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狭霧

第1話 約束の日

 薄暗いラボ内には低く重い唸り音が続いている。広い空間の半分以上を占める球状のConvergence Expression Device(収斂発現装置:通称セド)が発するそれを気にする職員はいない。それが起動されて一年が経とうとしているが、一秒たりとも停止したことがないのだ。だが月に一度視察に来るだけの身には耳障りだった。振動は肌にも感じるのだから。

「なんとかならないのか?」

 こめかみを押さえて竹村龍臥はぼやいた。龍臥に背を向ける形でウインドウの下方を見つめていた宮野美也は振り返りもせずに呟いた。

「帰れば良いんじゃない?」

 大学では同じ工学部先端工学科で学んだ二人の会話はタメ口だ。それは龍臥が防衛省開発管理局勤務、美也が橘研究所の主任研究員となったいまも変わらない。

「帰っていいなら帰るけどな」

「飼い主の許可がいるもんね」

「うるせえよ」

 美也が橘研究所所長である橘良太郎の一人娘だという事は周知のことだが、苗字が違う理由まで龍臥は知らないし、訊く気も無かった。そんな二人の言い合いは日常茶飯事で、傍で聞く者は心配になることもある。だが本当のケンカにはならない。

「とうとう〈今日〉が来たわけだが――先生は?」

「下で最終チェック中」

 ようやく振り返り、美也は紙コップのコーヒーを手に取った。

「ここがメインコントロールルームだろ?そこは宮野一人?」

「今日に関して言えば肝はセドと〈あの子〉だしね。ここに関してはもう飽きるくらいチェック済みなのよ。それよりそっちこそ。〈あの子〉の初起動日に、防衛省からは龍臥だけ?舐めてない?」

 あくまでも始動実験と聞いている防衛省だ。幹部クラスが訪れることはない。龍臥は苦笑してガラスの下方を見た。セドの隣に置かれているのはベッドだ。美也が〈あの子〉と呼ぶ〈それ〉はセドの前でベッドに横たわっている。静かに眠る少年に見えた。

「どんな夢見てるんだろうな」

「意外にロマンチストね?でもまだまったく機能してないわよ。それに起動したとして、夢は見ないと思う」

「思った通り非ロマンチストなのな」

 呆れて笑う。付け足して言った。

「上手く行くことは願ってんだぜ?本当にさ」

「まあ、結構な予算頂いてる身としては、偉いさんが来ようがなんだろうが、どうだって良いけどね」

 微かにブザーが鳴り響く。ラボ内の大型電光掲示板に浮かぶのはデジタル時計の数字だ。通常の時計ではない。カウントダウンを表示している。ブザーは五分区切りを知らせるためのものだ。残り時間は〈二十八分三十秒〉だ。

「この日を二年も待ったのよ」

 並んでラボを見る美也は呟いた。それは龍臥も同じ事だ。防衛省が橘研究所の計画を支援すると決まったのは、龍臥が開発管理局で主任になるのとほぼ同時期だった。大学で師事した橘良太郎の私的研究所に、国家の予算が使われるのだから防衛省としてもいわば一大事だった。橘との関係性を考慮され、その監視役に抜擢されたのが龍臥だ。

「それにしてもいまだによく分からないんだが」

 龍臥は美也の横顔を見た。涼やかなその目は横たわる少年を見つめていた。

「なんでそこまで時刻が大切なんだ?普通こうした実験ってのは、上手くいくタイミングの方が優先されるものだろ?」

 西暦二〇二九年十月十六日午後一時三十八分ちょうど――。今日はそれよりもちょうど一年前、二〇二八年の同日同時刻を迎えようとしている。予定日を外して実験の完成はあり得ない――と良太郎は常々言ってきた。許容誤差はプラスで一分以内とも。

「今日はまだ一年も前だ。それが最大出力って…その意味が俺には――」

「ま、いまに分かるのかもね」

 ヒンヤリとした言葉だった。明らかに龍臥と同じ次元でものを見ていない。何かを隠している――と言う印象は龍臥の中に最初からあった感覚だ。

――嘘は言わない。何につけてもハッキリとモノを言うのが宮野の良いところでもある。その宮野が、妙に歯切れの悪い言い方をするもんだ……。

 気にすまいと思っても気になってしまう。なにせ事は国家の国防システムにまで関わる可能性を秘めているのだから。

「完成すれば日本の国防は」

「敵対的な国に対して圧倒的な優位性を確保出来るでしょうね」

 それに望みを託しての〈開発計画〉だ。

「どうか成功してくれ」

 その龍臥に美也は笑みを向けた。

「大丈夫。信じてなさい」

「神様をか?お前をか?」

「さあ……」

 含み笑いはユックリと消え、再び冷ややかな表情が戻っていた。


 各ブロックからの点検結果を聞きながら、良太郎は逐次頷いていた。

 大統一理論(電磁気的相互作用および強い相互作用と弱い相互作用の三つを一つの形で表す理論:GTUと呼ばれている)が完成したのが西暦二〇二五年。そこに念願の重力場の相互作用を加え、超大統一場理論を完成させたのも良太郎の功績だ。ここに統一場の理論は完成した。だが、理論は出来ても実験での証明は容易には叶わない。世界の権威たちがこぞって挑むが、四つの統合を実験で観察することは出来なかった。だがそれもまた突破したのは良太郎だった。西暦二〇二六年、場の統一で予想されていた空間裂現象あるいは拒絶空間現象とも呼ばれるそれが確認されたのだ。良太郎は実験成功の直後、旧知の官僚に対して支援の要請を訴えた。

「いずれこの理論を利用して他国も様々に応用をしてくるのは火を見るより明らかです。ならば今のうちに、日本としてハッキリとしたアドバンテージを稼いでおくべきでしょう」

 それが言い分だった。具体的な提案が良太郎側から為されたのも時を置かない。無敵の武力を構築出来るという話は、超極秘で政府に上げられたのだった。

 研究員たちからの報告が終了すると、良太郎は横たわる少年を見つめた。特別に開発された骨格に配された人造筋肉を持ち、関節の可動能力は実際の人間同様に無段階でスムーズだ。顔も含めてその全身を覆う皮膚は耐熱耐衝撃で非常な剛性を持っている。その少年は、ロボットだった。

 場の統一理論とロボットという、いわば一見無関係にも思える二つを結びつけたのは、良太郎の発案だった。研究所の誰もが理解することの叶わないアイデアだったが、唯一、美也だけは父の考えを概ね掴んでいた。

「ついに――」

 良太郎は時計を見上げた。カウントダウンは五分を切った。

 研究員全員を待避させ、自分だけが少年の傍に居残った。美也はマイクを握り、父親に呼びかけた。

「パパ――橘先生も早く待避して下さい」

 だが、ガラスの向こうでコントロールルームを見上げる良太郎は静かに首を横に振った。美也はそれ以上言わず、無理はしないで下さい――とだけ告げた。

「いいのか?初めてセドを最大電圧で動かす実験なんだろ?」

「人生を賭けたの」

 娘がそうまで言うのだ。龍臥に言うべき事はない。

「それに、確かに誰か一人でも良いからサポートした方がいい可能性はあるしね」

 誰のサポートだ?と龍臥は問いたかった。この実験は世界で最初の大規模空間裂発生が少年ロボットに内蔵された人工知能に及ぼす実証だと聞かされている。口を開き掛けたとき、警報音がラボ全体に鳴り響いたので問うのをやめた。

「待避所一階二階各所、衝撃に備えて!D2ゴーグル(工業用一眼型)着用厳守!カウント開始します」

 それは美也の声で六十秒前から始まった。一階と二階に設けられた研究員用避難所は厚さ二〇センチの鋼鉄製だ。設けられた監視用窓からラボの様子を見守る全員が工業規格のゴーグルを着けている。美也も龍臥も同様だ。

――出力十パーセントと三十パーセントで二回の実験にも立ち会ったが、こんなに厳重じゃなかった……。

 龍臥は得体の知れない不安を覚えた。これは本当に美也たちが言うような〈事前実験〉なのか――。

「十八、十七、十六、モニター数値正常、十四、十三――」

 巨大な球状の姿を持つセドが発光を始めた。それは淡い紫色をしている。

「十二、十一――」

 唸りは大きくなり、その振動は全員の身体を小刻みに揺らした。

「十、九、八――」

 龍臥は気づいた。ベッド上のロボットがセドと同じ色に発光を始めたのだ。

「これは――初めて見た!」

 美也は龍臥を見ずにカウントを続けた。

「五、四、三――」

 光はゴーグルを通しても直視出来ない強さになった。龍臥は片手で顔を覆った。

「二、一――」

 表示のカウントがゼロを示した。継いでカウントアップしていく。振動は極大となった。

「先生!始まります!エンカウンターレベル急上昇!針が振り切れました!」

「何のことだ?宮野、これは一体――何の実験なんだ?」

 美也は動揺する龍臥には答えずに叫んだ。

「来ます!」

 ラボは地下数十メートルの深さにある。地鳴りに継いで訪れた大きな揺れで龍臥はソファーに倒れ込んだ。

「宮野!」

 叫んだ龍臥はハッとした。美也の横顔に浮かぶそれは、あきらかに歓喜だった。ガラス窓から入る光はいつの間にか紫から白色に変わっていた。龍臥は慌てて立ち上がった。揺れは収まり、セドの唸り音も消えていた。急いで立ち上がった龍臥が見たものは――。

「宮野、これは……」

 ラボを見下ろした龍臥は絶句した。床に座り込んだ良太郎の傍に立つ者がいた。それは横たわっていたはずの少年だった。

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