三話 一ヶ月後の転機の兆し
目が覚めてから一ヶ月ほど。使用人の仕事をこなしつつ、古今東西の魔術書を漁りながら周りを地道に探る日々を送っていた。
そのおかげもあって、自分の立場や、街や屋敷の事が把握出来てきた。
この屋敷は、ウェスティリア家という。ウェスティリア家は街一番の裕福な屋敷であり、資産家。街ではこの名前を知らない者はいないという。
この家が無ければ街は栄えなかったと街の人から讃えられ。手に入らない物はない家庭に生まれた、娘のアン・ウェスティリア。
一切不自由のない生活で、甘やかし育てた結果、街一番のわがまま娘と二つ名がついてしまった。
屋敷にも街にも叱るものはおらず、最強無敵となった令嬢の洗礼をイナミは最初に受けたわけである。
「私は甘いものが好きって言ったでしょ!何度言ったら分からないの、この使えないやつ」
「申し訳ありませんっ」
頭を下げた使用人に、アンお嬢様は持っていたコップを傾けて中身を流す。
降り注いだ紅茶は髪を濡らし、制服を汚し、地面にポタポタと雫が落ち水溜りを作っていく。
「……申し訳ありません」
それでも、使用人は頭を下げ続けて震えた声で謝る。
「役立たずはもう下がって。リリィ床を拭いておいて。私は忙しいの、友人の家に行ってくるわ」
ナプキンで手を拭くと椅子から立ち上がったアンお嬢様は他の使用人に命令して外出の準備させる。
頭に紅茶をかぶされた使用人は、涙を隠して静かに去っていく。
言われた通り俺は雑巾を持って、濡れた床を拭く。
いとも簡単に地獄を作り出す彼女には、毎度驚かされる。
プライドが高く我がままな貴族は何度か出会った事があるので驚きはしない。が、いつかの俺みたいに刺されてもおかしくないほどに、性格が中々のお嬢様だった。
そう思わせる一つとして、アンお嬢様は使用人虐めが特に好きである。
毎日、その時の気分によって虐める対象が変わる。一ヶ月続いたり、1日で終わったりと、対象はコロコロと代わる。
今回の標的は先ほどの使用人のようで、彼女が何をしようとダメだ、いや、と全てを拒絶しては罵り、水をかけては嘲笑う。
使用人達がそれでも、劣悪な環境でもいるのは、街のどこよりも給料がいいからだ。
そのおかげで、俺は調べるための高い魔導書が数冊買えたほど。
お金の回りも良ければ、衣食住はしっかりと用意され、警備も強固であり安心安全な環境。帰る場所がない人間からすれば、ここから出ていくのが惜しくなるのは分かる。
とはいえ、このままずっといても、自身の問題が解決する訳ではないので、金が貯まり次第早々に抜け出すつもりだ。
「リリィ、今日はお客様が来るから部屋の掃除任せていいか」
「はい、わかりました」
床が拭き終われば次は客部屋の掃除。
「勝手に、どこかにいってサボるなよ。また怒られるからな」
「わざわざ、サボりませんよ。面倒増えるじゃないですか」
「……」
無言でシロが見つめてくる。
「どうしたんですか。何か顔についてますか」
「いや、ただリリィは変わったなと思って」
「そっそうですか」
「前はもっとドジでノロマで失敗ばかりしてただろ。それが帰ってくるなり、全て完璧にやるから驚いてるんだ」
「あはは、酷いこと言いますね。この前頭を打って改心したんですよ。頑張らないと、と思って」
「それもそうだな。以前のお前は頑張らなさすぎだ。掃除を頼んだぞ」
後ろ頭を撫で気まずそうに笑うシロ。行ってこいと背中を押されて部屋に行くがイナミは口端が強張る。
やはり他人が、ましてや知らない人間を演じきるのは無理がある。自分がリリィではなく別人だと正体がバレるのも時間の問題だな……
そういや、今日泊まる来客ってどんな人だろうか。一ヶ月目にして屋敷で初めて見る客だ。
リリィはまだ下っ端の使用人、挨拶をさせて貰える立場ではないので、すれ違うくらいが関の山だが、気になる。
帝都に通じる人間だったら最近の話が聞けるはずだと、薄い期待をしながら掃除する部屋に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます