第3話 記憶の化石3

 この世界で用いられている地図の中心には、必ず夜空の中心に輝く「バライデス」を表す十六の光芒を持った星が描かれている。バライデスが描かれている実際の地には何もない。この星でもっとも広い大海、ディゾラ海の大海原が広がっている。

 地図の右下を埋めるのが、アリーチェ大陸。大陸を左右に分断するかのように、天にも届く山脈、チェア山脈が大陸の中央に連なっている。山脈の左側はアリーチェ・シルヴァ、右はアリーチェ・デザータと、大陸には二つの国がある。太古の刻にはひとつだったという国が、この世界を一度破滅に導いたという「破滅の罪人バルバリ」によって造られたチェア山脈で二分されたという伝承が残る。

 アリーチェ・デザータは砂漠の国だ。広大な国土の七割が砂漠で、人々が暮らすのはジェイド湖畔の限られた土地のみ。

 ジェイド湖は国境の山脈、チェア山脈の麓にある。その山々の頂は絶えず雲で覆われていて、麓から頂が見えることはない。その山頂に降る雨や雪が、長い年月をかけて地中を辿り、ジェイド湖に枯れない水を張っている。

 朝の柔らかい光が木々を抜けてジェイド湖に差し込むこの時刻、湖の細い入り江では水中花が花弁を開き、水中の小さな生物たちがその蜜を吸っている。

 のんびりと蜜を吸っていた生物たちが、水しぶきを上げながら浅瀬を駆けてくる者に驚いて深場へと潜っていった。

「こんな時に飛べぬとは。機億石フォッシリアの力もいい加減なものだ」

 腰に差した剣の鞘が水に浸からぬように左手で剣を抑えながら、その男は首に下がった不思議な光を放つ石を右手の指先で何度も弾いていた。

 何度か高く跳躍しようとしながら石を弾いていると、ブンという微かな振動が石から伝わり、男は口角を僅かに上げた。

「よし、やっとか」

 男は右膝を折って、剣が水に浸かるギリギリまで腰を落とすと、纏わりつく水ごと水中の地面を思い切り蹴った。

「ヴォラ!」

 男の声に呼応するように、首に下げられた石、フォッシリアが緑色の風を生み出した。

 その風が渦を巻いて男を包むと、男は水面から背丈の三倍ほどの高さまで浮き上がり、駆ける速さの三十倍ほどの速さで飛翔した。

 男の下に広がるジェイド湖がアリーチェ・デザータにもたらす恩恵は大きい。飲み水として多くの生物の命を育んでいるのはもちろんのこと、湖畔に育つ植物たちが、砂漠の上では遮られることもなく吹き荒れている風をやわらげている。

 アリーチェ・デザータの主産業であるフォッシリアの産出にとっても、ジェイド湖の豊富な水は不可欠だ。広大な砂漠の表層を覆うのは、長年の強風によって削られた粒子の細かい砂だが、その砂の層の下には厚く固い岩盤がある。

 長年の風雨にも削られずに残った岩盤だけあって、相当に硬い。フォッシリアの多くはその岩盤の下にあるため、かつては多くの時間を費やして岩を掘削していた。

 だが、数百年前に発見された水を操るフォッシリアの力を用いて、表層の砂をジェイド湖の水に含ませ、岩盤にぶつけて掘削する方法が発明された。その方法で、最小限の時間と労力で多くのフォッシリアが眠る層へと辿り着けるようになった。

 フォッシリア。

 一万年以上の遥か昔。この世界には「ノス・クオッド」と呼ばれる、今の世界に生きる全ての生物を凌駕する存在があった。フォッシリアと名付けられた石には、そのノス・クオッドの英知が封じ込められている。

 フォッシリアに封じ込められた力は数多存在する。それらの多くは、使用者と繋がらなければ発揮されない。繋がれるかどうかは、使用者とフォッシリアとの相性によるが、その因果関係は未だ解明されていない。

 あらゆる効果が発揮されるフォッシリアを、その原因が分からぬままに使い続けることに識者は疑問を投げかけていたが、既にフォッシリアの力なしでは生活ができないほどに、人々はフォッシリアに依存していた。

 鍵となる太古の存在ノス・クオッドの研究についても、まだほとんど手が付けられていないのが現状だ。多くの地域ではノス・クオッドの存在自体、ただの伝説として語られているだけだ。

 ジェイド湖の上空を飛翔している男が使う「ヴォラ」のフォッシリアは、産出量が極めて多い上に、ひとつのフォッシリアにつき繋がれる人数も多い。この地上に生きる人間の半数以上がヴォラのフォッシリアを所持していた。

 どんなに強い力を持ったフォッシリアであっても、繋がれぬ者から見たらただの石だ。また、フォッシリアが今の世のように一般的になる前は、誰かが繋がらない限り、そのフォッシリアに封じ込められている力が何かを知る術はなかった。

 中には非常に危険な力を持つものもある。後に「バライデスのフォッシリア」と名付けられた「フォッシリアに封じられている力を知るためのフォッシリア」が発見される前は痛ましい事故も多く起きていた。

 そして、男がジェイド湖を横断して向かっているのが、バライデスのフォッシリアが保管されている「組合」という組織だ。

 組合は、フォッシリアに関する全てを決定し、運営し、制限する唯一の機関で、「検石主」以下二十人の「検石者」によって構成されている。

 このフォッシリアに依存する世界で組合は非常に大きな力を持つが、検石者になるには、それぞれの役目となるフォッシリアに繋がらなくてはならない。フォッシリアが検石者、あるいは検石主になり得る資質を持つ人間を選ぶのだ。

 好戦的である者や、公正、公平な目を持たぬ者は検石者にはなれない。

 男の目に組合の入り口である洞窟が見えてきた。

「あれから二年。ようやく追いつけるか」

 森に降り立った男はそう呟くと、腰の剣の重さを確認し、大きく息を吸い、ほぞに力を込めて歩を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る