第16話 スタークとバルバリの国 5

 崩れた門の瓦礫の上。スタークは目を閉じ、亡くなった者たちへの祈りを捧げている。小さく呟かれた祈りの最後は、誰の耳にも届かない謝罪の言葉で締めくくられた。息を吸い込むと、瓦礫の埃っぽい匂いの中に、血の匂いも混ざっている。

 スタークが血の匂いに唇を噛みしめ、目を開き顔を上げると、スタークと同じく怒りと悲しみに満ちた二万の国民の顔が並んでいた。

 その国民に向かって、スタークがゆっくりと語り始めた。

「オルビスと繋がる者の使命とは言え、長らく故郷を離れていた私に、今更王としての役割が務まるのか。そういう自問を繰り返す時間さえ天は与えてはくれなかった。フィクスムは容赦なく動き続け、我々の鼓動は時を刻み続けている」

 国民たちは、俯き話すスタークに向かって、自信を与える言葉を口々に叫んだ。耳に届くその言葉たちに、スタークは再び目を閉じた。その頬が感涙に濡れる。

「夜が明けたばかりだというのに、夕暮れの刻はすぐそこまで迫ってきている」

 ゆっくりと目を開いたスタークの視線は、山々の稜線に近づきゆくフィクスムに向いた。

「二度とこの国を、我々の国を、夜明けの来ない呪われた地にさせるつもりはない。民たちが暗闇に凍える日々に怯え暮らす時代へと戻すつもりはない。必ずや全ての元凶である者をこの手で葬り、無残に命を奪われた者たちの無念を晴らし」

 民衆は拳を強く握り、スタークの言葉を待っている。バシリアスの凶行の餌食になった者たちに近しい民は、涙をこらえてスタークの言葉に聞き入っている。

「バルバリの明日を、平和で笑い声に溢れた時間を、永遠のものとして皆の手の中に返すと、この王であるスターク=ヴィン・オーリンゲンが約束しよう」

 スタークが胸の前で力強く拳を握って宣言すると、拳を突き上げる民衆の呼応が地鳴りのように響いた。


 スタークの宣言から四半刻後。破壊された議会の門の隣、ノス・クオッドの叡知を集めた図書館に識者が集っている。ユーランの像を屋根に掲げている門だ。フィクスムの塔を正面に見て、その門の左手にある扉の奥に図書館はある。

 扉は解放され、外からも入り口近くの大広間の様子は窺えた。大広間の中心には、小さなフォッシリアが床に直接置かれている。その場で起こったことを記録する「聖獣の目」と名付けられたフォッシリアだ。

 その聖獣の目が力を作動させると、壁に書架が並ぶだけであるはずの部屋を、血生臭い殺戮の現場へと変えた。いや、正確には臭いを再生することはない。だが、そこへ再現される記憶は、残酷なまでに惨劇を忠実に映し出し、叫びを響かせている。

「無駄なことだ。誰もオルビスの行方など知らぬ」

 バシリアスの前に全ての議員が倒れた後も、カルニフェクス議長は毅然と彼に対峙している。

「議長である貴様も知らぬと言うのだな?」

 バシリアスがそう言いながらマントを翻すと、議長に向かって飛び出した二本の太い棘が彼の両肩に突き刺さり、そのまま議長を議会の石壁へと磔にした。棘が肺を掠めたのか、議長は咳と共に血の霧を吐き出す。

「し、知らぬ。たとえ知っていようとも貴様などに、ぐっ!」

「そういうセリフは要らんな」

 瞬時に議長の目の前まで迫ったバシリアスの指が、議長の片目を抉った。

「ぐうあ!」

 全身の感覚を麻痺させるほどの強烈な痛みが議長を襲い、地面から僅かに浮いている足をばたつかせた。

「直接は分からずとも、何かあるだろう? 話せばもうひとつの目はそのままにしておいてやろう。安心せよ。余が約束を破ることはない。どうする?」

 抜き取った指から垂れ下がる髄液を舌で拭い、バシリアスは笑みを浮かべている。一方で議長は、一瞬聖獣の目へと視線を向けた。

「フィ、フィリヘイトナ」

 議長の口から出た国の名を、バシリアスは口の中で繰り返した。

「ふむ。そこに何がある?」

 議長は咳き込みながら、残った片方の目でバシリアスを睨みつけた。

「道だ。進むべき道を、訪れた者に授ける。フィリヘイトナの奥地、イードラストの祠へ行けば、オルビスの在処も示されるはずだ」

 血を吐きながら答える議長を、宙に浮かぶバシリアスは乾いた眼差しで見下ろしている。

「その言葉に嘘がなければよいがな」

 議長がそれ以上口を開かないと見ると、バシリアスは議長の肩を貫く棘を引き抜いた。拘束が解けて地面に崩れた議長は、何とか立ち上がろうと手をつくが、腕の根本の腱がズタズタにされていて、両手に力を伝えられない。

「約束通りもうひとつの目は残してやった。その目で最期の時を焼き付けるのだな」

「最期、だと? 私は名も知らぬ者にやられるのか」

「名など知っても仕方あるまい。だが、教えてやろう。我が名は」

 名乗ろうとして開いたバシリアスの口から、その名が出ることはなく、三度呼吸で肩を上下させただけで口を閉じた。そして、そのままバシリアスは議会の天井を破壊し、そこから空高く飛び去った。

 崩れた屋根が、議長の上に降り注ぐ。

 聖獣の目の記憶は、議長の肉と骨を潰す音を最後に、その再生を終えた。

「フィリヘイトナか。今も穢れが残る地。本来のバシリアスであれば当然そのことを知っているはずだが」

 議長にオルビスの行方が分からないのは真実だ。だが、フィリヘイトナに行ったとして、オルビスの行方を知ることはない。この世界で一番穢れの多く残る地を口にしたのは、そこにバルバリの民が近づけないからだ。つまりは、オルビスがあるはずもない場所だ。

「最後のバシリアスの様子もおかしい。議長に名乗らなかったのは、バシリアスにも何かが起きているからなのか。何れにせよ、奴にオルビスの位置を知る力がないことは明らかだな」

 オルビスに繋がる者が近づくことのない地を告げた議長の犠牲を、意味のあるものにできるのか。それは、記憶を見たスタークの働きにかかっている。

「サンクテクォの通りに、酒場がある。その二軒となりに私の甥が住んでいるはずだ。名はグラディオ。まだ幼いが、グラディオと私はルクイトールで繋がれる」

 スタークが隣で怒りに肩を震わせている男に話した。バルバリの国に戻ったスタークが最初に話した男だ。

「陛下の代理になさるおつもりなのですね?」

 察した男がスタークに言うと、スタークは一度頷いた後に、言葉で否定した。

「だが、代理ではない。正式にグラディオへ王位を継承したい」

「いや、しかしそれでは!」

 先ほど国民の前で王として宣誓したばかりのスタークが、王位を退くとなれば国民の落胆は目に見えている。それが分からぬスタークではない。

「言いたいことは分かる。だが、私にはオルビスに繋がる者としての役目もあるのだ。しかも、今回の騒動の中心には、そのオルビスがある」

「ですが、継承せずとも代理で良いではないですか。国王がオルビスに繋がった時、議会で決定したではないですか。国外に出ても国王はただ一人と」

 男に説得され、もう一度熟慮したスタークだったが「やはり駄目だ」と首を横に振った。

「これまでは平和な世だったが、今回ばかりは私の命の保証もない。旅の途中で王が命を落とせば、その方が混乱を招くだろう」

 スタークは強く言ったが、男も譲らなかった。

「お言葉ですが、無責任ではないでしょうか?」

「なに?」

「無責任だと申し上げたのです。王として道半ばで命を落とすわけにはいかない。必ず生きて帰る。そう考えるのが真の王では?」

 その言葉を聞いて、スタークは自嘲した。男の言う通りだった。命を賭すことと、死を覚悟することは似ているようで違う。自身の甘さを痛感するスタークに、男が止めのひと言を放つ。

「王が生きて帰らぬのでは、平和を取り戻したとして、誰ひとり心からは笑えません。平和で笑い声に溢れた時間を取り戻して下さるのでしょう?」

 周囲からもスタークの奮起を願う声が上がる。いつの間にか、扉の外にも人々が多く詰めかけていた。

 その中に、一際強い眼差しでスタークを見つめる白装束の女が居た。その装束のせいか、他の者より顔が白んで見える。

 スタークが大きく息を吐いて天井を見上げた。そこには五体の聖獣が描かれており、サンクテクォは三岐の尾を猛々しく天に伸ばし、フィクスムをその尾で愛おしむ様に抱え込んでいる。現実のサンクテクォ、サンティは肩にミディエを乗せ、シェニムへ向かっているはずだ。

「そうだな。その通りだ。今一度自分が何者なのかを気付かせてもらった。まだ貴公の名を聞いていなかったな」

 瞳にこれまでにない輝きを宿したスタークに、男は頭を下げて名乗った。

「エドナ・カルニフェクスと申します」

 その名を聞いたスタークは、一瞬驚愕で息を詰まらせ、そして深い溜息を吐いた。

「そうか、議長の息子だったか。知らなかったとはいえ、すまなかった」

「謝られるようなことをされた覚えはありません」

 スタークは頭を下げたままのエドナの肩に手を置いた。

「議会に血筋は関係ないが、王の名のもと、エドナ・カルニフェクス。お前に議長の職を命ずる。代理ではないぞ。議会を再建するまでの間、いや、議会再建の道筋もお前に任せる。その先のことは国民に問うことだ」

 エドナはその言葉を聞いて、膝をつき平伏した。

「その役目、陛下の期待通り果たせたか、是非ともその目で見極めて下さい」

 スタークとエドナは、互いの仕事を必ずやり遂げると誓いの握手をした。

「では、私は行くぞ。何かあればグラディオを通して伝えてくれ」

 スタークの言葉に力強く頷くエドナの手を強く掴んだまま、今一度多くの民の方へと視線を向けた。民の数は先程よりも多くなっていたが、あの白装束の女の姿はなかった。もしかしたら弱気な王を見限らせてしまったのかもしれない。スタークは深く故郷の空気を吸い、ミディエたちを追ってシェニムへと向かった。

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