第7話 星芒の司祭

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ヴァレンティ司祭様と呼ばれた男は見る人に手腕家な印象を与える男だった。普通の人間とは違う雰囲気を隠すことなく醸していた。

本人もその印象から得られる利益を分かっているようで、警戒するバッシュににこりと微笑むと細い目を一層細くさせて話しかけてきた。


「広場であなたの演奏を拝聴しましたよ。いやー」


素晴らしい演奏でした。

司祭は白地に見事な青い刺繍の入った袖から手を伸ばして拍手した。その宗教服が男の組織内での身分が上であることを示していることは明らかだった。


自分を育ててくれた孤児教会の神父はこんなに上等な服は着ていなかった。


初めて見る種類の大人にバッシュは警戒しながらも褒められたことに悪い気はしなかった。それはどうも…と、口籠もりながらバッシュは答えた。


「地方の伝統楽器だったと思いますが、そちらからお越しになったんですか?あちらの地方で有名な豚肉の香草焼きが私は大好物でして、生臭坊主とお叱りを受けるのはごもっともですが、宗教者も堕落させる見事な味でーー…」


職業柄なのか1人で話が弾み始める司祭に憲兵が「ヴァレンティノ様お時間が…」と、口を挟む。

ああ、そうでした!と、司祭はポンっと手を叩いた。なんなんだコイツ?バッシュは訝しげな顔で司祭を見た。


「オレたちになにか用でもあるのか?」

「もちろんですとも!あなたに折り入ってお願いがございまして」


わたくし、実はこういう者でして。

白と青の宗教服を着た男は懐から一枚小さな紙を取り出すとバッシュに向けてそそっと差し出した。


石壁に寄りかかっていたバッシュだったが、男があまりにも長い時間紙を持ったまま鉄格子越しに立っているので仕方なく片手でそれを受け取った。


「て…テン?テンプル教会…地区と…とうかつ?司祭…本部、ちょう。う? いや綴りが分からない読めない。アー…」

「ヴァレンティ・アークと申します」


アークとお呼びくださいと、司祭は続けた。最初の印象とはかわりなんか変なやつに絡まれてしまった…バッシュはそう後悔しながら男から手渡された紙を雇用主に渡した。

司祭とは正反対の黒衣のマントに身を隠すヴァルはバッシュから紙を受け取ると一瞥してから尋ねた。


「これはご丁寧に…地域を統括するような高位の司祭様がどのようなご用事で?」

「ええ、わたくし実はこれから関所を超えて領内の【喪明けの宴会】への参列をする予定なんですね。たまたま通りがかったこの関所であなたの演奏を聞きましたね。わたくし、閃いたんです」


嫌な予感がした。

バッシュは司祭の次の言葉をなるべく聞かないようにするにはどうすれば良いだろうと、じりじり後退りしてなるべく鉄格子から離れた。すぐに冷たい石壁が背中に当たった。


「領主様への贈り物にあなたの演奏をお願い出来ないかと思いましてね」


人の良さそうでいて自分の願いは絶対に通す傲慢さの滲む司祭の態度、それよりもその内容にバッシュは驚愕した。

驚きのあまり言葉の出ないバッシュに司祭は畳み掛ける。


もちろん、謝礼はさせていただきます。

相場より多めに弾ませていただきますよ。バッシュたちの懐事情を知るかのように囁くと、それにこの関所からも出られますし、と続けた。


稼いだはずのパン代の行方もわからない今では謝礼の話は魅力的だ。それに夜を超えて半日以上こんな冷たい拘置所に囚われているくらいなら男の提案を乗らない手はないようにも思えた。

バッシュは男の提案にちらりとヴァルの様子を伺った。男とも女とも見える顔はなにを考えているのか分からない無表情そのものだった。


「いや、でもオレの演奏なんて自己流だし…」

「いえいえなにをおっしゃいますか。とても素敵な演奏でしたよ〜」


本当に思っているのか?

いかにも社交儀礼らしい言葉を誤魔化すように司祭は両手をすりすりと合わせた。どうも話し方や態度が司祭というよりも商いの人間のそれに近かった。


「どうする?ヴァル…」


バッシュはヴァルの方に顔を向けた。


「ここで出られるまで待っていてもいいけど、トロントたちのことも心配だしね」


一応小馬の安否を気にかけていたらしいヴァルは重い腰をようやくあげた。


「本職ではないのでそこを免じていただけると幸いです。あとはバッシュが納得して良いと言えばですが」

「ええ、もちろんです。もちろんですとも。あ、あなたが彼の親御さんですか?お若いように見えるからお兄様?」


それともお姉様?司祭は小首を傾げて人差し指を顎に当てた。不穏な夜を告げる上弦の月のように細い目が一層細くなるようににっこりと笑った。


「いやーまさかこんな地方であの高名な【宵の明星】に出会えるとは」


ーー思っても見ませんでした。


上弦の月のような細い目をうっすらあけた瞳にヴァン=キュリアを捉え、両手の指先をぴったりと揃える。

それがなにを意味するのかバッシュには分からなかったが、それを見てヴァンがすかさずリヒトの入った小袋に手をかけたままのを見ると間違いなくなにか面倒ごとが起こっていることだけはわかった。


「おっと、誤解なきように。貴方とやり合おうなどと思ってもいませんよ。…そちらにあの【神の梯子】様がいらっしゃるんですか?

わたくし一度もお目にかかったことが無いのです」


ぜひお目通し願いたいものです、と司祭が言い切る前にヴァンの手の中にある小袋が一瞬だけ鋭く瞬いた。あれは怒ってるんじゃないかな、とバッシュはこの道中の中で知ったリヒトの尊大な性格を掴み始めていた。


「残念だけど彼女は具合が悪いようでね」

「そうでしたか。梟の森でお勤めを果たされたようですからね。さぞお疲れでしょう」

「……」


バッシュは2人の会話を黙って聞いていた。

自分の笛の演奏はどうやらただの『繋ぎ』に使われたに過ぎないようでいささか面白くなかった。それにこの司祭を名乗る男はいささか胡散臭く感じる。あんな男について行ってよいのか?その瞬間、バッシュのお腹がぐぅうと情けなく鳴った。


ーーこの男がどんなに胡散臭くとも、それでも報酬の話はなお魅力的ではあった。


「どうでしょう。前金を用意します。あとは彼の演奏が終わった後の出来高払いということでいかがですか?」


司祭の後ろの人物がじゃらりと中袋を鳴らして司祭に渡した。

その人物は司祭に「司祭様もう出発しないと…」と、ちいさく声を掛けた。司祭はわかってますよ、と言わんばかりに頷いた。


司祭の従者だろうか?

こんなヘンテコな司祭に付き従うなんて大変そうだ。事実、その人物は遅れる出発時間にヒヤヒヤしているようだった。端正な顔には苦労が滲んでいた。

一見見ただけでもそれは一晩分の演奏の代金にしては十分すぎるものであることは確かだった。


「おおっ!」


バッシュは思わず興奮した面持ちで鉄格子を掴んだ。あんな大金は見たことがなかった。数えるのが大変そうだなとバッシュが考えていると拘置室に嵌められていた鉄格子のドアがギィと音を立てて開いた。


「ご納得いただけたなら私と一緒に来ていただけますか?」


道中ぜひ葬儀屋さんのお仕事のお話でも伺えれば、このヴァレンティノ・アーク。恐悦至極の喜びですーー中袋のジャリジャリとした音に釣られてバッシュは後ろからヴァンが声を掛けるのも構わず鉄格子から抜け出した。

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