第6話 記憶の化石6

「ピートっ!」

 洞窟に出たミディエは、ふらふらとピートの頭部が転がる場所まで歩いた。ピートの顔はミディエの方に向いている。大きく優しい光を宿していた瞳は、のっぺりとしたただの丸い石になっていた。口の下顎部分は、右半分が失われている。その他の部分も多くが粉々になっていて、散らばっている石たちが身体のどこを形作っていたのかも分からないほどだ。

 呆然としているミディエの頬を、冷たく湿った風が撫でる。我に返ったミディエは、溢れ出た涙を拭って彼女の手のひらの上に乗った石たちを見つめた。扉の手前では弱く点滅していただけのフォッシリアの光が強くなっている。

 一段と強い風が走ったのをミディエが感じたのと、組合の扉が音を立てて閉じたのは同時だった。慌ててミディエは扉の方へ駆け寄ったが、再び開く様子はない。

「どうして閉じちゃったの? マカエッソが何かしたのかしら?」

 ミディエは声に出してそう言ったが、心の中には別の可能性が渦巻いていた。それを信じたくないがために、マカエッソの名を出していた。だが、鼓動を重ねるごとに、嫌な予感はミディエの身体から溢れそうになるほど大きくなっていた。

 風が彼女の横を通り過ぎた時、邪悪な何かが扉の中へ入った気がしていた。その先に起こるかもしれない最悪の想像を振り払うため、ミディエが強く首を横に振っていると、洞窟に初めて耳にする声が響いた。

「わざわざ扉の外まで出迎えに来てくれたのかな? 検石者のお嬢さん」

 背後からの声に、ミディエは身体を固くした。恐怖心を必死に押し込めながら、声の主を探す。洞窟の両壁には松明が掲げられていて、充分な明るさを与えている。だが、松明の真下に立つ声の主は、光を吸い込む闇のローブに身を覆い、その真の姿を隠していた。加えて炎のように不規則に揺れる声で、それが男の声なのか、女の声なのかも判断できない。

「あなたが、あなたがやったの? こんなむごいことを」

 威圧感に押しつぶされそうになりながら、ミディエはフォッシリアを握った手を背中の後ろに回し、闇のローブを睨みつけた。ローブは纏う者の足の先まで覆っている。そのローブが、かつてピートだった石を蹴散らしながらミディエに近づいて来た

「こんな惨いこと?」

「あなたが今蹴った石! それはピートの脚だったものよ!」

「ピートの脚。ふむ、なるほど」

 男はミディエに言われてはじめて気づいたのか、片膝をついて散らばったピートの破片を眺めた。

「自律型フォッシリアの石人せきじんか。だが、私は何もしていない。私の目的は他にある」

「それをどうやって信じろと?」

 歩き続ける闇のローブに、ミディエは後退りした。

「検石者の貴女に信じてもらう必要はないが、信じてもらわねば通してもらえそうにないな。だが、そんな時間もない。悪いが」

 男はローブの下で腕を動かすと、腰に下げた剣を握ってミディエとの間合いを詰めた。

「ミディエ。この男、嘘は吐いていないよ」

 そう息を切らしながら早口で言ったのはサンティだった。ミディエの前に立ち、毛を逆立たせて小さな身体を可能な限り大きく見せている。

「ふむ、まるで騎士気取りだな、幼きサン」

「うるさい!」

 サンティは男の言葉を遮るように、吠えるような言葉を発した。

「サンティ、この人知っている人なの?」

「知らないね。向こうも僕を誰かと間違えているみたいだけど」

 言葉を交わすミディエとサンティに構わず、男の手が闇のローブから伸びる。一瞬身構えたサンティだったが、その手はサンティへとは伸びず、男自身の頭を覆うフードに向かっていた。

「危害を加えるつもりはない。バルバリの民同士、仲良くしようではないか」

 松明の下で露わになったのは、濃い褐色の肌を持った青年の精悍な顔だった。よく見ると、肌と同じ色で目立たないが、右耳にフォッシリアが下げられていた。

「バルバリの、民?」

 怪訝な顔で聞き返したミディエに、青年も眉根を寄せた。

「検石者のお嬢さん。まさか破滅の罪人バルバリの記憶がないということはないだろう?」

「記憶も何も、あのバルバリの民っておとぎ話じゃないの?」

 それまで緊張していたミディエが、青年の突拍子もない話に苦笑していた。

「先程この幼き、いや、サンティから『ミディエ』と呼ばれていたが、本当の名は何という?」

「本当の? 姓も訊いているの? だったら私の名はミディエ・ヴェントス」

 サンティは、青年に挑むような視線を向けて名乗った。

「そういう意味ではないのだがな。ん? お前、オルビスはどうした?」

 ミディエは、青年の指と視線が自分の耳に向いているのを感じ、左耳の先に空いている穴をさすった。

「ピートに、預けた。ここにいた、ピートに」

 ピートの名を口にして、ミディエの目に再び涙が溢れた。それでもミディエは、声が震えぬよう腹に力を込めながら、青年に強い視線を刺し続けていた。

「預けただと?」

「ここに入る時にはいつもそうする。でも『オルビス』なんて聞いたことない。私が付けていたのはフォッシリア。私にだけにしか、って、あなた、さっきから質問ばっかりしてるけど、あなたこそ何者なの?」

 律儀に聞かれたことを答えていたミディエがサンティの前に出て、青年に言葉をぶつけた。

 そのまま青年に掴みかかろうかという勢いで前に出たミディエを、サンティが慌てて腰にしがみついて制した。目の前の青年は、ローブの下に大剣を装備している。そして、今まさにその剣に手を伸ばし、抜いた。

「悪いが自己紹介は後だ」

 組合の扉を睨みつけながら構えた青年の剣には、緑の風が渦巻いていた。その剣を見たミディエが目を見開く。

「風の剣! あなた、ヴェール=ヴィン・オーリンゲン?」

「惜しいな。それは私の父だ。それよりも、お前。この扉は開けられないのか?」

 再び闇のローブのフードを被った青年に言われる前から、ミディエは扉を開けようと努力していた。だが、これまで開けようとして開けたことのない扉だ。いつも扉の方から勝手に開いていた。

「試しているけど、全然開かない」

 ミディエの額には汗が浮かび出していた。暑さからではない。洞窟の中、特に組合の扉の前は暑さとは無縁だ。それでもミディエが汗をかいているのは、扉の向こうから聞こえる悲痛な叫びがそうさせたからだった。

 びくともしない扉を両手で交互に叩くミディエの拳の中で、あのフォッシリアが強く光り始めた。

「その光は。おい、お前、そのフォッシリアを渡すんだ」

「さっきから、お前、お前って。名乗ったでしょう? 私の名はミディエ・ヴェントスだって」

「では、検石者のミディエ君、そのフォッシリアを渡せ」

 青年は扉に向けて殺気と緑の風をぶつけながら片手をミディエに手を伸ばした。

「あなたがあなたの父親と同じようにヴァーブラ公国の近衛騎士団だとしても、どんな力があるか分からないフォッシリアを渡すわけにはいかない。それに、組合の承認もまだ受けていない」

「これだから組合の人間は。渡さぬというのなら、仕方がない」

 青年が剣を収めてミディエに正対すると、ミディエがきつく握りしめていたフォッシリアから光が溢れ出した。

「わ、私に何かあったら、国王が黙っていない。公国と、せ、戦争になってもいいの?」

 ミディエが青年を睨んだが、彼は鼻で笑いさらにミディエとの距離を縮めた。

「私はヴァーブラ公国とはとっくに縁を切っている。今はバルバリの王、スターク=ヴィン・オーリンゲンとして動くのみ」

 バルバリの王を名乗ったスタークが、さらにミディエとの距離を詰めようと一歩を踏み出したが、ミディエの姿はフォッシリアの光の帯を引きながら、洞窟の外へと消えていった。

「くそっ、あいつはもうあんな力があるのか」

 サンティがスタークに向けて舌を出し、ミディエと共に姿を透明にしながら洞窟の出口に向かって飛んでいった。スタークは自身の迂闊さに舌打ちをしている。

「しかしこの扉、開ける方法はないのか」

 サンティに抱きかかえられ、この狭い洞窟を高速で飛び去ったミディエとフォッシリアを、スタークは追おうとしなかった。

 組合への扉の表面で剣の切っ先を滑らせてみるも、引っかかる箇所は全くない。

「やむを得ん。中の検石主と検石者たちには悪いが、一旦出直すか」

 出口に向けて歩き出したスタークが、地面に小さく輝くものを見つけ、ローブで他の光を遮断しつつ、薄暗い地面の一点を見つめている。

「これは、さっきのお嬢さんのオルビスか」

 ピートの残骸に混じって地面に転がる青い石をスタークが摘み上げると、その腕を激しい痛みが襲った。

「くっ!」

 慌てて石を放したスタークが驚愕の面持ちで石を見たが、その見た目には何も変化が現れてはいない。まだ電気が走っているような痛みの残る腕をさすり、スタークは得心した顔で笑みを浮かべた。

「このオルビス。お嬢さんの意志かそうさせているのか、それともオルビスそのものの意思か」

 スタークは革の袋を取り出し、今度は慎重に袋の縁を使って青い石を摘み上げると、そのまま袋の中に収めた。


「追って来ないみたいだね」

 ジェイド湖の中央付近まで来て、サンティはようやく速度を緩めた。フィクスムの強烈な光が、闇の力に襲われていた恐怖を消し去る。だが、ミディエの表情は暗く沈んでいた。

「ねえ、サンティ。さっきの男の人バルバリの王って言ってたよね。あと、私にも『バルバリの民同士』って。バルバリの民ってさ、昔戦争か何かで」

「家に戻ってから!」

「え?」

「ミディエの家に着いてから話そう。飛びながらじゃ集中できない」

 ミディエは話の分からぬ子供ではない。なぜ今話せないのかはなんとなく想像できた。サンティが集中できないからだけではない。サンティ自身、何を話すべきなのかまで考えが纏まっていないのだろうと推測していた。

「うん。分かった」

 高度と速度を落として飛翔を続けるミディエの目に、自分の家が見えてきた。いつもと変わらぬ一日になると信じて疑わなかった朝が、遠い昔のように感じられている。

「ピート、なんであんなことになったんだろう」

 強く優しかったピートが無残に殺されていた。組合の中では何が起こっていたのか。

「みんな無事だといいけど」

 ――これからどうなってしまうのか。

 明日になれば、何事もなかったかのようにサンティにじゃれつかれ、ピートに戒められ、マカエッソに褒められる。そうなるはずだと信じるミディエだった。

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