神明の梯子
少年と黒衣の葬儀屋そして胡散臭い細い目の司祭は屋根付きの馬車の中で揺られていた。
屋根付きの馬車に乗れるなんて。バッシュはこれまでの徒歩での旅路を思えば夢のような快適さであった。それに昨晩崖から落ちたときの足もまだ痛みがあった。これはこれで天からの恵みなのかもしれない。
ロバのような小馬トロントは司祭の護衛たちに手綱を引っ張られすこし離れた距離で大人しく後をついてきていた。それに黒犬も。
関所の留置所を出た2人は急いでトロントのところへ向かった。馬に飼い主がいないと分かればどんな野党や乱暴者、野犬に襲われるか分からない。
息を切らして馬留めまで来るとこちらの心配をよそに小馬はいつもと変わらずゆっくりと用意された場桶の牧草を食んでいた。それに黒犬が珍しくトロントのそばを離れずにすっと背筋を伸ばして座っていた。
「トロントを守ってくれていたのかい」
ありがとうと言ってヴァルは黒犬の頭を撫でた。ひとしき撫られるがままになったあと、返事をするようにワン!と、吠えた。
「役に立つ犬だな」
バッシュも一緒になって撫でようとしたが、その一言が気に入らなかったのか。
バッシュの掌から逃れるように黒犬は距離をとった。
嫌なやつだ。
犬のくせに頭が良い分扱いの難しそうなこの犬にあの狩人たちも手を焼いたのかもしれない。
ヴァルはトロントの馬留め紐を解くと行こう、と声を掛けた。関所の前に行くとアーク司祭が旧友を見つけたかのようにこちらへ手を振っている。脇には従者が憲兵と話し合っていた。しばらくすると関所の門が開いた。
この細い目の男は本当に司祭だったらしい。
ぜひ話がしたいので一緒に馬車に乗って欲しいと請われたヴァルは最初は辞退していたが、隣で屋根付きの馬車に乗れるなんてと目を輝かせたバッシュを見て少し考えると渋々といった様子で司祭の案内に乗った。
「いやー貴方のような方と出会えるのはまさに僥倖でした」
わたくし、ベッロハイズ商業特区から参りました。特区へお越しになったことはございますか?あの美しい港町をぜひご覧いただきたいです。わたくしの生家は地方の商人から出てきたのですが、最初赴任した時には初めて見るものばかりで大変驚きました。ガレオン船が並ぶ港は圧巻ですよ。それに料理も大変美味しくーー。
司祭の話は止まることなく続くように思われた。ヴァルはほとんど聞いていないように組んだ膝の上に手を置いて僅かに俯いていた。
しかし隣に座る少年バッシュの心には少し響くものがあった。ガレオン船ってなんだろう?どんな美味いものがあるんだろう。そう思わせるほど司祭の話は魅力的だった。
自分が目指す目的地と反対方向なのが悔やまれた。目的を果たした後に訪れるのも良いかもしれないーーバッシュの心は弾み、自分が果たす目的のことを思い出して胸がキュッとなった。
「商人たちから奇妙な話を聞きましてね」
ああ、ここからは秘密でお願いしますよ。みなさん懺悔室で話されたことですから。一応職業柄倫理に引っかかりますしと、目の細い不良司祭は嘯いた。
「地方を巡業していると全身真っ黒な衣服を着た性別の分からない人物が換金をお願いしにくるというんです」
その人物は今は無きアルメリア国家の金銀銅貨や宝石のついた珍しい宝飾品なんかを持ってきては商人の言い値で換金していくと言うんです。
換金するのには大きすぎる額なので誠実な商人はウチでは扱えないというが、中にはまぁ、ね。
換金したあとに後悔をして懺悔に来る方が多いのですよ。それに僅かの恐怖も。全身黒衣の衣服だと死神のようにも見えますからね。たまに換金して得た物を気味悪がって教会に寄贈される方もいるんです。
「商人の嘘は神をもお許しになると言いますが、死に神から得た利益は【ケガレ】を呼び寄せるなど言う人もいるんですよ」
【ケガレ】という言葉が出てき目を閉じていたヴァルはゆっくりと瞼を開けた。
それを好奇と捉えたかのように司祭はさらに言葉を重ねた。
「わたくし、生家が商人だとお話をしましたが父のところへ数年に一度、古めかしい調度品を売りに来る人物が訪ねてくるんです。
幼い時分でしたから朧げですが、一度だけ男たちの持ってきた宝飾品の手入れを手伝ったことがありましてね。
子供の目から見ても珍しい品でしたから、わたくしは父に尋ねました。
父は言いましたよ。‘番人の葬儀屋’が来た、と」
司祭は一旦言葉を紡ぐのをやめた。ヴァルの動向を見守るかのように見えた。その本人はうっすらと瞼を開けたまま。これはーー。
「寝てるよ」
たぶん、と付け足してからバッシュは軽くヴァルの目の前でひらひらと手を動かした。
ヴァルは反応しなかった。本当に寝ているようだった。
「…【神明の梯子】を伴う番人の葬儀屋とは思えないほど失礼かつ不用心さですね」
「まぁ夜中ずっと働いていたからな」
バッシュは自分も眠いとばかりに大きく欠伸をした。
「貴方は見たことがあるのですか?」
「見たことってーー…」
バッシュは寝ているヴァルをチラリと見た。
どこまで言っても良いんだろう?
あの巨大な梟の骸の話を。暗闇の中を現れてヴァルの剣に刺された後不気味にのたうち回る存在を。
バッシュは自分が目の前で見た摩訶不思議な出来事を振り返っていた。
こんな話をしたって信じてくれないかも。
子供がベットの下で見た怪物の話をしても大人たちはうんざりしたように手を掴んでまたベッドの中に押し込むだけなのだから、あの夜のことはあまり話さない方が良い気がした。
アーク司祭はふむ、と顎に指を当てた。
バッシュが考えをまとめている沈黙の間に肯定として受け取ったのか、それとも言質を引き出すため見せ餌なのか。司祭はいかにも親切そうな顔で言った。
「わたくしのいる特区や生家の方では滅多に番人の葬儀屋を見かけませんでしたのでついお話を伺いたくなってしまいました」
「見かけるってこんな奴が他にもいるのかよ!?」
「各地域に神の梯子が遣わされていると聞いたことがあります。基本的には特定の地域の中で葬儀を行うので滅多に外へは現れないはずですが、稀にこの方のように方々に現れて儀式を執り行う葬儀屋もいるとも」
「ふーん…」
「それに単独で行動していることの多い葬儀屋に子供が付いているというのも興味深いですね」
「オレは子供じゃないぞ」
ははっこれは失礼しました、と言ってアーク司祭は笑った。
「文献では葬儀屋には‘音楽士’と呼ばれる葬送儀礼の間に音楽を奏でる人間が従僕した話もありましたから、貴方は音楽士要員なんでしょうね」
「よくは知らないけど、あいつはオレを雇うって言ってた」
「お互い知り合って日が浅いのでしょうか。まぁ労働契約は大切ですからね」
この先のもう少し大きな街に行けば契約魔法を掛けてくれる人がいますからできれば依頼してかけてもらった方が良いでしょう。何事も契約は大事ですから、と司祭は初めて親切そうな顔をした。
それに、魔法だって?
バッシュは神父がたまに村人に依頼されて小規模の魔法を使うことがあったが、目の前で見たことはなかった。バッシュは少しワクワクした。
「それに、貴方には才能があると思いますよ」
彼と話す建前に使わせてもらいましたが、貴方の笛の演奏は十分上手でしたよ。正確に言えば演奏云々というよりも、人の心を動かすなにかが備わっているのでしょう。
「演奏はどなたかから教わったのですか?」
「…母さんから教わったんだ」
「おや、素敵なお母様ですね」
もう死んだけど、と言い掛けてやめた。あまりよく知らない人間に自分のことを話しすぎるのはよくないと思った。バッシュは音の鳴らない壊れた木笛が眠るバッグをギュッと抱きしめた。
「…喪明けの儀式とは言え特区を任されるような高位の司祭がどうしてこんな辺境地に来たんだ?」
会話を変えるかのように唐突にヴァルの声が響いた。寝ていたんじゃなかったのか。
「わたくしの話を聞いていてくれていたんですね」
これには色々と事情がありましたね…と、言い掛けたところで屋根付き馬車が止まった。窓の外を見てもまだ鬱蒼とした暗闇に覆われて目的地に着いたというわけではなさそうだった。
「アーク司祭様…」
物見窓から司祭の従僕の声が聞こえた。なにか不測の事態が起こったらしい。
「おやおや‘また’お客様ですか」
アーク司祭は困ったなぁという両手を広げてからそのまま準備体操のように体を左右へ動かすと、馬車を降り始めた。あ、ぜひ寝起きの運動にヴァルさんもいかがですか?バッシュくんは危ないですから馬車の中でお待ちになってくださいね、と目を細めて言った。
「お客様って…」
野盗か野犬の類でも現れたのだろうか。トロントと黒犬のことが心配になった。あんなひ弱そうな司祭なんかじゃ太刀打ちできるわけない。
バッシュはアーク司祭の後を追うように馬車を降りた。
訓練された馬車の馬は少し興奮しているようだった。御者がなんとか宥めさせているが、前足を興奮気味にバタバタさせた。なにかに怖がっているようだった。
「アーク司祭様…私には分からないのですが…お手を煩わせて申し訳ございません」と、端正な顔の従僕が申し訳なさそうに首を垂れた。
「いいんです。これもわたくしの仕事ですから」
それに狼藉者や野盗からわたくしを守るのが貴方の仕事で、これは範囲外のことですよと慰めるように肩を叩いた。
おやおやこれはまた立派に育って、と司祭は暗闇の中をじっと見つめた、
「なぁ、おい…どうしたんだよ」
「おや、貴方も見えない方なのですか?」
見えない…?なにが…と、言い掛けてバッシュは暗闇の中を覗く。
今日は風のない静かな夜だった。よく整備された街道を沿うように森が立ち並んでいた。木々の隙間から動物の息遣いでも聞こえるようだった。それに紛れてなにかが動いた。
グズグズグズズズ…。
動くたびに不気味な音を立てて、腐臭を撒き散らすような嫌な臭いがした。
「あれは…」
バッシュには見覚えがあった。それは生き物のように見えて生き物ではない。命の真似事。
「あれが【ケガレです】」
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