第7話 記憶の化石 7

 ミディエが見上げた天井には、ジェイド湖の水面みなもに反射したフィクスムの光が、居間の大きな窓を抜けて天井に波の模様を映している。その揺れる天井を見て、ミディエは溜息を吐いた。

「もうずっとだまったままだよ。ねえ、サンティ」

「うん、ごめん。何から話したらいいのか纏まらなくって」

 ミディエからは、サンティが本心からそう言っているように見えた。きっと複雑な話で、誤解を与えないようにするには、話す順番にも気を遣うのだろう。

 それでも、ミディエはこのまま時間が過ぎるのを待っている気にはなれなかった。今こうしている間にも、組合の中では仲間たちが苦しんでいるかもしれない。

「私たちが組合から出た後、何かが入れ違いに中に入った気がするの。そしてその後すぐに扉が閉まった。サンティには何か見えた?」

「ううん。何も」

 サンティは俯いたまま首を横に振った。

 話が進む気配がないと、ミディエは声に出して「ふう」と息を吐いた。

「サンティも何か食べたら?」

 ミディエは食卓の上の籠に入った果物をサンティの前まで籠ごと押し出したが、サンティはやはり首を横に振るだけだ。

「オレは食べないもん、ミディエたちが食べるようなものは」

「そっか。ねえ、サンティってディシビアから来たんだよね?」

 ディシビアは地図上、アリーチェ・デザータの遥か対角線側にある。別名「精霊の高地」と呼ばれ、極寒のその土地は、どこの国にも属していない。サンティは初めてミディエに会ったとき「ディシビアには精霊しかいないから退屈だ」と話していた。

「オレ、本当はディシビアの生まれじゃないんだ」

「なんだ。どうやって本当のこと聞き出そうかと思ったけど、案外素直に話すのね」

 サンティは上目遣いにミディエの表情を伺い見たが、複雑な悲しみを含んだ眼差しを直視できずにまたすぐ俯いた。

「姿を消せるのも、精霊の力を借りているわけじゃなくて、オレが持っている元々の力で」

「聖獣サンクテクォの力ってワケね」

 言い当てられたサンティは、そのことを特に驚くわけでもなく、静かに頷いた。組合の前でスタークに会った瞬間正体が知れた時から覚悟していたようだ。それでも自分の口から言い出せなかったのは、二年の間ミディエにつき続けていた嘘への罪悪感。そして、聖獣である自身が罪悪感を持つことがあるのだという事実への困惑が原因だ。

「で、肝心の話はいつしてくれるの?」

「バルバリの話、だよね」

「うん」

「本当にどこから話していいか。とても長い話なんだ」

 ならば初めから聞きたい。そう思うミディエだったが、今はそれほど時間がある状況ではない。サンティもそれを思えばこそ早く話さなければという思いと共に心を揺らしている。

「先にミディエが知っているバルバリの話を教えてくれるかい?」

「昔アリーチェ帝国時代にあった国。でも、バルバリの民たちは文明の力を使う代償に、生物たちにとって毒になる物を振り撒いていた。だから、世界中の人たちが協力してバルバリの国土ごと奪い去った。その国土が積まれてできたのがチェア山脈。抉り取られた土地に水が溜まってできたのがジェイド湖」

 ミディエはこの時代に住む者なら誰でも知っている昔話を語った。おおよそ一万年前の話だと言われているこの話を信じている者はほとんどいないだろう。ミディエももちろん信じてなどいなかったし、バルバリの民など、ただのおとぎ話の中の登場人物でしかなかった。それが今日突然自分自身がバルバリの民だと言われたのだ。バルバリの王から。

「そういえば、あのスターク=ヴィン・オーリンゲンって、ヴァーブラ公国の人じゃないってことだよね」

「オルビスに繋がったバルバリの民は、バルバリの国を離れなきゃならないんだ」

 サンティの言葉を聞いて、ミディエは自分の左耳を触った。そこにいつもある青いフォッシリアは、ピートに預けたまま失われている。

 ミディエの瞼の裏にピートの無惨な姿が映り、突然日常を奪われた悔しさに涙が溢れてきた。この世界から排除された「バルバリの民」と言われて。

 そのミディエの様子を気遣いながら、サンティがゆっくりと話し始めた。

「バルバリの時代。後の世では狭間の文明とも呼ばれていた。アリーチェ帝国が栄えていた世界から、現代の世界に移っていく狭間の時代に繁栄した国。ううん、国っていうより、集団、種族といった方がいいかな」

 サンティはまるで自分が見てきたかのように遠くを眺めて言葉を紡いでいる。

「バルバリが存在した時代の世界は、今と比べてずっと狭かったんだ。世界の大半は闇に飲まれていたからね。フィクスムの恵みが届かなくなった土地は死に絶えてた。帝国が築いた文明もその多くが失われてね」

 話を聞いていたミディエが、首を傾げた。

「それって、バルバリの民が原因で世界が汚れたんじゃないってこと? 彼らの時代にはもう既に」

「うん。厳密にはそうなるね。ただ、世界が汚されたときに生き残った者たちが、自らの過ちを悔いて当時の言葉で『破滅の罪人バルバリ』と名乗って世界の再生に尽力したから『バルバリが世界を汚した』と伝わっても仕方がないかな」

 これまでミディエの中でただのおとぎ話だった物語が、サンティの柔らかく優しい声ではっきりとした輪郭を持った歴史の物語として上書きされていく。

「バルバリの民が最初に行ったのは、フィクスムの光が届かない場所でも長く働けるように、新らしい『人』を創ることだったんだ。帝国が持つ技術を駆使して、自分たちの欠点を補った新たな生命体を生み出すと、その生命体の働きによって世界は徐々に光を取り戻していった。でも、世界に闇をもたらした原因となったのも、帝国の文明でしょ? だから、世界の浄化も終わりが見えてきたとき、バルバリの民たちは、帝国の技術の全てを封印することにした。新たな生命体に世界を譲るように、自分たち自身も封印してね」

 話している最中、時折サンティの体毛が輝く。「聖獣はその全ての記憶を引き継ぐ」とミディエは聞いたことがあった。今サンティが話しているのは、かつてのサンクテクォたちが実際に見てきたことなのだろう。

「でもね、バルバリの民だって、その全員がひとつに纏まっていた訳じゃなかった。中には帝国の技術にすがって、再生した土地に自分たちの新しい世界を造ろうと旅だった者もいた。それがほんの少し前、たった一万年と少し前の話。ミディエやスタークは、新しい世界を造ろうとしたバルバリの民の子孫。結局は自らが生み出した新しい『人』たちから追いやられたけどね」

 サンティはこの世界の物語を語り続けていた。ミディエはサンティの話を口の中で反芻している。そして、自身の涙がどの感情から流れているのかわからず、泣き続けているという事実も、今聞いている物語同様遠い世界で起こっているように感じていた。

 その涙で濡れたミディエの目が、徐々に大きく見開かれていった。それはサンティも同様だ。二人の視線は、テーブルの上で光を放ち始めたフォッシリアに注がれていた。今日ミディエが組合に持って行った、未知の力を持っているフォッシリアだ。

「サンティ!」

「ミディエ!」

 お互いに名を呼ぶも、どうすれば良いのか考えが浮かばなかった。ただなす術もなく扉を見つめるだけだった。このフォッシリアに繋がる何者かが近づいている。フォッシリアの光だけではなく、足音も聞こえ始めた。

 扉に近づく足音が徐々に大きくなってくると、それに比例してミディエの眉間に掘った皴が深くなっていった。

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