第9話 ミディエとオルビス 2
ミディエの家を飛び立ってすぐ、スタークに並んだミディエはサンティについて聞いた。
「二年前、サンクテクォが寿命以外で命を落としたって言ってたよね。それって」
「想像通りだろう、殺された。いや、正確には死に追い込まれたと言った方がいいだろうな。幼体を発生させる猶予があったのだから」
「その幼体がサンティ。何か隠してるとは思っていたけど、聖獣だったなんて」
スタークはミディエが知っていることを含め、聖獣について語った。
アリーチェ帝国の時代よりも古くから存在する聖獣。サンクテクォ、フィル、ポッシオ、ユーラン、ヴァッシュールの五体。フィクスムのエネルギーを直接生命の源とする、一世代一個体の生物。
生物として完璧な姿と力を有している聖獣たちは、それ以上の進化を必要としなくなった。生物である以上当然寿命はあるが、単為発生により種を維持している。
アリーチェ・デザータの一万分の一の国土しか持たないシェニム共和国が、その国を存続させ続けられているのは、五聖獣による庇護があるからに他ならない。だが、護られているといっても、聖獣たちが国の維持に直接手を貸しているわけではない。むしろその逆で、五聖獣を守るために、この世界全体がシェニム共和国を保護していると言った方が正しい。
シェニムは五聖獣のための土地であり、これまで文明とは切り離されていた。それはアリーテェ帝国の時代でも同じだった。その聖獣が人間の手によって死に追い込まれた。
「誰が、何のためにそんなことを」
ミディエは簡単に信じられなかった。それはミディエではなく、他の誰が聞いてもそうであろう。聖獣たちは、言わばこの世界の象徴だ。フィクスムからの生命の使者だ。
「先代のサンクテクォは、バルバリの民がノス・クオッドの叡智を封じる前、つまりオルビスやフォッシリアを創り出す前に封じられたある物を守っていた。シェニムの大樹と一緒に。しかし、シェニムの大樹は倒され、それを止めようとした先代も殺されてしまった」
「ある物って、随分ともったいぶるのね」
ミディエがスタークの表情を伺い見ながら言ったが、スタークの表情は変わらない。
「もったいぶっているわけではない。確証がないのだ。統べるも者のオルビスとも伝わっているし、始祖の
「奴? スターク、貴方は誰がサンクテクォを殺したのか、組合に侵入したのか、それを知っているの? また確証がない、なんて言う?」
今度の質問にスタークは即答しなかった。表情もやや険しくしている。それでも黙ってミディエが待っていると、やがてスタークは口を開いた。組合へ続く洞窟がめ視界に入った頃に。
「私の剣を見て親父の名を出したお前だ。この名も聞いたことあるだろう」
洞窟の入り口に降り立ち、スタークはミディエの目を見ながらゆっくりと一人の男の名を口にした。
「エナ=ネオ・オ・バシリアス」
その名を聞いたミディエは、自分の口でも繰り返し名を発した。三度目を口にした時、ミディエの脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。その時の表情の変化を見たスタークが頷く。
「オルビスと繋がり、十八の時に私は父と共にバルバリの国を出た。そして父と共にヴァーブラ公国の近衛騎士団に長く雇われていたが、騎士団内でバシリアスはヴァーブラ公国を治めるザックワーズ公の隠し子だと噂されていた。私が聞いた話では、ザックワーズ公がシェニムの巫女に産ませた子だということだ。だがそれはただの噂。いや、真実はどうでもいいな。経緯はどうであれ、奴は反逆の罪で公国を追われたことになっている。それが二年前だ。直後にシェニムに向かっているところを見ると、追放されたというより、シェニムに向かうため、自ら国を捨てたのだろう」
ミディエはバシリアスの名を知っていた。いや、知っていただけではない。家族と共にヴァーブラ公国を訪れたときに、短い時間ではあるが、会って言葉を交わしたこともある。まだ二人とも子供だった頃の話だ。ミディエはすぐにそれをスタークに打ち明けたが、スタークはその話に興味を示さなかった。
「オルビスはバルバリの民にしか繋がらない。仮にバシリアスが手にしたものが未知のオルビスだとしても、始祖のキノニアだとしても、ただのノヴィネスが無事で済んでいるとは思えん。実際に組合に現れた奴は、人間とは呼べぬモノになっていたはずだ」
そんな人ならざる者が侵入した組合の人々も無事で済んでいるとは思えないミディエは先を行くスタークに遅れぬよう必死について行った。
――私は何と戦おうとしているの?
ミディエの脳裏にひとつの疑問が浮かび上がると、それは新たな疑問を生み出し、洞窟の闇と相まって視界と思考を遮っていった。
その闇の中を歩くミディエが、先を歩くスタークの背中にぶつかった。その瞬間に、スタークの背中を通して彼の緊張が伝わった。
「どうしたの?」
ミディエがスタークの背後から前方に目を向けた。松明が消え、闇が続く洞窟の先に、見慣れた青い光を発する二つの目が見えた。
「ピート! 無事だったの?」
スタークの横をすり抜け、ピートの方に駆け寄ろうとしたミディエの腕をスタークが掴んだ。
「待て、ミディエ! 様子がおかしい」
「え?」
ミディエはスタークの顔を見た後、もう一度前方に仁王立ちするピートの姿をよく見た。しかし、遠目に見たその姿は、かつての姿から何の変化も見られない。
「様子がおかしいって、どこが?」
スタークが前方に手をかざすと、指に嵌めているフォッシリアのひとつが赤く光り、ピートの近くにあるいくつかの松明が焚かれた。やはりそこに居るのはピートに違いない。だが、更に警戒するスタークに、ミディエも自信を失い始めた。
「来るぞ。ミディエは下がっていろ」
スタークはそう言うと、腰の剣を抜いて正面に構えた。直後に緑の風が剣を包み始める。その勢いはピートが近づくにつれ激しさを増した。ミディエは、剣に向かって流れる空気に逆らい、何とか風の影響のない位置まで下がった。
「――――!」
声とは思えぬ地鳴りのような叫びをあげ、ピートが突進してくる。スタークが気合と共に振り下ろした剣先から、ピートに向かって緑の渦が一直線に伸びていく。松明の炎を巻き込んで、黄色に変化した風がピートの胸にぶつかる寸前、ピートの腕の一振りで風は砕け散った。
「城壁にも穴を開ける風のはずだが。こいつは一体どうなっている」
ピートは突進の勢いを落とさず、両腕を振り上げてスタークに向かってくる。
「あの腕で殴られたら痛そうだな」
ピートの振り上げた拳はスタークの頭の倍はある。軽口を叩いたスタークは、左足を大きく踏み込んで、腰を落とした。左手一本で腰の位置に構えた剣の切っ先をピートに向け、地面と水平に保っている。
「折れるなよ」
スタークは呟いてから腹に力を込め、右の手のひらを柄頭に添えた。
「――――――!」
再び叫んだピートが、最後の一歩で低い天井ギリギリに飛び上がって、空気の唸る音を立てながら、拳をスターク目掛けて振り下ろした。
「むっ! 飛び上がるか?」
予想外の動きを見せたピートに、全体重を乗せて膝を突こうと構えた剣は目標を失った。急遽スタークは剣の柄を両手で握り直し、ピートの股から頭に向けて剣を振り上げた。
だが、ピートの硬い身体に剣はあっけなく弾かれた。
目の前に迫ってくる拳を、何とか地面を転がって避けたスタークだったが、体勢を立て直すと同時に舌を鳴らした。
「人形め。初めからこれが狙いだったわけではないだろうな」
ピートとスタークの位置が入れ替わり、ピートの目の前では、戦う術を持たないミディエが自分の肩を抱いて立ち尽くしていた。
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