第20話

 レオニードからの手紙を受け取って“森”を出たエリスは、ヴィッテ領の城下町に着くなり、真っ先にグラシムを服屋に連れていった。

 以前王都へ行った際にエリスが買い与えた服は当然もう着られなかったため、貴族の前に出せる格好を、ということで一張羅を用意してもらう。

 すっかり身についた所作が優雅なこともあり、茶髪茶目のグラシムは裕福な家の坊ちゃんに見える。


「魔術師ならフォルマで済むんだが、面倒だねぇ」


 首元の締まる感覚に慣れないのか襟を触って渋い顔をするグラシムに、エリスは思わず苦笑する。

 目線はいつの間にか自分よりもやや上にあり、この2年の成長の著しいことがよくわかる。

 レオニードと会うのもほぼ1年ぶりだろうから、彼もまた驚くことだろう。


 初めて王都に行ったときのように市場をのぞきたがるという子供らしさもなりを潜め、エリスはやや寂しい気持ちになりながら、街の中心に位置する城へと向かった。


「ヴィッテ伯、ご無沙汰していたね」

「賢者殿は相変わらずですな。以前のように、エフィム、と」


 城の客間に通されたエリスの前に、ヴィッテ伯エフィム・ペトレンはすぐにやってきた。

 何か用事があったというレオニードはやや遅れて姿を見せ、案の定、グラシムの外見が変わっていることに目を丸くする。

 エリスたちが挨拶をする間、グラシムは従者よろしく静かにエリスの後ろに控えている。


「賢者殿、そちらの従者は初めて見る気がします。従者を雇われたのですか?」

「ああ、これは従者というか、息子のようなものでね」


 その一言に、複数の者が息を詰める音が聞こえた――背後からも聞こえてきたから、驚かせることには成功したようだ。


「ご子息、ですか」

「ああ。ラシー、ご挨拶しな」


 慌ててグラシムが場所を移り、エフィムへ初対面の挨拶をする。


「ヴィッテ伯爵にお目通りが叶い、光栄に存じます。“黒の森の賢者”が弟子、ラシーと申し上げます」

「グラシム・ランドスピア……そう名乗らせようと思っているよ」


 割って入った静かな声に、再びグラシムが驚きで体を固くする。

 元の位置になんとか戻っていったが、足音の乱れからするに、相当混乱しているようだ。

 それはレオニードも同じことで、菫色の瞳には名状しがたい感情が渦を巻いているのがわかった。


「伯母上、それは本当ですか?」

「ああ……せっかくヴィッテの地に住んでるんだ。エフィム、この子が成人したらうちの子として戸籍を作ってほしい。私のも、ね」


 本来、王国民であれば7歳になると同時に等しく戸籍を作られる。

 それをもとに徴税を行うため、無戸籍者は法で厳しく処罰されることになる。

 エリスが王籍簿から削除されてから今まで戸籍を作らずに済んでいたのは、“黒の森”から離れないことが明確であり、かつ準王族としての身分の保証ゆえだ。

 それを翻し、グラシムのためにヴィッテの民として名実ともに登録すると、エリスは宣言した。

 ランドスピアの姓を名乗れるかどうかは、当代の王がどう考えるかにもよるが、恐らくあの甥っ子であればエリスの願いをそのままかなえてくれるに違いない。


「それはそれは……もちろん、賢者様の思し召しとあらば。ラシーは幼名で、グラシムというのが本名になるわけですね」

「そうだ。強そうで、いい名前だろう?」

「そうですね……古き神の名に似ている」


 低くつぶやいたエフィムの声に、エリスはおやと内心驚いた。

 古き神々の知識はすなわち異教徒の教えであり、この国ではとうに廃れたものだ。

 北方のミルスロータ族が密かに伝えている以外に、知っている人間はほとんどいないのだと思っていたが。


「彼の成人はいつになりますか」

「次の新年だ」

「かしこまりました。そのように手配致しましょう」


 いくつかの近況報告や世間話を交わして、エフィムは席を辞した。

 今日この城に来た本来の目的である呼び出し主――レオニードの強い視線に、エリスは苦笑しながら向き合った。


**********


「息子とは、どういうことなのですか」


 グラシムがいては話しづらいだろうと、エリスは彼を部屋から出してレオニードと2人きりになった。

 案の定、そのとたんにレオニードの顔色が一変し、王族らしく感情を取り繕うことさえできなくなった。

 レオニードは恵まれた育ちの青年であり、王位以外にかなわぬ望みはないような環境で育てられてきた。

 政治に携わる立場に数年ほどいたとしても、土地を与えられているわけではないから、そこまでの責任感もまだ育ってはいない。

 単純に言えば、いくら勉強ができて魔術が使えたとしても、内面は未だお子様なわけだ。 


「そのままの意味さ。なにか、不都合でも?」

「弟子として15歳までは手元に置き、そこから自活させるとおっしゃった」

「そうだよ。それは変わらない。弟子として、息子として、あの子を守ることにした。あの子が将来自活するうえで、身元を保証し、帰ってくる家を用意することは大事だろう?」

「だからといってあなたが」言い募ろうとするレオニードに、エリスは鋭い一瞥を投げた。

「あの子が魔術師になるかどうかも、まだ決まっちゃいないんだ。全部、あの子の好きにさせることに決めた。だから、私も好きにする。あの子は私の子だ」


 レオニードが絶句した。

 エリスはやや乱暴な手つきで茶を一口含み、小さく息をつく。


「あの子が“森”に居続けるかどうかもわからない。そこまでの将来はまだ考えちゃいないんだ。15歳という区切りも、もう半ば意味をなさない約束になった。もしかしたら“森”を飛び出して、ヴィッテなりダルクレーニなりで職を見つけるなりするかもしれない。そのときに、身元というのは大事だろう」

「……ですから、それは私が用意すると申し上げました」

「嬉しいがね、レオ。あの子が私と縁を切りたいと望まない限り、私はあの子との縁を大事にすると決めたんだ。すまないね」


 それがエリスの答えであった。

 あの夜の問答以来、どうすれば一番彼にとっていいのか考えていた。

 ただひとつ明確にわかっていたのは、グラシムが家族というものを切望していて、それをエリスに求めていたということだけだ。

 そのことにはずっと以前から気づいていた。

 2人で村々を回るとき、グラシムは不思議そうに家族連れの人々を見ていた。

 その視線に羨望が混じるようになったことなど、賢者たるエリスには容易に見抜けた。

 だから、ああ言ったのだ。

 15歳になっても、その先も、飽きるまで一緒に暮らせばいい――と。


 それに、この2年ほどグラシムと暮らしてみて、予想外にエリスもいやではなかった。

 ずっと暗い“森”にたった1人、時折“樹”を討論相手にし、村や王都で知人と顔を合わせるだけ。

 1年のほとんどを誰かの声を聞くことなく過ごす生活。

 そこに雑音をまき散らしながら飛び込んできた少年との日々は、エリスが切り捨てたはずの人間らしい感情を強引に呼び起こした。

 グラシムが家族の温もりを捨てられないように、エリスもまた疑似的な子育てに執着してしまった。

 ただ親として、息子が望めばいつでも送り出してやる覚悟はしている。

 寂しいけれど、帰りたくなった時に立ち寄るくらいの場所になればいい。

 親離れと子離れは必要なことだ。


「……ほんの2年、一緒にいるだけのラシーが、そんなに大事ですか。私よりも? 私のことは弟子にしてくれなかったのに。あの子には何もかも与えるというのか」

「レオ……」


 レオニードの顔にははっきりと嫉妬があった。

 かみしめられた薄い唇は、今にも血が滴りそうに真っ赤になっている。


「伯母上、私を弟子にはしてくれないのですか。ラシーを育てるついででいいんです。あの子と同じように、一緒に住まわせてほしいなんて言いません。だけど、同じように弟子として遇していただくことは可能なはずだ」

「レオニード」


 強く名前を呼ぶと、青年は、今度は泣き出しそうな顔になった。


「魔術の研鑽に付き合ってやるのは、構わないよ。今までだってそうだろう――」

「違うんです、伯母上。私は弟子の名が欲しい。“黒の森の賢者”の弟子と、エリス・ランドスピアがいちの弟子と、そう名乗りたいのだ! そしてあなたの知るすべての叡知が欲しい!」


 エリスは深くため息をつく。

 ただただレオニードが無垢に叡知を求めるだけであれば、魔術師として迷うことなく後継者にしただろう。

 ただこの青年は、エリスを求めているように見えて、その実、大陸随一の魔術師になりたいだけなのだ。

 レオニードはその身にある強大な力を持て余し、欲求を叡知の探求に昇華させることができなかった。

 きっと生まれながらに見える場所にあった王座に、決して手の届かない立場が、この青年をこうも屈折させてしまった。

 自分は王にはなれない――時代が違えば、間違いなくなれていたはずなのに。誰もそれを認めない。誰よりも王に近いこの自分を。

 その諦めが、20年の月日をかけて腹の中で腐った結果が、これだ。

 それがわかっていたから、エリスは何度も彼を門前払いした。


「それを決めるのは私だ。たとえグラシムを選ばなかったとしても、やっぱりあんたは選ばないよ」


 酷薄に告げた声に、レオニードの顔がくしゃりと歪んだ。

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