第19話
グラシムが答えを出せず、エリスもまた答えを急かさないまま時間は流れ、季節は春を迎えた。
2人は薬草園と畑の世話に毎日追われ、エリスも珍しく魔術師らしく研究に励んでいる。
新しい調合を思いついたらしい。
植物の世話をある程度終えたあとは、薬草園のそばに作られた調合小屋にこもり、毎日妙なにおいのする煙をまき散らしていた。
時折グラシムに捕まえさせた動物に薬を飲ませては死なせてしまい、首をかしげている。
師はそれなりに倫理観を持ち合わせている人間だと思っていたグラシムであるが、つぶらな瞳をしたうさぎに妙な色の液体を飲ませ、激しく痙攣して体をぼこぼこと変形させながら死ぬ過程を観察して書き留めている様は、ちょっと、引く。
「
いったい何の薬を作っているのかと思えば、不老の妙薬であるらしい。
「不老っていうのは、要するに代謝を止めるか遅らせるってことさ」
久々に魔術で身を清めるのではなく風呂の湯に浸かり、ほかほか湯気を立てているエリスが、冷たい果実水を口に含みながらようやく教えてくれた。
「すべての生き物の体は複数の『要素』で構成されている。それらをつなぎとめる役割を果たしているのは『心の要素』だ。これらの『要素』は本来、自然の中にばらばらに存在している。『心の要素』が他の『要素』をつなぎとめられなくなれば、生き物は死んでしまう。だが、まったく『要素』を入れ替えないのはよくない。体を構成する『要素』は時とともに力を失う。だから生き物は代謝を行うことで古くなった『要素』を体外に放出し、代わりに新しいものを得る。だがね、代謝を行う力にも、どうやら限界があるらしい」
グラシムは師の言葉をひとつもこぼさぬよう耳を傾けている。
基本的な魔術の知識は一般的な教本にも書かれているのだが、応用的なものはほとんどない。
魔術に関する深い知識は魔術師が各々研究するものとされており、師から弟子へと口伝されるものが多いからだ。
「で、私の作ろうとしている薬っていうのは、体を構成する『要素』が力を失わず、そのままであり続けられるようにするものさ。『要素』が力を失うから手放さねばならんのだ。『要素』に体外から何らかの方法で力を与え、本来の状態を取り戻させてやれば、わざわざ代謝を行う必要はなくなる。そうだろ?」
「エリス先生、質問です」
手を挙げて、グラシム。
「そんなの一般に流通させたら、やばいんじゃないの」
「そうだろうよ」
あっさりと、エリス。
「思いついたら作りたくなるもんだろ? どんなにやばいものだろうがさ。なに、あんたがしゃべらなきゃいいだけのことさね」
実際のところ、エリスが“知恵の樹”から教えられた“禁呪”の応用であるらしい。
強大な魔術師だからこそ使える“禁呪”を、薬の形にして、魔術師ではない者にも与えられるのではないか――グラシムは物語でしか知らないが、不老不死を求める人間はそれなりにいるらしいのに。
そんな当然の危惧を、エリスは一笑に付した。
グラシムにもようやくわかってきたが、魔術師が探究者であり、求道者であるというのは、そういうことなのだ。
倫理や道徳といったものを投げ捨て、肉親の情を捨て去ってもなお、知りたいと願い、危険だとわかっていながら、作りたい試してみたいという欲求に抗えない。
それが魔術師の本質だ、とあの夜にエリスが語った意味がこれだ。
では、自分は彼女のようになれるだろうか、とグラシムは考える――その思考は、エリスが密かに望んでいたもので、だからこそ彼女は最近、魔術に関する領域へグラシムが触れようとするのをあえて止めていない。
グラシムはまだ師の真意に気づいていないのだけれど。
グラシムには、エリス以外に魔術師の知り合いが少ない。
薬を卸している村々にたまにいる生活魔術を使える人間と、せいぜいレオニードとその周辺にいる騎士たちくらいだ。
彼らはエリスとは違い、魔術を便利な道具として見ているように感じられた。
魔術師の本質たる探究心に溺れているようには思えなかった。
彼らもまた、強大な魔力と膨大な知識を我がものにすれば、エリスのようになってしまうのだろうか?
(誰かに相談してみたいな……)
エリス以外の人間に頼るという発想が自然と芽生えていることに、グラシムは気づいていない。
折りしも、王都のレオニードから手紙が届いたのは、その数日後のことだった。
**********
久々のヴィッテ領に到着したレオニードは、王都とはまた違う活気に満ちた街を城の窓から見下ろした。
ヴィッテ領は魔術師の力を借りた工業が盛んな土地でもある。
3級以下のフォルマさえ与えられない魔術師さえも手厚く歓迎するため、一芸に秀でた平民が数多く集まり、製鉄や繊維業に従事して、領地を栄えさせている。
ヴィッテはもともと広大な穀倉地域で王国の食糧庫とも呼ばれる土地であるが、当代のヴィッテ伯はそれに満足せず、魔術を産業の一部に組み込んだ。
魔術が使えるという一点で平民さえも魔術師として認識し、餌を与えてうまく扱う手腕は、とても貴族的考えに染まった自分や王都の人間にはできないだろうと、レオニードは密かに嘆息した。
「殿下、いかがですかな」
背後に控えている男の声に、レオニードは振り返る。
今年で40歳だったか、やや寂しくなった頭髪はそれでもなお光沢のある白銀で、深い藍色の目には静かな光が宿る。
もとは騎士であったというだけあって、今も鍛えることをやめていないのか、首も顎もがっちりと男らしい線を描いていた。
「素晴らしい光景だと思いました、エフィム。以前きたときよりも活気があるように見える」
「それであればよかった。力を入れた甲斐があるというものです」
嬉しそうに破顔する彼に、レオニードは母の面影を見た。
当代のヴィッテ伯爵である彼、エフィム・ペトレンとレオニードは直接的な血縁関係にある。
というのも、エフィムの実母の歳の離れた妹がレオニードの母親――つまり、エフィムとレオニードは20歳ほど年齢差のある従兄弟同士なのである。
「これを、あなたの手に渡したいと思うのは、身内の欲でしょうか」
「…………」
レオニードは、すぐに答えることができない。
エフィムからの「極めて私的で内密な相談」を持ち掛けられたのは、去年のことだ。
以前から従兄弟同士、それなりに可愛がってもらっている自覚はあったが、まさか「私の子になりませんか」とはさすがに驚かされた。
エフィムには、娘が2人、息子が1人いる。
長女は15歳の成人とともにすでに他領の貴族のもとへ嫁ぎ、次女と長男は成人前ということで手元に置いている。
その長男にあとを取らせるのではないかと周囲は思っていたのだが、エフィムが打ち明けたところによれば、まるで魔術の才能がないらしい。
魔術の才能はすなわち貴族の貴種たるゆえんであり、それがないのであれば、そもそも貴族として生きていくことさえ難しいだろう。
「本来であれば、あれは早々に教会へ入れるべきでしたが、政治という面では見どころがありましてな。将来はあなたの右腕に育つのではないかと考えております」
次女をレオニードと縁付かせて、長男をその支えという名目で庇護下に。
ヴィッテ伯爵家は王家にとっても重要な貴族であり、歴代の当主は王の信任も厚く国務大臣を務めてきた。
当代のエフィムも、王のよき相談役として次期宰相の地位を約束されている。
そこに王族の血を入れて、さらに地位を盤石にしたいと考えるのは、やや欲張りなことではあっても理解できない話ではない。
ペトレン家への王子婿入りは、伯爵と王族という身分を考えれば、やや非現実的である。
だがレオニードは王位継承権が最も低く、母の生家は子爵家である。
子爵家の子息と伯爵家令嬢との縁組と考えれば、ある程度釣り合ってはいる。
そもそも当初は愛人待遇であったはずのレオニードの母が、妃として輿入れできたのは、先代のヴィッテ伯の力があったからこそだ。
彼が愛する妻の妹に少しでもよい待遇をと後ろ盾となってくれたから、今のレオニードがある。
それがなければレオニードは、王の庶子として、母の実家で育てられていたはずである。
「ヴィッテ伯爵家の献身には報いたいと常々思っています」
「では、話を進めさせていただいてよろしいということですね」
ええ、と曖昧にうなずいて、レオニードは遠い地の先を見る。
この先には真っ黒な“森”があって、最も敬愛する人が暮らしているのだ。
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