるのかもしれないけれど、この街を守るっていう選択肢もあるんだよ」

「……俺が守るの?」

「そうさ。レオがヴィッテの領主になるってことは、彼らを守る立場になる。あんたがレオを助けるってのは、ひいては街を、人々を守るってことになる」

「…………」

「別に、レオのところに行くのが正解ってことでもないさ。あの娘と村で所帯を持ってもいいし、“森”と街を行き来するのだっていい。あんたはまだ何も捨てちゃいないんだから」


 窓枠をつかむグラシムの手に、ほんの少し力が籠められるのが見えた。


「……エリスは、どうなの」

「私かい?」

「もとはお姫様なんでしょ。こういうところに戻りたくはないの」

「さてね。若い頃にはそういう気持ちもあったのかもしれないよ。でも、“知恵の樹”と誓約を結ぶってのは、そういうことなんだ。大事なものをひとつ決めて、あとは全部捨てる――そういう選択をすることも、人生においては時々出てくる。私はもう人の街には戻らないと決めて“樹”と誓約を結んだからね」


 悔いはないよ、と言い切れば、グラシムの瞳が街の光を受けて揺れた。


「あんたも、そうやって自分で人生を選ぶんだ。だが、今はまだ若い。色んな経験をしな、ラシー。まだ時間はあるんだ」

「でももう、俺明後日には成人なんだけど。約束の期限だ」

「なんだい、まだ覚えていたのか。あんなのなしだ、なし」


 え、と間の抜けた声が聞こえた気がした。


「あんたはもう私の息子なんだ。それに私から見りゃ15歳なんざ赤ん坊とかわりゃしないよ。せめて30くらいまでは人生に迷いな」

「……それはなんだかダメな気がする」


 苦笑するグラシムの声には、少し元気が戻っているように感じられた。


「エリスは、この街を守りたい?」

「別になにを守りたいってのはないがね、賢者ってのは、実は“知恵の樹”と一緒に国を守るための存在なんだ」

「そうなの?」

「そうさ。叡知は蓄えるだけじゃ意味がない。使ってなんぼだ。“知恵の樹”と賢者はともに叡知を探求し、世界の理に触れ、そうしてこの国を守ることを本義とする……難しいかい?」

「ちょっと……」

「まあ、なんだ。簡単に言うと、あんたもこの街も世界もひっくるめて守ろうって話さ」

「おっきいねえ……」

「そうさ、大きいんだ。だから私の後継者になろうなんて、今のあんたにはまだまだ遠い話さね。もしもまだそんなことを思っているなら、まずは私の気を引けるくらいにいい男になんな。そうしたら、あんたに託してやろうって気になるかもしれない」


 そか、とグラシムが笑う。

 再び窓の外に向けられた視線には、柔らかな優しさがあった。

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