明日死ぬと思って食べなさい 。永遠に生きると思って食べなさい(4/4)

「姉が死んでしまったショックの所為ですかね? 甘いとか酸っぱいとか、苦いとか辛いとか、美味しいだとか不味いだとか……もう分からなくなっちゃって。あはは、笑えちゃいますよね? ですから、調理科はもう退学するつもりですし、夢だった料理人も諦める事にしたんです。そんな人間が、味が分からない人間が寮母なんて駄目に決まっているじゃないですか。悪い事は言いませんからもっとマシな人間を探してくださいね?」


 自分の事を侮蔑する時はいつだって、すらりすらりと舌が回る。


 そんな事を他人事のように思いながら、僕は目の前で絶句している金髪の少女をそれとはなしに一瞥する。


 寮母という仕事に対して明確なイメージこそないけれども、それでも料理を作る以上、美味しいだとか不味いだとかが作り手が一切分かっていない状態で提供するだなんてあってはならない。


 故にこそ、僕は彼女の申し出を辞退する事にした。


「……」


 掃除をして少しばかり明るい雰囲気に満ちていた筈の空間に痛いぐらいの沈黙が漂ってきて、自分からその空気にしてしまった僕は居たたまれない気持ちを押し隠すべく客請けとして出したお茶に手を付ける。


 ……熱い。

 流石にそれぐらいは分かる。

 だけど、濃すぎるだとか薄すぎるだとか、不味いだとか美味しいだとか、渋いだとかえぐいだとか、風味があるだとかコクがあるだとか……そういうのが全然分からないまま喉元を通る無味の液体を体内に取り入れる。


 特にアイスは最悪の一言。

 味が消えたアイスだなんて、そんなのただの冷たくて頭を痛めるだけの固形物でしかなくて、一種の拷問道具のように思ってしまえた事が記憶に新しい。


「こんな身体になってしまった以上、僕は塩を入れ過ぎただとか、そういった気づけて当然でしかない些細なミスにだって気づけなくなるのは明白です。そんなミスを起こして寮生の皆さんの健康を損なったら学園にも迷惑がかかるじゃないですか」


「…………」


「そういう訳で、この話は無かった事に――」


「――じゃあ聞くけど。なんでキミは私にすまし汁を飲ませたの?」


 素の彼女らしき物言いで、見るからに不服そうな表情を浮かべた百合園茉奈がそんな事を口にする。


 対する僕は彼女に対して物腰柔らかに反論しようとして……反論の1つすらまともに出来ない事に気づいてしまっていた。


「嘔吐しまくって体調が悪くなってしまっていた私に一方的に美味しいすまし汁をご馳走してくれた挙句、人に美味しいご飯をもう用意出来ないからそういうのは嫌? さっきから言っている事とやっている事が矛盾してるの気づいてないの?」


「……何が矛盾しているって言うんですか」


「キミが料理を作りなくないって事以外にあると思う? 自分でも薄々は気づいているんじゃないの? 本当はそうじゃないって」


 思わず、だんまりにさせられて考え込んでしまう。


 言われてみれば、確かにそうだ。

 体調が悪くなってしまった人の胃腸を慮って、僕は反射的に、和奏姉さんの胃腸の調子が悪くなった時のように、すまし汁を作ってしまっていた。


 そして、彼女はそのすまし汁を世界で1番美味しいと言わんばかりに飲みつくしていたではないか。


「キミは頼んでもないのに美味しいご飯をご馳走してくれたおかげで飯テロされた私の食欲に対して悪いだとか、そういうのは無いんだ? こちとらキミの作ってくれた美味しい料理で餌付けされてしまったのにね?」


「で、でも……!」


「というか、キミ、高校辞めてどうするの?」


「えっと、その、取り敢えず、求人情報を見れば、何とかなるかなって」


「うわっ、優等生らしい見た目の癖して考えなしじゃん。割と勢いで生きているタイプなんだねキミ。というかせめて高校は卒業しておこうよ。学費なら私が出すし、ついでに大学も行っちゃえば?」


「いや、でも、味覚障害者が調理科にいたところで将来性ないですし……!」


「語るんだ? 将来性。だったら高校を中退する方が将来性が無いんじゃないの?」


「っ……!」


「キミ、あの和奏が姉でしょ? なら和奏がどうして欲しいのかぐらいは分かるでしょ?」


 思わず、押し黙ってしまう。

 生きている貴女が、姉の言葉と題して自分の意見を言うのは色々と思うところはあるけれども、僕の中で生き続ける和奏姉さんであれば、僕がこうして落ち込み続けているのは絶対に願っていないというのは厭になるぐらいに分かる、分かってしまう。


 だって、和奏姉さんは僕の唯一の、この世界でたった1人だけの家族だったのだから。


「……すまない。ついつい言葉が荒れた」


「……いえ、確かに百合園さんが仰る通りです。姉が、僕の姉が、いつまでも自分の死で落ち込んで欲しいだなんて絶対に思いませんから」


 改めて、その当たり前の事実に気づかせてくれた彼女に僕は頭を下げる。


 対する彼女は相変わらず偉そうなままで……僕では永遠に持てなさそうなその傲岸不遜さが、僕とは正反対すぎて、逆に羨ましかった。 


「構わない。ようやく話が進みそうだ。君、行き先が無いのなら我が校に編入してみないか? 我が校は融通の利く普通科であり、偏差値も全国平均よりも高く履歴書にも書ける程度のブランドも備えている。当然、理事長代理特権で学費免除も可能であり、大学に拘りがなければエレベーター形式で進める大学の紹介も可能だ」


「編入、ですか? えっと、何処の学校にでしょう?」


「百合園女学園に決まっているだろう? 何せこの理事長代理のお膝元……詰まる所はこの誉れ高き百合園一族の私が思う存分に君を特別扱いしてあげようと言っているんだ」


「え、え、え……えぇっ……!?」


 あれ、おかしいな。

 僕はさっきまで彼女の厚意を踏みにじるような真似をしたくせに、目の前にいる金髪碧眼美少女はまるでどうしようもないダメ人間の世話をするかのようにありがたすぎる提案を何度もしてくれる。


「お、お気持ちはありがたいんですけれど、僕、もう美味しいご飯なんて作れなくてですね!? 病院にも行ってみたんですけど、薬代が高いものですから、金銭的な問題で色々と諦めていてですね!?」


「ほぅ? 治るのか? それでは未来的な投資としても薬代も出しておこうか」


「確かに精神的問題なので治るかもしれないとはお医者さんは言ってましたけど……!?」


「うるさいな、君。私が面倒を見てやると言っているんだ。大人しくこの私に面倒を見られろ」


 彼女への嬉しさと困惑で頭がいっぱいいっぱいになってしまった僕は頭を抱え込む訳なのだけど……いやいやいやいやいや!?


 これはひょっとしてギャグか何かなのか!?


「それは余りにも好条件過ぎますけどね? そんな事よりも僕はですね?」


「私が和奏から受けた恩を考えたら少なすぎるぐらいだが? それに寮は私も利用している。そもそも、私以外に利用している人間はいない。何せ私には常日頃から人を寄せ付けないような冷徹なカリスマオーラを出す面白味のない人間かつ出来る女なモノでね。別に1人で寮生活をしてるから寂しいという訳ではないので勘違いしないで欲しい。そういう訳で、はい採用。今日から君は私の所有物だ」


「さ、採用って……! ぼ、僕をですか!? ほ、本気ですかっ!?」


「謙遜もここまで行き過ぎると流石にイラッとするな、えぇ? この百合園茉奈が味覚障害だからといって恩人の忘れ形見を邪険にするとでも? 随分とこの私を甘く見るじゃないか君」


「りょ、寮って、女子寮ですよね!?」


「女学園なのだから女子寮しかないに決まっているだろう」


「あの⁉ 僕はですね⁉ あ、そうだ、僕! そう僕! 僕の一人称を聞いて何か疑問に思うことはおありではないのでしょうか⁉」


「ん? 一人称? あぁ、僕っ娘。うん、別にいいんじゃないか? そもそも私がこんな女っ気のない喋り方をしている時点でな。ふふ、大丈夫だ。この百合園茉奈に二言はない。君がどんな人間であろうとも君の生活は私が絶対に保証する」


「違うんですっ! 本当に違うんですっ! どうして気づいてくれないんですかっ⁉ お嬢様は僕を根本的に間違えているんですっ⁉ 冗談もそれぐらいにしてくれないと……ぼ、僕、怒っちゃいますよ……⁉ ほ、本気で怒りますからね……⁉」


「間違えている? 何を? この才能に溢れ、人を正確に見る目を有したこの優秀すぎる私が一体何を間違えていると言うんだ? 君は菊宮唯だろう? 菊宮和奏のの――」


















⁉」

















「――は? 何を言うんだ君? いや、本当にいきなり何を言うんだ君は? 君みたいにとってもかわいくて、和奏にそっくりな素敵な女の子が、男? 面白くない冗談はそれぐらいにしておけ。というか和奏には何回も妹がいると聞かされていたんだが? 何なら写真も見たんだが? 君は写真通り、女だろう?」


「男ですっ! 僕は男ですっ! 僕は生物学上でも男です! 姉の妹発言は完全な噓なんですっ! 姉は基本的にそういうくだらない嘘を吐くのが大好きなどうしようもない人間なんですよっ!」


「いや、君はどう見ても女の子じゃないか。それも私好みの美少女。これで男って笑えない冗談だぞ、君。というか女の子に殺されてもおかしくない冗談だから、今後から口にするのは控えた方がいいぞ?」


「確かに僕は昔から女の子みたいだって言われましたけども! 男子トイレにいるだけで何度も男性にチラ見されましたけども! ナンパにも何回も襲われましたけども! 電車に乗ったら何故か痴漢された挙句『付いてんじゃん』と嘆息混じりに言われながら『これはこれで興奮するからOK』と痴漢を続行されましたけれど! 警察に捕まった痴漢が僕を見ながら『おじさん、君の所為で男の娘じゃないと興奮できない身体にされちゃったよ』とか最低な置き土産も頂きましたが! 男子の同級生のラブレターとかバレンタインチョコに初恋を何度も貰いましたけれど! それでも! 僕は! 男ですっ!」


「本当に君はあの和奏の妹だな。和奏は昔から冗談が好きだった。どうやら妹にもその特徴は受け継がれているらしい……が、残念だったな? 昔から和奏の悪ふざけで鍛えられた私はそのぐらいで騙されてあげないぞ? こういうのは手っ取り早く分かる方法があるんだ」


「ちょっ、待っ⁉ 何でいきなり近づいて……⁉」


「心配しなくていい。胸とか、下半身を触るだけだからな。さぁ、服を脱いで私に可愛がられろ」 


「いや、いやいや……⁉ それは駄目ですって、本当に駄目ですって⁉ きゃっ……! だ、駄目……! い、いや……! ひ、ひゃぅん!? さわ、触らないで……! あっ、んっ……! や、やだっ……! やらぁ……! 慣れた手付きでズボンを脱がさないでくださいよぉ……⁉」


「いいじゃないか。私たちは同じ女同士なんだから……ほほぅ? 君は胸が無いんだな? 私の方が胸が大きいのは実に気分が良い。にしても……ふふ、ブラもつけないで実に不用心じゃないか。誘っているのか、ん?」


「……ぁ、んぁ……! むね、さ、さわるの、だめっ……! や、やめてっ……! そんなにさわられると、ぼく、ぼくっ……!」


「発達途中の胸を触るのは実に良い。自分よりも貧しい人間の胸を触るのは優越感に浸れてとても良い。そして何より肌はすべすべとしていて触り心地が素晴らしい。最高だぞ君。さてさて、お次は下半身と洒落こもう。さぁ、どちらがご主人様なのかを君の身体と心にたっぷりと教え込んであげよう」


「や、やめ……っ! やめっ……! やめてぇ……! いやっ……! いやぁ……!」


「ふふ、実に嗜虐心がそそられる悲鳴と涙目だ。だが、これも全部くだらない嘘をついた君が悪いんだぞ? さぁ、美少女同士、仲良く親睦を深めよう、じゃ、ない、か……?」


 彼女が押し黙ったタイミングは奇しくも僕のズボンとパンツの両方を剝ぎ取った後の事であり、彼女は男性特有のを目にしてしまっていたからというのは想像に難くなかった。


 例のアレが一体何なのか?

 それはもう、アレだ。

 とんでもないレベルの美人の、とても綺麗で意地悪な声と、やわらくてもちもちで冷たくて気持ちいい女の子の指でいじめられてしまった僕の身体は、男の子になってしまっていたのである。


「……え? なに、これ……? ……ふぇ? なに、この、大きいの……?」


「――あ。あ、あ、あ、あぁ……! あぁぁぁぁぁぁっ! み、み、み、見られたっ……! まだ僕、彼女も出来てないのにっ……!」


「え? え? え? アレ? コレ、処女? 処女って、こんなヤツだったっけ……!?」


「僕は童貞ですよっ!?」


「――は? え、待って。キミ、もしかして……男、なの? 本当に? 噓でしょ? そういう生物だとか、両性具有だとか、そういうのではなく?」


「だからっ……! 僕は男なんですっ……!」


「――嘘。キミ、ちょ、待って。話が違う。誰がどう見ても顔とか女の子じゃん。こんなの罠じゃん。待って。私は悪くない。違うの。全然違うの。私はそういうつもりでキミを脱がした訳じゃ、いや顔とかはすっごく好みだけど……えっと、その……あの、ごめんね? その、責任とか、そういうの、ちゃんと取るから。百合園茉奈に二言はないし、うん……だから、ね? えっと、ね? その……末永く宜しくというか、幸せにしてねというか……、とってね?」


 拝啓、天国の姉さん。

 僕は貴女の雇い主に汚されました。


 あぁ、姉さん。

 なんで僕の事を雇用主相手に妹だって嘘をつきやがったんですか、この野郎。


「……私よりも綺麗でかわいい顔と身体してるのに……へぇ……? 唯は男の子なんだねぇ……? 私、本当に頭がおかしくなっちゃうよ……? ふへへ……! こんなの、もう普通の男の人に一生興奮できないよ……!」


 追記、天国の姉さん。

 僕はどうやら貴女の雇い主の性癖とやらを壊してしまったようです。


 頬を赤らめながら、瞳の光が弱くなった状態でこちらを舐めまわすように見てくるお嬢様の目つきのソレは誰がどう見ても犯罪を犯す寸前の変質者のソレでした。


「ちょ、ちょっと⁉ なんでそのまま僕を押し倒して……⁉」


「……ごめんね? 私、思春期だから、そういうの、ちょっとだけ興味あるんだ。唯はそういう女の子、嫌い?」


「あっ、んっ、んぅ、耳元で囁くの、やめてっ……! 身体に力、入らなっ……!」


「唯は優しいね。男の子ならその気になれば女の子なんて振りほどける癖に。それとも、何だかんだで下心があるのかな? 女の子の顔をしている癖にそういうところは男の子なんだ。だとしたら好都合だね。いただきます」


「待っ――⁉ いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ⁉ やだっ! やだぁっ! たすけっ……! たすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

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