第24話

 かつて、この大陸の中央部を支配するのはミルスロータという部族であった。

 ミルスロータ族は遊牧民であり、定住しない彼らに国という概念はなかった。

 血縁関係にあるいくつかの部族の長として、強権的な支配――というよりも実際のところは、部族間の争いごとの調停役として存在していたという。

 また遊牧民には伝統的な宗教があり、祭祀としての立場にあったのも、ミルスロータ族だった。

 ゆえに、当時の大陸中央部はミルスロータの影響下にあったといっていい。

 

 一方、南方では農作を行う部族間で長らく抗争が続いており、まとまったり分裂したりを繰り返していたのだが、突如現れた超常の力をもつ一族が他を圧倒して彼らを一つにまとめあげた。

 その部族の名前はカンチアネリといい、カンチアネリの族長は増えすぎた民を養うという題目を掲げ、中央部の豊かな土地へ侵攻を開始した。

 見たこともない圧倒的な奇跡により、遊牧民たちは次々と斃され、数を減らした生き残りたちはやむなくカンチアネリに下った。


 ミルスロータの族長は、カンチアネリとの融和を望んだ。

 戦争ではなく、自主的に傘下に入るという選択である。

 しかし、カンチアネリは遊牧民たちに「棄教し、イオチャーフ教徒になること」を条件として付きつけた。

 ミルスロータ族他は、神々と祖先の慈悲のもと自らがあると考えていたから、己の神を捨てて異教の神へ隷属することなど、到底受け入れられなかった。


 それでも多くの血が流れるよりはよい。

 ミルスロータの族長は自ら首に縄を巻いて、カンチアネリの族長の御座へ赴いた。

 カンチアネリは慈悲の心をもって異教の長を赦し、改宗の褒美として自らの一族へ迎え入れる証に己の娘を与えた。


 ミルスロータの族長の選択を受け入れられなかった者たちは、それでもなお抵抗したけれど、カンチアネリの力には勝てず、トロイト戦役と呼ばれる大河のほとりでの決戦で多くを失った。

 生き残りたちは最後の抵抗を試みた。

 超常の力には超常の力を――裏切者の族長の末子を贄を捧げ、古き神々を大地に召還することに成功したのである。


 そしてヴィッテで最終決戦が行われた。

 古き異教の神々と、カンチアネリの英雄がぶつかり、そうして古き神々は死んだ。

 古き神々の死体からは夥しい恨みが黒い霧となって生じ、大地を汚した。

 その恨みの中にはきっと生贄として惨殺された末子のものもあっただろう。

 英雄は我が身を樹に変じることで霧を留めようとした。

 しかしすべてを封じることはできず、英雄は枝を増やし、可能な限り霧が外に漏れぬよう力を尽くした。


 その結果、カンチアネリ王国が興り、そして“黒の森”が生じた。


 “黒の森”の樹々は英雄が変じた“知恵の樹”の一部であり、森の主である“知恵の樹”は英雄その人である。

 “知恵の樹”は贄を必要とする。

 贄は“樹”から知識を受け取る代わりに、“樹”の目となり手足となり叡知の探求を代行し、その身に継いだ叡知に新たな知を加え、死をもって“樹”へ還す。

 “樹”は贄から受け取った新たな知によりその叡知をさらに深くし、王国へ還元する。

 王国は“森”と贄を庇護することで、彼らが叡知を継ぐことを助ける。

 そうやって、“森”と王国は密接に関わってきた。


 贄は賢者と呼ばれ、しかし人の身に余る叡知のために、浅薄な民から人知を超えた存在として畏怖され、忌み嫌われるようになった。

 愚かしいことだ――賢者のもたらす叡知により、国は守られているというのに。

 魔術の深淵をさらに深く深く覗くのは、賢者にのみ許された行為である。

 何故なら魔術の深淵とはすなわち神々のおわす神界にほかならず、賢者がその命をすべてを叡知の探求と王国の守護に捧げたからこそ、憐れんだ神々が深淵を覗き込むその行為を許しているのだ。


 カンチアネリ王国の玉座に座る者は、神々の代行者として、大陸の統治を正当化する。

 しかし本来の意味で神々に最も近いのは“黒の森の賢者”であり、“知恵の樹”を介して神々の奇跡をその身に受けた彼らこそが、真実の代行者であるのだ。




 ――――贄は“樹”から知識を受け取る代わりに、“樹”の目となり手足となり叡知の探求を代行し、その身に継いだ叡知に新たな知を加え、死をもって“樹”へ還す。



「真実の……代行者…………」


 暗い部屋の中、レオニードの目が鈍く光っている。

 嚙み締めた唇から血が滴っていることに、彼は気づいていない。

 真っ赤な唇が闇の中でわずかに歪んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る