光る梯子

17


「ヴァルさん、バッシュさんがこんなにもはやく行方不明の司祭を見つけてくださるとは思ってもいませんでした。仕事熱心でわたくし、とっても助かりまし…やや!?あれがまさか噂の神明の梯子ですか!!」


後ろからいささかも事態の重みを感じられない早口で近づいてきたのはアーク司祭だった。

端正な顔の従僕・ミレーユはおそらく初めて見るであろう異形の姿に成り果てた行方不明の司祭を前にして、剣を抜いて立ち尽くしていた。


「アーク司祭様…一体あれは…?」


血の気の引いたままのミレーユは隣で平然と状況を見守るアーク司祭に小声で尋ねた。


「あれというのがどちらのことを指しているのかわかりませんが、ヴァルさんの手に持っている虹色の剣がわたくし共テンプル教団のタヌキジジイたちが喉から手が出るほど欲している“神明の梯子”ですよ。

神明の梯子の儀礼によって天に召されれば必ずこの世の苦しみから解放されるという謂れがあります。

経典原理主義の間では異教扱いとされていますがね。


教団のカビ臭い教本を読めば古くは我々教団が宗教として起こるよりもずっといにしえから存在しているのが解りますよ。我々人間が宗教を持たなかった頃からずっと、彼らはいた」


ナメクジの方はわたしくしにも皆目見当もつきませんね。見たところわたくしと同じ宗教服を着ているようですが近づいて見てみましょうか、と言い残しアーク司祭は立ち尽くす従僕を置いて行った。ま、待ってください!と、叫ぶものの従僕の足は動かなかった。


ミレーユは己を恥じた。

オレは怖気付いているのだ。

テンプル教団に仕える僧兵として鍛錬を積んできた自負はあったが、いやだからこそなのかあれに近づいてはいけないとミレーユの本能が警報を鳴らしていた。


それを背中に目でもついているのかも思わせるほど的確なタイミングでアーク司祭は大きな声を出した。


「ミレーユも早く来てください!

おそらく、あなたの手助けが必要となるでしょう」



ーーー


時間が経つにつれて司祭は司祭としての形を失いつつあった。宗教服の脚袖からのぞくのは軟体生物のそれを思わせるほど滑った土気色の物体と化していた。

コレが人間だと分かる唯一の上半身も下半身の滑りに徐々に侵されれて、指先からはポタポタと汁が溢れ、おそらく白かったはずの宗教服は土色に変色し始めていた。その上に乗る人間の頭だったものはわずかに傾いて皮膚の毛穴という毛穴から粘液が染み出して月明かりが滑りを照らす。


「キミも危ないから下がっていたほうがいい」


異形と化した司祭と一緒に対峙する黒犬にヴァルは優しく話しかけた。


あの垂れる粘液にどんな有害な物質が含まれるか分からない。

あれはおそらく【ケガレ】に取り憑かれて人間の肉体と受肉して実体化した【成れの果て】だろう。一度受肉されれば元の姿に戻ることは不可能だ。【ケガレ】の本能に従い、欲のままに行動する化け物となる。


信仰力の強い宗教者が【ケガレ】に取り憑れるだろうか。ヴァルはいさかか違和感を覚えた。


これまで旅をしてきて【ケガレ】に取り込まれるのは弱い動物や番人たちの亡骸を目当てに集まってくるくらいだった。

それがおそらくあの司祭は生きている状態で【ケガレ】に飲まれてしまったのだろう…そんなことが…いや…。



「ヴァル!あぶない!」


バッシュが叫ぶと同時に司祭の腕がぐにゃりと鞭のようにうねり、振り上げられた。

振り上げられた腕はヴァルを目掛けて殴打する。数度の攻撃を寸前のところでかわすヴァルにバッシュはおもわず叫んだ。


「なんだよ!何のための剣だよ!攻撃しろよ!」

「…この剣、実は物体には効かないんだ」

「えっ!?」

「実体がないからね」


ヴァルの持つ細剣は月明かりを受けて虹色に煌めいていた。この時ばかりはその細さが一層頼りなかった。


ええ〜!!?


バッシュの悲鳴があたりにこだまする。


実体がないというのはどういうことだろうか。確かにバッシュにはヴァルの持つ虹色の細剣が見えている。見ているが存在しないということがバッシュの混乱する頭には理解することができなかった。

これから憲兵を呼んでくるまでの時間を計算しても、腕をムチのように振るう化け物にいつヴァルや黒犬がやられてしまうか、分からない。

それにバッシュの体にしがみつく女中を置いて走ることは現実的では無さそうだった。

どうする…どうする…。

パニックに陥りそうになる中必死に考えていると後ろから聞き覚えのある早口が声をかけてきた。


「やあやあやあ、お困りのようですね」

「アーク司祭!」

「このように実際に神明の梯子が見られるなんて、わたくし恐悦至極でございます。大変なようですので、お助けしましょう!ミレーユ!」


アーク司祭の後ろに端正な顔の従僕ミレーユが剣を抜いて青白い顔で立っていた。

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