第27話

 地図に名前も載らないような小さな村には、当然聖職者などおらず、文字を書ける者さえ稀だ。

 老女の家族たちが葬儀の準備をする間、エリスは彼女の死亡届を代筆してやり、準備が完了したのちは葬儀を取り仕切った。

 エリスは聖職者の資格を持っていないのだが、このような辺鄙な場所には教典を唱えられる者などいないため、3級以上の魔術師が居合わせれば特例的に冠婚葬祭を執り行うことを許されている。

 エリスの署名付き死亡届は、遺族が近々ヴィッテの城下町にある教会へ提出して、さらに教会から城の文官へ送られることになる。


「遠く貴き神々の御座までは、温かい光に満ちた穏やかな道が続いている――……」


 エリスは教典の文言を唱えながら死者の魂を神々の下へと送り出す。

 “知恵の樹”を通して世界の理の一片を垣間見た身としては、とても神々への盲目的な信仰心を抱く気持ちにはなれないのだが、村人たちはそうではない。

 罪のない死者が迷うことなく、飢えることなく、孤独な思いをすることなく、無事に神界へ導かれることを真摯に祈っている。


(私などよりもよほど神に近いのではないだろうか……)


 老女が生きていた頃は酒飲みの厄介婆などと悪態をついていたのに、それでも涙ながらに祈りを捧げる遺族を見て、エリスはそう自嘲してしまう。

 葬儀後、村からやや離れた場所にある墓所へ棺を運び、穴を掘って棺を埋める。

 遺族と村人が連なって村に戻っていく最中、エリスはグラシムが1人の娘の肩を支えてなにやら話しかけてやっている様子を目撃した。

 あれは死んだ老女の孫にあたる娘だ――村に到着したときに案内してくれたあの娘である。


(おやおや、いつの間に)


 2月に1度程度、この村にグラシムを遣いに出していたのだが、その中で親交を深めていたのだろうか。

 存外人懐っこいところのある少年であるから、行く先々で村人から可愛がられているのは知っていた。

 あの老女もグラシムと交流があり、しょっちゅう何かしらくれていたようだが、もしかしたら単に孫のように思っていたのではなく、孫娘の憎からぬ相手として見ていたからだったのかもしれない。


(親の知らないところで子は育っているものだ)


 たった3年弱ほどしか子育てをしていないことは棚に上げて、しみじみと思うエリスである。


 雪がひどくなってきたから泊まっていけという村人たちの誘いを丁重に断り、行きと同様に魔術で飛んで帰ってきたエリスは、風呂上がりのグラシムに酒を出してやった。

 特に意味のない気紛れであるが、急にグラシムが大人になったように感じたのだ。


「……おいしくない」


 秘蔵の酒は、たった1口で拒否されてしまった。

 まだまだお子様だったというわけか。


「で、あの子とはいい関係なのかい」

「あの子?」

「葬式のとき、肩を貸してやってたろ」

「ああ……ベティか……そんなんじゃないよ」


 照れた顔、というより、本気でなんとも思っていなさそうな顔に、エリスは肩透かしを食らった気持ちになる。


「なんだい。いい空気に見えたのに」

「あっちはそういう気があるらしいよ。俺に相手はいないのかって、メイばあちゃんからしょっちゅう聞かれてたもん」

「そういう気はないのかい?」

「うん、だって、無理でしょ。俺、嘘つきだし」


 言いながらグラシムは前髪を指で引っ張ってみせた。

 魔術のとけた髪と目はもとの漆黒に戻っている。


「あんたが望むなら、永久に色を変える魔術や薬なんてのも考えてみてもいいんだよ」


 そんなことを言いながら、実はもう半ばできていたりする。

 この息子が自分の見た目にコンプレックスを抱いていることくらい、母はお見通しだ。

 それに、仕官が始まれば城暮らしになり、見習の分際で個室はもらえないだろうから、どこで髪や目を染めるのかという問題が出てくる。

 そもそもこの薬は常用に向いていない――エリスが改良しているとはいえ、多少副作用の危険はあるのだ。

 だが、グラシムは少し考えてから「いらない」と首を横に振った。


「なんとなくだけど、黒いのは残したほうがいい気がする」

「あんたが何色でも私は気にしないけどね、そう言うなら無理強いはしないさ」


 だけど、とグラシムの酒を奪って飲みながらエリスは続ける。


「その色で人生の選択を決めるのはやめな。皮1枚、髪1本で、人の価値なんざ決まらんさ」

「髪の色変えて、俺はもともと茶髪ですよって嘘ついてもいいってこと?」

「それが必要なら嘘だろうと何だろうとついちまいな。だいたい、髪や目の色くらいであんたの何が変わるんだい」


 はっきりと言い切ったエリスに、グラシムの表情が強張る。

 反論しようとして、失敗して口ごもり、視線が天井を泳いで、ふと「そか」と言って体から力が抜けた。


「どうせなら俺、エリスと同じ色にしてほしい」

「あんた、王族や貴族にでもなりたいのかい」

「え、それってそういうことなの?」

「なんだと思ってたんだい?」

「別に……王都のお城でもみんな金とか銀とか派手な髪してるなって」

「……一般常識を教え忘れてたかね」


 髪の色が淡くなればなるほど、そしてそれが金に近ければ近いほど、王家に近い血統である。

 目も同様に菫色が王家とそれに近しい血統の色で、そこに青が加わったり赤が加わったりするのが、貴族特有の色だ。

 レオニード他と訓練したときに一緒にいたのはたいてい貴族階級の騎士で、特に珍しいものとは思わなかったのだろう。


「それにあんたには似合わないよ」

「え、なんで」

「似合う顔ってもんがある」


 王国民は基本的に彫りが深く、目が大きい。全体的に骨格を含めてがっちりしており、顔の造作もはっきりとしているので、目が大きいから童顔というわけでもないのだが。

 一方、グラシムの方はやや尖った鷲鼻であるものの、目は細く眉は鋭く、唇は薄く顎も細い。無駄な肉の付いていない筋肉質な体躯ではあるが、骨格そのものは華奢な方で、これは成長してもさほど変わるまい。

 そういう顔立ちならば、淡い金髪よりも黒い髪のほうが似合うとエリスの審美眼は主張している。


「茶色は似合ってる?」

「まあ、違和感はないね。だけど私は、黒が一番あんたに似合うと思うよ」

「他に誰もいないのに?」

「唯一無二ってやつだ」

「…………いいことなんかないよ」

「そうかい? 遠目に見てもあんたの頭はきっと目立つよ。どこにいてもすぐにわかるさ」


 酒を飲みほしたエリスの向かいで、グラシムが口をなにやらむずむずさせている。


「どこにいても、迷子になったら迎えに来てくれる?」

「ずいぶんと可愛いことを言うじゃないか。もちろん、誰よりも先に見つけて、誰よりも先に迎えに行くさ」

「………………約束だよ」


 はにかんだようにグラシムが微笑む。

 この表情は初めて見たな、とエリスもつられて笑みを返した。

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