第23話

 実際のところ、大したもんだとレオニードは認めざるを得ない。

 ラシーのことである。

 初めて出会った頃、まだ12歳を少し過ぎた程度の少年は、がりがりに痩せて体力もなく、訓練場を1周もできなかった。

 それが2週間足らずで3周できるようになり、木剣の素振りをある程度の回数こなせるようになり、ついつい簡単な鍛錬用の型を教えるに至った。

 それから半年ほどたって、王都に1か月ほど呼び寄せたときには、他の騎士たちに置いて行かれながらも訓練場を既定の回数走ることができるようになり、型も素振りもまあまあできていた。

 14歳になった今は、あの頃のひ弱さなどもうどこにも残っておらず、平民出身の兵卒見習いなどよりよっぽどしっかりして見えた。

 “森”で暮らしながらも鍛錬を忘れなかったのだろう、型も様になっている。


 とはいえ、体術を教わるのは初めてだったらしい。

 体中に細かい傷をこしらえて、よたよたと風呂場へ向かう背中を見ながら、レオニードは何とも言えない気持ちになる。


 正直にいえば、最初に出会った頃の緊張しっぱなしの様子を見たときから、嫌いではなかった。

 自分の周りにいるのは王族相手に媚びへつらうか、隔てをあからさまにした態度をとる者たちばかりで、あんなにまっすぐ無遠慮な視線をぶつけられる経験はそうそうなかった。

 一生懸命ついてくる子犬のような少年は、末っ子育ちのレオニードの庇護欲をくすぐるに十分だった。


 優秀だ、才能があると言われ続けてはいても、どこまでそれが王子への世辞でないといえるか。

 自分にも他人に教えられるものがあるということが、自尊心を満たしてくれた。


(……伯母上の、息子、か)


 自分の中にラシーに対する醜い嫉妬があることは、ずっと以前から自覚していた。

 エリスのそばにいるというだけで、羨ましくて仕方がない。

 もっとも、エリス・ランドスピアへの執着心がどこからくるものなのかは、彼自身わかっていない。

 ただ幼い頃、髪をなびかせて強力な魔術を放つエリスを見てから、強さを体現したような姿をずっと忘れられずにいる。

 己の武器を最大限に生かして、王族であるというしがらみを捨て去って、賢者という地位をつかみ取った女性。

 ――初恋のようなものなのかもしれない。


 自分が弟子にしてもらえなかったのと同じように、いずれあの少年も彼女に拒絶されると思えば、同情心がわいた。

 同病相憐れむというやつだ。

 だから、エリスの手を離れたあとには自分が守ってやろうと思った。

 弟のように可愛がろうと、「レオ兄」と呼ぶことを許した。


 それなのに。


 事実、彼らにとって「弟子」という呼称にあまり意味はなかったようだ。

 エリスもラシーも、あっさりとレオニードの要求に従って「弟子」「先生」という呼称を捨てた。

 それよりも「息子」「母親」というラベルのほうが大切であるからだという理由で。

 彼らが無造作に踏みにじったものこそ、レオニードが渇望していたものだというのに。

 自分の望みに価値がないと突き付けられたようで、自分から言い出したことなのに、腹の奥底に恨みが募っていく。


 だがそれでも先ほどの鍛錬で、必要以上にラシーを痛めつけることのなかった自分に、レオニードは我ながら安堵していた。

 高潔な人間と周りに評価され、自分自身もそうであろうと努力していたのが、嫉妬心で崩れることはあってはならない。

 そんな自分であることなど、認められない。


(大丈夫、きっと可愛がってやれるはずだ)


 2年ほど見てきたが、ラシーが将来有望な子供であることは間違いない。

 レオニードがヴィッテにきたあと、側近として取り立ててやってもいい――平民から騎士へなるのだから、きっと喜んでくれるはずだ。エリスも。


 親子関係を結んだところで、ラシーがいつまでも“森”で暮らしていけるわけでないと、エリスだってわかっている。

 だから結婚だのなんだのという心配をしているのだ。

 魔術が使えるかどうかはわからないけれど、仮にそうでなくとも剣士として育ててやればよい。

 勉強もできるということなので、側近にしたあと兵法を仕込んでやっても面白いかもしれないし、文官として政務を補佐させてもいい。

 どちらにせよ、自分にとって有益ならば育てる価値はある。


(うん、大丈夫だ。私はあの子を大事にできる。何を焦っていたんだろうな、私は。可愛い弟じゃないか)


 精神が落ち着いたところで、城に用意された自室で体を清め、ヴィッテ城の資料室へ向かう。

 将来、レオニードはこの土地を治める領主となる。

 いくら勉強しても足りないということはない。


「……ここは?」


 ふと、資料室の奥にさらに部屋があることに気づく。

 恐らく領主やそれに近しい人間のみが閲覧可能な資料が収められているのだろう。

 何気なしにノブに手をかけると、施錠されていなかったようで、軋みながら扉が開いた。

 レオニードは従者に出入口を守るよう指示を出し、1人で部屋の奥に進んでいく。

 あまり頻繁に掃除がなされていないのか、やや埃っぽい。

 魔術の光に照らされた室内には、さほど大きくない本棚が2つとテーブルに椅子が1組置かれているだけ。

 本棚のうち1つにはごく普通に装丁された本が並べられていたが、もう片方には巻物が積まれている。


「珍しいな……羊皮紙なんて魔術以外でまだ使われていたのか」


 生き物を素材にした道具を媒介に使うほうが効率よく魔術を発現できるということで、魔術具の製作などには今でも羊皮紙が使われている。

 しかしそれ以外の場面では、植物を用いた紙のほうが保存性だけでなく利便性も高いという理由で、羊皮紙はほとんど姿を消した――城の古文書も、原本は羊皮紙だが、普段レオニードが目にするのは、植物紙へ書き写されたものばかりである。

 巻物の端にぶら下げられた木札に内容の要約が書かれているのを、なんとはなしにつまんで読んでいく。


「領主一族の系譜……初代の日記……魔術に関する初代領主の研究」


 ざっと見た感じでは、初代領主の手によるものが多いようだ。

 初代ヴィッテ伯爵は、優れた武人でかつ魔術師であったという。

 その功績によりヴィッテ領を拝領しただけでなく王女をも妻として賜り、それからも伯爵という家格ながら宰相を輩出する名門となった。


 歴史で学んだことを思い出しながら木札を見ていたレオニードの指が、ぴたり、と止まる。


「黒の森の概要ならびに賢者の考察」


 それは、国の中でもごく限られた者だけが知る知識だ。


(“黒の森”に関する知識を有するのは国王、神学研究所、教皇と枢機卿……そして、ヴィッテ伯爵)


 急に、胃のあたりが冷たくなった気がした。

 今のレオニードに、これを読む資格はない。

 許された者以外が遠ざけられるのには、それなりの理由がある。その理由も含めてレオニードは知らないけれど、知らされないということは、必要がないという以上に触れてはならないなにかがあるからだ。

 王族として育てられたレオニードには、それがよくわかっている。


 わかってはいるのに、木札に触れた手を引き剝がすことができない。

 この巻物の紐を解けば、“森”について深く知ることができるであろうと、直感が告げている。

 敬愛する伯母上の秘密が。


「――――――――うっかり、鍵をかけ忘れておりましたな」


 突然背後から響いた声に、レオニードは声なき悲鳴をあげて振り返った。

 エフィムが苦笑いを浮かべて立っている。

 彼が入ってきたことにまったく気付かなかった自分のうかつさに舌打ちしたくなる。


「エフィム、すまない。まだ何も読んではいないから許してくれないか」

「私が殿下を叱るとでも? 娘婿むすこになった暁には、そういうこともあるでしょうが」


 茶目っ気たっぷりにエフィムが笑う。

 その手がすっとレオニードの横を通り過ぎ、先ほどの巻物をつかんだ。


「どうぞ、殿下」

「……エフィム? いや、しかし」

「どうぞ、お読みください」


 エフィムの声には、初めて聞く響きがあった――臣下のそれではない。

 まるで、王だ。

 圧倒的な力で相手を跪かせることを当然と思う人間が出す声音。

 その圧力は、しかしすぐに霧散し、次に口から発せられたのはまるで美女のそれに似た蠱惑的な響きだった。


「殿下はいずれヴィッテを治めるお方。我が地にある危険を把握して、そのうえで来ていただきたいと思っておりますのに、何故殿下ご自身が情報を遠ざけられるのです?」

「危険……」

「そう、あの“森”は唯一無二にして、人を食らう危険な闇。それを知らせずに殿下にお越しいただくのは、あまりに不誠実かと……」


 圧倒されるがままに巻物を手に取ったレオニードに、エフィムは深い笑みを浮かべてみせた。

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