第8話 ミディエとオルビス 1
緊張感で部屋の中に浮いている埃さえ棘のように肌に刺さる感覚を覚えながら、ミディエが扉を睨んでいると、予想外にもその扉が開かれる、あるいは蹴破られる前に落ち着いた速度で軽く複数回叩かれた。
「ミディエ・ヴェントス。スタークだ。改めて話がある」
予想していた人物の、予想外の行動に、ミディエとサンティは顔を見合わせた。
「話って、一体何を?」
ミディエは涙を拭いながら扉の前に移動した。
「組合に侵入した者のことだ。それからお嬢さんの忘れ物も届けにきた」
忘れ物と聞いて、ミディエは左耳に触れた。幼い頃から身に付けていたフォッシリア。そのフォッシリアには多くの力があった。とは言っても、単体で発揮される力ではない。他のフォッシリアを検分するときに主にその力を発揮する。
対象のフォッシリアが起動、使用者と繋がった状態にあれば、その力の大まかな性質、力の寿命、過去に刻まれたフォッシリアの持つ記憶。そういったフォッシリアの全てを読み取る力がその忘れ物にはある。ミディエ以外には繋がらないその青いフォッシリアの力もあって、ミディエは若くして組合の中でも重要な役割を担っていた。
その青いフォッシリアを、スタークはオルビスと呼んでいた。
思い返せば、今テーブルの上で光を放っているフォッシリアの検分をするため組合から出たのが過ちだった。そう後悔したミディエは、今目の前の扉を開くべきか今一度考えた。扉一枚を隔てた所にいるスタークは、組合の外でテーブルの上で光るフォッシリアを手に入れようと剣まで抜いていた。
「警戒しているのは理解できんでもないが、あまり時間はないぞ」
ミディエがどうすべきか答えを出せずにいると、サンティがミディエの肩に乗り、スタークに向けて問いかけた。
「スターク、キミの目的が話をするだけなんてあり得ない。その後に何を望む?」
ミディエはサンティの口調に目を見開いたが、すぐに「ふむ」と声がした扉の向こうに再び意識を向けた。
「サンティはよく知っているだろう。二年前のことだ。先代のサンクテクォが初めて寿命以外で命を落とした。そして、永らくシェニムの地に封印されていた物が失われた。今日組合に現れたのは、その賊だ。幼きサンクテクォ、サンティよ。お前も組合が狙われるかもしれないと考えてあの場にいたのではないのか?」
「その質問に答える気はないね。時間もないのだろう? まだこっちの質問に答えてもらってもいない」
「そうかい。わかったよ。君たちの助けが欲しい。簡単に言えばそれだけだ。情けない話だが、今の段階では手詰まりでね。再び賊が自分から外に出てどこかで暴れてもらわないと捜し出せん。だが、ミディエ。貴女のオルビスの力があれば方法もある。しかも貴女は検石者だ。幼体とはいえ聖獣もいる。それも人間の言葉を解するようになった聖獣が」
ミディエは若くとも子供ではない。一人前とは言い難い部分もあるが、充分責任を果たせる大人だ。そのミディエには、スタークが嘘をついているようにも、自分たちを利用しようと企てているようにも聞こえなかった。「サンティはどう思う」という質問を瞳にのせて肩の上のサンティを見ると、サンティは頷いた。
「わかった。とりあえず話を聞く。扉を開けるけど、変なことしたらすぐに蹴り出すんだから」
扉の向こうでスタークはミディエの言葉に笑いもせず、ただ「では頼む」と言って一歩下がる気配がした。
ミディエが扉を開けると、王というよりも騎士という言葉が似合うスタークの姿があった。組合の前の薄暗い中で見たときには気づかなかったが、スタークの瞳も、ミディエ同様に色素が濃い。黒に近い茶色だ。ミディエは自分以外で色素の濃い瞳を持つ者を見たのは二度目だった。そのミディエの目を見て、スタークがニッと笑みを浮かべた。
「まずはこれを渡しておこう」
スタークは懐から革袋を取り出すと、ミディエの目前に掲げて、顎を突き出した。「手を出せ」と言っているのだと理解したミディエが広げた手のひらの上に青いフォッシリアが転がった。
「ミディエ・ヴェントス。それをなんだと思っていた?」
ミディエはスタークに「質問の多い男だ」と思いながら、それでも思わず正直に答えてしまうのは彼が持つ王の威厳というものなのかも知れないなどと考えながら口を開いた。
「バライデスのフォッシリア。フォッシリアがどんな力を持っているか調べることができる。でも、貴方はこれを『オルビス』と呼んだ。オルビスっていうのもバルバリと関係があるのね?」
「ほう、私が来る前にサンティからいくらか話を聞いたと見える。まあその通りだが、それだけでもない。オルビスだけでなく、全てのフォッシリアもバルバリの民によって作られた。オルビスはフォッシリアの一部と言えるが、この世に八個しかない特別な物だ」
そう言い終えたスタークが、ミディエから視線を外してその奥にあるテーブルの上で光るフォッシリアを睨んだ。
その視線の鋭さに、思わずミディエはスタークとテーブルの間に立って視線を遮った。それでもスタークは動くこともなくミディエの身体を透過してフォッシリアを見つめているような目をしていた。
「そのバライデスのフォッシリアであのフォッシリアの力を見てみろ」
ミディエは命令されているという自覚を持つこともなく、スタークの言葉に従った。バライデスのフォッシリア、いや、オルビスを左耳に付け、テーブルの上で輝くフォッシリアを手に持ち、額に触れさせた。目を閉じたミディエの瞼の裏に、フォッシリアの記憶が次々に映し出された。
人々が、生きて歩いている人々が、光の粒となって空気に溶けている。多くのフォッシリアも同じように溶けている。いや、フィクスムの光の一部となっているようでもある。
「これは、一体?」
一体なんなのか。ミディエが初めて見る力、光景だった。
「回帰のフォッシリア、だろうね」
ミディエの意識を通じて同じ光景を見たサンティが言った。
「やはりな。フォッシリアやノヴィネスたちを元素に還すフォッシリアだ」
首を傾げたミディアに、サンティが「ノヴィネスはバルバリの民が作り出した人間のことだよ」と囁いた。続けてミディエが「元素って?」と聞くとその答えはスタークから嫌味を付け足されて返された。
「組合っていうのもいい加減な組織だな。フォッシリアがなぜ生まれたのか、どうやって作られたのかも知らぬとは。その分じゃ、フォッシリアが砕ける原因も知らなそうだ」
スタークのいう通りで、何も知らないミディエはただ唇を噛み締めていた。
「世界を闇に包んだ元凶。その元凶をフィクスムの光から取り出した元素を使い封じ込めたのがフォッシリア」
「それじゃあ、フォッシリアを使ってしまったら、またこの世界が闇に」
再び世界が闇に包まれてしまうのではないか。そう心配したミディエに、サンティが「大丈夫」と頷いた。
「フォッシリアが砕けるのは、元素を使った穢れの中和作業が完了した証なんだ」
「穢れを中和。そっか。でも、あれ? じゃあこの回帰のフォッシリアは」
「元素と共に穢れもフォッシリアから解放されてしまう。だが、問題はそこではない。ノヴィネスも元素に還るということだ。穢れがどうとかいうのは些細なことだ。使用者の力によっては、この世界に住む何億というノヴィネスたちが、一瞬で元素に還る」
ミディエはその光景を想像して身震いした。
「だったら、余計に貴方には渡せない! こんな力を使わせるわけには」
「誰がそのフォッシリアの力を使うと言った。私は誰にもその力を使わせないよう砕こうとしただけだ」
ミディエはスタークにそう言われて、最初に組合の前でスタークに会った時のことを思い出していた。確かにフォッシリアを渡すようには言っていたが、繋がっていながら無理にその力を使おうとはしていなかった。いや、厳密には使えなかったのではないのか。ミディエがそれを確かめるべくスタークに聞いた。
「もしかして、このフォッシリアを使っていたら、組合の扉も元素に還して中に入れたんじゃ? それを私たちが邪魔をした?」
自らの腕を抱いて細かく震えているミディエを見て、スタークは声を落として「それは違う」と優しく言った。
「私も初めて繋がった力だ。その力を使ったとして、扉だけに効力を留められる保証はどこにもなかったからな。中にいる検石者たちにも影響を及ぼさないとも限らない。最も、今となってはその賭けに出ても良かったかもしれんと思っているが」
ミディエは改めてスタークを見つめた。スタークもその視線を真正面から受け止めている。
サンティに視線を向けたミディエに、サンティは無言で頷いた。
「わかった。ううん、まだ色々わからないことだらけだけど、少なくとも貴方が悪い人間じゃないってことは。そもそもあのヴェール=ヴィン・オーリンゲンの息子なんですもんね」
「親父のことは関係ないと思うが、まあ、話はわかってもらえたようで良かった」
「いや、だから話は全然わかってないってば。全然じゃないけど。だけど、貴方を手伝う。とにかく今は組合のみんなが心配」
サンティと二人頷き合う様子を見て、スタークも頷いた。
「ならば組合に向かうぞ。サンティは少し休んでいろ。まだ回復していまい」
スタークの言葉を聞いて、ミディエはハッとサンティを見た。ミディエには疲れている様子など微塵も見せなかったが、スタークにそう言われて舌を出して肩をすぼめている。確かに部屋に帰ってきてすぐのサンティは口も重く、疲れているようにも見えていた。
「サンティ、大丈夫?」
ミディエの心配そうな声に、サンティは苦笑して見せた。
「大丈夫、って言いたいけど、少しお腹が空いたかな」
果物を勧めても食べなかったサンティに何を与えたら良いのか。サンティに何が食べたいか聞こうとしたミディエより早く、スタークが回帰のフォッシリアをサンティの前に差し出した。
「これを元素に戻して吸収すればいい。この危険なフォッシリアが誰かの手に渡るかもしれんという心配もなくなるし、一石二鳥だ」
サンティがスタークに「ありがとう」と言い終わる頃には、スタークは扉に手を掛けていた。
「検石者のお嬢さん、急ぐぞ。聞きたい話があるなら、向かいながら話そう」
ミディエがヴォラのフォッシリアに触れているのを確認すると、スタークは先に飛び立った。
「お嬢さんじゃなくて、ミディエだって何度言えばわかるの? なんか王様ってヤダ。ねえ、サンティ」
そう言いながら表情を険しくしてスタークの後を追ったミディエに、サンティは小さく謝罪の言葉を繰り返していた。
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