第21話

 “黒の森”のことは国家機密にあたり、レオニードにどこまで話していいのか、エリスは悩んだ。

 だから賢者になりたいと願っても、当代の賢者が「こいつを後継者にします」と言っても、単純に実現するものではないことも、言えなかった。

 最終的に選ぶのは“知恵の樹”自身だからだ。

 “知恵の樹”はエリスの選ぶ後継者ならば問題はないと考えているだけで、もしも適当な人間を後継者として連れて行けばその信頼は即座に崩れて拒絶されるだろう。


「わかってほしいのは、レオ、弟子と息子は違うってことだ」


 悩み抜いて出てきたのは、毒にも薬にもならぬような言葉だった。


「私は単純にあの子が愛おしいんだよ。初めて手元で育てた子供だからかもしれない。息子が学びたいことがあれば親として支えてやる。私たちは実の親子じゃないから、弟子という肩書が対外的に必要になるだけで、あの子が正式に魔術師にでもならない限り、戸籍ができれば不要になるくらいのものだ……最初だってそうだよ。名目上、そう名乗らせないといけなかったってだけで、今となっちゃどうでもいいんだ。あんたが不快なら、あの子にはたった今から弟子を名乗らせないことにしたっていい。どうだい?」

「そうしてください」


 まるで刃物のような鋭さで、レオニードが即答する。

 茶で口を湿らせてからこちらを見た青年の目は、多少揺れてはいるものの、見慣れた色に戻っていた。

 精神的に未熟とはいえ、もともと優秀な子だ。

 さすがに王族として訓練されているだけあり、焼き尽くすような激情をなんとか抑え込むことに成功したようだ。


「すみません、伯母上……取り乱しました」

「いや、いいんだ。私もあんたの気持ちをずっと知っていたのに、むごいことを言ったね。許しておくれ」

「……私のなにが、不足だったのでしょうか。願えば、伯母上の子にしていただけますか?」


 ただそばにいたい。

 その感情は、グラシムもレオニードも変わらないはずなのに、どうしてこうも違うのか。


「あんたに不足なんかないさ。ただ、“黒の森”の魔術師には向いてないってだけで」

「……魔術師に向いていない?」

「そうさ。ああ、勘違いしないでおくれよ。魔術の使い手という意味では、あんたはそうだね、この大陸でも5本の指には入るさ。それは間違いない」


 エリス、当代の王、騎士団長、その次くらいにはレオニードがくるだろう。今のところは。


「だけどね、レオ、“黒の森”に選ばれる賢者ってのはすべてを捨てて、すべてを捧げるんだ。命も、なにもかも……本来は、私があの子に向ける執着めいた感情さえ、捨てなければならない。私が今あの子を大事に思っているこの気持ちさえ、“知恵の樹”の気まぐれで許されているだけなんだ。“樹”がラシーを切り捨てろと一言いえば、私は従わざるを得なくなる」


 そして、とエリスは言葉を選びながら慎重に続ける。


「賢者は夜の眷属で、求道者で、永遠の探究者だ。だから、いつだって闇の中にたった1人、何もかも捨てて、我が子も捨てて、それでもなお餓えたように叡知を求めなければならない」


 今、エリスが人並みに穏やかな暮らしを送ることができているのは、自分で口にしたように“知恵の樹”が許しているからだ。

 “樹”は恐らくグラシムの特異性になどとっくに気づいており、エリスが彼をどう育てるのかに注目している。

 エリスとの疑似的な親子関係がグラシムの成長に必要だと考えているから、現状を見守っているだけに過ぎないのだろう。

 もしもグラシムが賢者に邪魔になると考えたならば、きっと即座に切り捨てられていたに違いない。


(あるいは、“森”にとっても何かしらの意味がある存在なのか)


 “黒の森”の獣がグラシムを襲わない理由はわかっていない。

 “樹”に直接訊ねても、はっきりとした回答は返ってこなかった。


「あんたを連れて行ったとき、“樹”がなんというか私にはわからない。ただ、あんたは王族で、才知があって、夜の眷属なんかになって嫌悪されるのではなく、日の当たるところを歩くべきだと私は思ってる。国に必要な人材ってことさ」

「……伯母上だって、王族ではないですか」


 口をとがらせる様子は、すっかりいつものレオニードだ。

 エリスは少しだけ胸をなでおろした。


「そうさ。それも、兄上なんかよりよっぽど上等の魔術師だった。それが何を意味するか、あんたにもわかるだろ。私にその気がなくとも、周りが期待しちまうんだ」

「……王位簒奪」

「そうさ。私は兄上を尊敬していたし、その治世を信じていた。事実、その選択は間違っちゃいなかった……王国は、平和を守れている」


 先々代王である父は苛烈な人柄だけでなく、戦士としても将軍としても優秀で、大陸に平和をもたらした。

 先代王の兄は、ずば抜けて優秀というわけではなかったが、優しい人柄で民を虐げることはなかった。

 バランス感覚に優れているというべきか、単に優しいだけでなく、適度に締め付けることも忘れなかった。

 兄は泰平の世を息子に引き継いで神のもとへ帰った。

 実際、兄は魔術で土地を焼き払うことよりも、よほど難しいことをなしたのだとエリスは誇らしく思っている。


「次の王がどんな逸材かはまだ正直わからんがね。あんたは、その力になるべきだ。だから私はあんたを選ばない。“樹”の狂気に捧げることはできない――理解してくれたかい?」

「……はい」


 まっすぐこちらを見つめる菫色の瞳には偽りはなかった。


**********


 うっかり特大の脱線をしてしまったため、レオニードがエリスたちを呼び出した理由が曖昧になるところだった。

 途中で思い出したレオニードが、実は、とヴィッテ伯の娘との縁談を打ち明けてきたのだ。


「まだ内密ですよ、伯母上。父上にはこれからお話しするのです」


 レオニードはそう言って、やや照れたように笑った。

 そういえばこの末っ子王子は、未だに婚約者も決まっていなかったとエリスは思い出した。

 縁談自体はもちろん、王家や親戚であるヴィッテ伯との縁を求めた貴族たちから数多く持ち込まれていたに違いないのだが、とうの本人がその気にならないからと逃げ回っていたのだ。


 まあしかし、確かに良縁ではあるのだろう。

 いくら王子とはいえ、そのうちどこかの領を賜り、王籍を離れる身である。

 伯爵家への婿入りとなると格落ちの感は否めないが、母方の従兄であるヴィッテ伯であれば粗略な扱いを受けることもないだろう。

 ヴィッテ伯の長男の扱いがどうなるかは気になるところだが、王子を婿として迎えた以上、レオニードが家督を相続することになるのは間違いなく、そうすれば王宮で暮らす生母も安泰だ。


「そりゃあおめでとう。姫君とはもう仲良くしているのかい。確か、次女がまだ城にいたね。あの子だろう?」

「ええ。ジアナ嬢とはまだそこまで交流しているわけではないのですが、美しい少女です」

「まだ成人前だったか」

「来年13歳です。正式に婚約するのは来年で、結婚はどんなに早くとも2年後にはなるでしょう」


 グラシムの1歳下か、とエリスは思う。

 そういえばあの子もそろそろそういうことを考えてやったほうがいいのだろうが、“黒の森”に出会いなどあるわけがない。

 変にこじらせるより前に、城下町の娼館にでも連れていくべきか。


「伯母上?」

「ああ、すまない。ラシーのことを考えていた。あの子も来年には成人だ。結婚だとかそういうのを考えてやったほうがいいのか、それとも最初からしがらみのない人生を送らせたほうがいいのか……」


 思わず口を滑らせてから、エリスは眉をしかめた。

 先ほどまであれほど激しく感情を見せていた相手に向かって、その元凶の名前など言うべきではなかった。

 だが、レオニードはさして気にした様子もなく、真面目な顔で考え込んだ。


「伯母上さえよろしければですが、城でしばらく預かりましょうか?」

「ここで、かい?」

「ええ。私も婚約が済み次第、来年からはこの城で生活することになります。多少見知った人間を近くに置いておきたい。ずっと預かっても構いませんし、通いでもいい。毎日通うのは難しい距離ですから、たとえば週の半分を“森”で、残りをここで過ごすなどして、様々な経験を積ませてみるのはいかがでしょうか」


 エリスはぽかんと口を開いて“甥っ子”の顔を見る。


「……なんですか?」

「いや、そこまであの子のことを考えてくれるなんてと驚いただけさ」


 レオニードは軽く笑って肩をすくめてみせた。


「今でも私はラシーを伯母上のおそばに置くことなど認めてはいません。少しでも目がよそに向けばいいと思っている。そのためにならば、全力を尽くしましょう」

「……あんたに任せていたら、ラシーがひどく道を誤りそうな気がするんだが」

「失礼なお言葉としか思えませんが、しかしその手がありましたか。あの年頃はそういうのに弱いですからね。毎晩部屋に美女を送り込めば、簡単に落ちそうだ」

「そういう意味じゃない」

「色に溺れて人生を台無しにして、親から勘当されてしまったとしても、それまたあの子が決めることですよ、ねえ、伯母上?」


 笑いながらも本気でやりかねないのがこの”甥っ子”の恐ろしいところである。

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