第9話

 まんまと面倒くさそうな死体の身元調査を“甥っ子”に押し付けることに成功し、さああとはラシー―ーグラシムの『適性』検査をやろうと思っていたエリスだが、その“甥っ子”たっての願いで、しばらく王城に逗留することになった。

 エリスとしてもグラシムの素性につながるであろう男の身元には興味があったし、城に滞在していれば様々な職業の者たちを目にすることになるから、グラシム自身にとってもよかろうと判断したのだ。

 王城と一口にいっても、広大な敷地には王が政務を行う城と、私的に暮らす宮、また離宮がいくつかあり、その中の一つ、レオニードの離宮に2人は泊まらせてもらうことになった。

 離宮には未婚の王族が男女に分かれて暮らしており、今は確か、離宮住まいの王子は彼一人だったはずだ。


「念のため、魔術をかけ直しておこうかね」


 世話をするためにつけられた侍女たちを下がらせてから、エリスはグラシムに向かって魔術をかける。

 目と髪の色をごまかすためのものだ。

 こういった類の一時的な効果をもたらす魔術は、万が一術者――エリスの身に何かあった場合、解けてしまう可能性があるので、できれば染料を買ってきて使ってやったほうが良い。

 あとで馴染みの店をのぞいてみようとエリスは考える。


 黒髪黒目の子供の存在を、レオニードに調べてもらうことも少しは考えた。

 だが、どうも嫌な予感がして、まずは例のグレゴリーという男の身元がわかってからにしようと考えなおした。

 自分の嫌な予感がやけに当たることを、エリスは長い人生の中でよく知っている。


「城の茶菓子はどうだったね」


 いったん術を解かれた漆黒の髪と目が、再び時間をかけて染まっていくまでの間、エリスが当たり障りのない世間話を振ると、グラシムは幼い顔を少し曇らせた。


「先生の作るお菓子のほうがおいしい」

「変わった子だね。私の菓子なんかより、よほどいい材料を使っているだろうに」

「甘かったけど、それだけ。味も薄い」

「味が薄い? あれだけ砂糖と牛酪バターを使ってるのに」

「はい。べったりした感じがしたけど、味はあんまりわからない」


 エリスがグラシムに作ってやっている菓子には、子供相手だからと“森”の果実をふんだんに使用しているが、王族として育った彼女にとっては素朴な味わいに感じられる。

 それよりも味がわからないとはどういうことだろうか。

 今のグラシムには特に病気はないはずだが、そういえば栄養が偏ったことにより味覚に異変を起こす場合があったなとエリスは知識を掘り返す。

 幼い頃の栄養失調により味覚障害があるのだとすれば、少々問題だ。


「そうかい。じゃあ、しばらく王城にいる間も食事の感想を聞かせとくれ」

「はい」

「……そろそろ色は大丈夫そうだ。出かけようかね」


 伴をするという騎士を丁重に断り、エリスはグラシムと2人で城下へ降りる。

 すでに日が傾いていて、あと数刻もすれば日が暮れるだろう。


「店が閉まる前に、のぞいてみるかね」


 そう言いながらエリスが足を運んだのは、やや治安の悪い裏路地である。

 さすがに真っ黒なフォルマを着たエリスに絡んでくる命知らずはいないが、ぎらついた目を向けてくる連中の気配に、グラシムがほんの少し体を固くしたのがわかった。


「ここだ――やあ、久しぶり、元気そうだね」

「賢者様じゃないかい! ずいぶんとご無沙汰だねえ」


 足を踏み入れた一軒の薬屋で、カウンターの奥にいた中年の女が、エリスの姿を見て勢いよく立ち上がった。

 その視線が、エリスにくっついたグラシムに無遠慮に向けられる。

 どうも年齢よりも幼いグラシムは人見知りしているようだ。


「あらあら、いつの間に子供なんかこしらえたんだい」

「私の子じゃないよ」

「はは、冗談さ。で、今日は何が入用なんだ?」


 笑いながら女が素早く店の扉に閉店の札を下げて内側から施錠した。

 話が早くて助かる。

 この店はごく普通の薬屋であると同時に少々法に触れるものも扱っており、今日のエリスの求めるものがその類であることを彼女は察しているわけだ。


「髪と目を染めてやる薬があったろ。こういう――」グラシムの頭をなでながら「色になるものが欲しい。滞在がどれくらいになるかわからないから、とりあえず1週間分くらい」

「賢者様ならすぐに作れるだろう?」

「そうなんだが、用意するのをうっかり忘れてね、出発してからこの子の髪を変えなきゃいけないって気づいたんだよ」

「賢者様っていっても完璧じゃないんだ。安心するねえ」

「そりゃそうさ。私はただの若作りな物知りおばあさんってだけで、他は普通に年相応のガタがきてるんだよ」

「はは、じゃああたしと同じってわけ……1週間だけでいいのかい」

「さしあたってはね。それ以上になるようなら、材料を集めて作ることにするよ」


 話しながら、女が手際よく薬品を計り、瓶に詰めていく。


「そうしたほうがいいかもね。どうも最近、厳しくて……ロルフの店、知ってるだろ?」

「ああ」

「おとつい、憲兵が踏み込んでさ、ロルフの野郎、しょっぴかれちまってまだ帰ってこないんだ。何があったか知ってるかい?」

「今日ついたばかりだから何も。なにがあったんだい」

「実は、兵隊の脱走騒ぎがあったらしいんだよ」

「脱走兵」


 繰り返すエリスの声がほんの少し低くなるが、女は気づかず瓶を袋に詰めていく。


「そう。詳しくはあたしも知らないんだけどね、その兵隊ってのが何かやらかして王都ダルクレーニから逃げたらしくてさ、どうも髪と目の色を変えてたらしい。もともとあれも規制薬品だしね……今じゃどこの裏店でも軽々しくは売ろうとしないよ。あんたじゃなかったら、あたしも床下に隠したまま知らんぷりさ」

「そうかい……ベティ、気が変わった。やっぱりハンツェの葉と実、それとケイス油も適当につつんどくれ」

「そう言うと思った。エディル石も欲しいならアリアのところに行くんだね」


 気の利く店主はにやりと笑い、薬の材料になるものを籠から取り出し始めた。

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