明日死ぬと思って食べなさい 。永遠に生きると思って食べなさい(2/4)
「助かった。いや本当に助かった。君は本当に聖女のようだな」
いきなり僕が住んでいるマンションの扉を開けたかと思いきや、堂々と入り込んだ挙句、溜まりに溜まっている汚物の臭いを直に嗅いでしまったが為に胃の中のものを嘔吐してしまった初対面の女の子の面倒を見ること、実に数時間。
気づけば時間帯は午後の5時ぐらいになっており、3月と言えども夕日の眩しい時間帯に差し掛かっていた。
「そして、重ね重ねお詫び申し上げる。まさか人様の家で……しかも、世話になっていた
「大袈裟すぎません?」
「大袈裟なものか」
「そもそも後片付けをしていなかった僕の責任じゃないですか。まさかこうしてお客様が来るだなんて夢にも思っていなくて、掃除を杜撰にしていた僕の責任ですってば」
「そう言って貰えると心が軽くなる。ついでに胃の痛みも少々収まる」
いきなり床の上で吐瀉物をまき散らしたという前科があるだけに、彼女の言葉は冗談のようで冗談とは思えないというのが正直なところで、僕は乾いた笑みを浮かべるしか出来なかった。
――話は数刻前まで遡る。
僕は1週間前に交通事故で姉を失ってしまった心痛でこれからどうやって生きていけばいいんだとヤケクソになっていた所に、この家に侵入してきた彼女がいきなり現れた矢先に吐瀉物を吐いて生死の境を彷徨っていた。
そんな彼女に僕は楽な姿勢になるように椅子に座るように勧めると、金髪碧眼の美少女は疲れが溜まっていたのか椅子に座った瞬間に爆睡。
寝入った彼女を何度も起こそうとしても、カツ丼食べたいやらラーメン食べたいやらそういう寝言を何回も繰り返しては、腹の虫を何回も鳴らせる始末。
当然ながら、家の中にゲロがあれば片付けをしないといけない訳で、そのついでに前々から腐らせていた食材の片付けなどを寝ている彼女を起こさないように物音立てずに行い――今に至る訳なのだ。
「にしても、まさか数時間であの汚部屋がここまで清潔感溢れる空間に変化するとはな。ここまでの変わりようを目の当たりにさせられると、私は夢を見ていたのではさえ思うよ」
感慨深げに周囲の様子を見渡す彼女だが、確かに彼女が目の当たりにしたあの部屋と今の部屋が同じ空間だなんて、普通の人間では到底考えられないような変貌っぷりを遂げていたのだから仕方ないと言えば仕方ないかもしれない。
「あ、そうそう。玄関先のポストに色々と郵便物が溜まっていたぞ? ちゃんと回収しないと管理人にとやかく言われるし、異性から贈られたラブレターはちゃんと読まないと駄目だぞ?」
「ラ、ラブレターって……み、見たんですか?」
「今時手書きのラブレターをポストに入れられるだなんて君は随分とモテるんだな? まぁ君はそこらの殿方が放っておくような存在ではないからな」
「それ、どういう意味です……?」
「言葉通りの意味だが。ところで君はこれから一体何を? いや、エプロンを着用している事から何となく予想はついているのだが」
「はい。折角のお客様でしたので何かご飯でも作ろうかと思いまして」
「食事か。折角の好意に水を差すようで悪いのだが、私は先ほど吐いたばかりで食欲がなくてな」
「ですので、塩分補給がてら本当に軽いものを。僕もここ数日何も食べていなかったので、胃腸に優しいものでも食べようと思っているんです。良かったら塩分と水分補給にスポーツドリンクでもどうぞ。冷えてますよ」
「え? あ、あぁ、頂く。にしても、随分と手際が良いんだな」
「姉と2人暮らしでしたので。慣れざるを得ないと言いますか……まぁ、お料理自体は僕も大好きなので」
厨房の前に立った僕は慣れ親しんだ包丁を手にして、これから調理する具材の下準備を行っていた。
具材と言っても、冷凍保存しておいた椎茸にかまぼこ、まだまだ使えそうな三つ葉や菜の花と言った季節のお野菜と、そこら辺のスーパーで安く買い揃えられるものばかりであるのだが。
「……あの、近づき過ぎでは?」
「え?」
「いやその。どうして僕の真後ろに?」
「私が見たいからだが? いや、野菜やらを切り刻む君の手練手管がそれはもう職人のソレ過ぎて見ているだけでもワクワクしてな? これでワクワクするなってちょっと無理があると思うんだ、うん」
包丁を持った僕が後ろを振り向くと、そこには目をキラキラさせながら調理風景を見ている喪服姿の彼女がいた。
ちょっと視線を感じすぎてやりづらいと口を大にして言ってやりたいのだけれども、あんなご馳走を待ち望むような子供のような目で見られたらそんな事も言えやしないのである。
「あ、そうそう。何かアレルギーあったりします?」
「ふむ、そうだな。アレルギーではないがその椎茸は抜いてくれ。後その人参。それからネギ」
「……お野菜、お嫌いだったりします?」
「は? 違うが? 何の根拠があってそんな戯言を?」
「ならお野菜入れてもいいですよね?」
「後生だから入れないでくれないか?」
「やっぱり嫌いなんですね?」
「は? 違うが? 誉れ高き百合園一族の私が野菜嫌いな訳ないんだが?」
ほんの少し青ざめた表情を浮かべては、椎茸に人参にネギを何度も見てはプルプルと震えている誉れ高き百合園一族とやらという彼女だった。
「……何か入れてほしいモノあります?」
「お肉」
「すまし汁には普通お肉は入れませんよ?」
彼女とそんなやりとりを交わしながら、市販の豆腐をそのまま冷凍保存にして作り置きしていた『高野豆腐もどき』の解凍を確認してから、冷蔵庫からとある液体で満たされた半透明のボトルを取り出した辺りで、僕が調理する様子をまじまじと見つめていた彼女が不思議そうな声を出した。
「その容器に入っているのは? 醤油か? 醬油にしては色が薄いような気がするのだが」
「これですか。これは前々に作り置きをしておいた出汁です。鰹節と昆布の旨味を3時間ぐらいかけて凝縮させた代物なので、時間がなければこれとお野菜で簡単にお吸い物が出来るお手軽マイ出汁です」
「……何というか、やけに本格的だな……?」
「お吸い物は出汁が命ですので」
何故か少しだけ引いているような雰囲気を醸し出す彼女であるのだが……それはそれとして、ボトルに入れておいた出汁を鍋に投入した後、塩や醤油で味を調え、濃すぎるようであれば水道水で塩分を調節。
とはいえ、今回は胃腸が弱っている彼女の塩分補給も兼ねているので塩分はいつもよりも気持ち半分ぐらい多めにしておく。
充分に鍋に入れておいた出汁が温まったのであれば、準備しておいた高野豆腐と椎茸を入れ、3分ほど中火にかけてしっかりと芯まで温めた後に、崩れやすいかまぼこを入れる。
そして、御椀に具材と汁を移し、最後に見栄えが良くなる三つ葉や菜の花を投入したら完成。
「お待たせしました。春野菜の澄まし汁です。温かいので胃腸にも優しいですし、塩分と水分補給を兼ねています」
「……君、金とか普通に取れるんじゃないのか……?」
「まさか。こんなのどこにもあるような数分程度で作れるような簡単お手軽ズボラ飯ですよ」
「君は一度ズボラという言葉の意味を調べ直した方がいいと思う」
そうは言う彼女ではあるが、それでも今回の料理はあまり力を入れていないのが実の所だ。
実際、1週間近く放置していた冷蔵庫には使い物になるような食材が少なく、予め冷凍保存しておいた物しか無かったので、作れる選択肢がとても少なかった。
本当なら、鯛とかそういう白身魚をふんだんに使った澄まし汁を用意したかったのだが。
「知ってるか、君? 出汁はな、料理のセンスが最大に問われる要素がたっぷり揃っているから、美味しい澄まし汁が作れるヤツはとんでもないほどの料理上手らしいぞ」
「世間一般的にはそう聞きますね。さて、それでは……」
「いただきます」
「いただきます」
異口同音でそんなお決まりの言葉を口にした僕たちは早速、澄まし汁を口にするべく御椀を手に持った。
「……」
当然ながら、作った人間として自分の作った料理を食べている人間の反応を気にするなと言われても出来る訳がない。
僕は慣れ親しんだ澄まし汁を啜りながら、気づかれないように視線を彼女に向け、彼女が取るであろうリアクションを静かに見守っていた。
――こうして見ているだけであるのだが、御椀と箸を手にしている彼女は絵になるぐらいに様になっていて、普段から彼女はあんな綺麗な姿勢で食事に向き合っているのであろう事が簡単に予想できた。
かちゃかちゃと容器と箸をぶつける音や、汁を啜る際の物音なんて全くさせないまま、御椀に口を寄せた彼女が澄まし汁を啜ったその瞬間、彼女の表情はぱぁっと、光輝くような笑顔になった。
「えっ、
澄まし汁を口にした瞬間、まるでまだ幼い子供のように豹変して美味しいと言葉にしてみせた彼女を前にしてしまった所為で、今までに抱いていた彼女のイメージが急に崩されてしまった僕は唖然としていると、彼女は恥ずかしそうに赤面をしては咳払いをしてみせた。
もしかして、男言葉を話している彼女は演技か何かであって、先ほど見せた子供のようなリアクションをとってみせたのが素の彼女なのだろうか……まぁ、本人が恥ずかしそうだから言及しないでおくけど。
「良い出汁だ。五臓六腑まで染み渡るという慣用句はよく聞くが、まさか実感できるだなんて思わなかった。濃すぎず、薄すぎず、優しい味だ。溜息が出る味とはまさにこの事」
ふぅ、と何やら色っぽい溜息を吐いて見せる彼女に思わずどぎまぎしてしまい、僕はそれを誤魔化すように澄まし汁を啜り、椀で顔を隠す。
もし見られていたらとんでもなく恥ずかしいと思っていたのだが、どうやら彼女は僕が作った澄まし汁の感想を口にするのに必死のようで、僕の様子なんて気にも留めていなかった。
「うっま……え、なにこれ、うっま……なにこの豆腐……うっまぁ……数分で作っていい味じゃないよこれぇ……? えへへ、しあわせぇ……! 豆腐なのにまるで本物の鶏肉のような食感がすっごく美味しいんだけどこれぇ……! 噛めば噛むほど豆腐の中に染み込んだ濃厚な出汁が爆弾のように弾けてぇ……! えへ、えへへ……! うん! お代わり! ――ではなく! こほん、お代わりを希望する」
めちゃくちゃニコニコした笑顔で御椀を僕に突き出してきた彼女ではあるのだが、すぐに冷静さを取り戻したのかいつもの男言葉口調で仏頂面の彼女になった。
とはいえ、それでもお代わりを撤回しなかった彼女の図太さが何だか可笑しくて、僕は笑いながら彼女の要望を聞いてあげる事にした。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。前述した通り、美味い澄まし汁を作れる人間は大変な料理上手らしいが……それを数分で作れる君はとんでもない程の料理上手だな? お代わり」
「うーん、断言できるぐらい多くの人の料理を食べた事が無いので何とも言えませんけど。はいお代わりどうぞ」
「なら、適当に入った料理店で自分の方が美味しい料理を作れると自負した経験はあるか? お代わり」
「いや、そんなにないとは思いますけど。はいどうぞお代わりです」
「そんなにぃ? うっそだぁ! えー? 本当の所はどうなのさ? んー? 正直に言っちゃいなよー? もう1回お代わりー! 野菜は抜いてね!」
いや、素の自分を本当に隠す気あるんですか、貴女。
「正直に言いますと結構あったりしますね。ところでそろそろ澄まし汁なくなるんでこれが最後のお代わりです。流石に食べ過ぎです。これ以上食べたら胃腸に悪いですよ?」
「えー⁉ もっと食べた――ではなく! ふむ、道理だな。だが私の胃腸はそんなに軟じゃないのでもっとお代わりを希望する。後、野菜は抜くように。その代わりに豆腐をいっぱい入れるように」
「はいはい」
――不思議なものだ。
僕たちはつい先ほどまで見ず知らずの他人同士であった筈だったのに、気づけば食事のおかげでこうして気安く会話をしていた。
彼女の名前が
「それはそれとして、今回の澄まし汁は『食べる為に、食べる』がモットーです。胃腸に優しい食事にしようと思いましたので食べ過ぎは厳禁です。めっ、です」
「食べる為に、食べる……うん、そういう哲学的な考え方は嫌いじゃないけど……むぅ……もっと食べたいなぁ……成長期なんだけどなぁ私……」
とはいえ、今の今まで自分1人の為だけに食事を作ろうとせず、もうどうにでもなれと投げやりになっていた人間が偉そうに言える内容だとは思えないけれど、僕は先ほどの憂鬱な気分を忘れて、笑顔を浮かべながら彼女に残酷な言葉を投げかけた。
「駄目です。今日はもう終了です」
「うわ、そういう事を口にするキミは本当に和奏そっくり。気持ち悪」
お互いにあまり知らない間柄だというのに、たった一度の食卓を囲んだだけでこんな気安いやり取りをしている僕はあまりにも警戒心という物が欠けているのではないのか、と思わざるを得ないのだろうけれど――。
「はは、あはは……!」
「ふふ、ふふふ……!」
あんまり考えなくてもいいかなぁ。
よく分かんないけど、なんか、ちょっとだけ幸せだし。
姉さんが死んだ世界で、こんな温かい気持ちにもう一度なれるだなんて思ってもみなかったのも理由の1つではあるのだけど――。
「うへへ……! 身体があったまるぅ……! 幸せぇ……! お代わり!」
「もうお代わりありませんよ」
「……え? もうお代わりないの……? 嘘でしょ……?」
あんな感じで幸せそうな表情を浮かべてご飯を食べてくれた彼女が悪人である訳がないし、彼女の素は……死んでしまった僕の姉にとても似ていた。
だから、まぁ、別に
「……全く、仕方ありませんね。もう一度、すまし汁を作ってきますので数分お待ちください」
僕がそう言い残してキッチンの前に立つと、彼女は実に嬉しそうに破顔してみせたのであった。
「やったー! 唯大好き!」
……心臓に、悪い。
あんな美人が子供のようなあどけない笑顔をこぼして、僕なんかが作る料理を心待ちにしているという事実がたまらないほどに心臓に悪くて、うるさかった。
僕の身体が熱くなっているのはきっと調理で火の近くにいるからだと、内心で何度も言い訳をしながら、思わずにやけてしまっていた表情を彼女から隠すように、僕はすまし汁の調理を再開した。
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