二話 前途多難

屋敷に入って日付を確認してみると、驚くべき事に死んだと思われた日数より十年が過ぎていた。

それと、以前の体の持ち主はリリィという名前であるという事が判明した。

どうやら、リリィはこの屋敷の使用人だったらしい。男と同じ制服を着ていたのは使用人の制服である。


そして、自分を連れてきた男が言うには一週間前、買い出しに外に出てから、金を持ってそのまま逃げたらしい。主人には散々怒られたと嘆き、逃げたことを散々詰められたが、今の俺では答えることはできないし、それなりの嘘をつくしかなかった。


仕事が辛かったくらいの言い訳を。


使用人部屋で2時間の説教で男は解放してくれた。鞭打ちくらいはあるかと思ったが、「主人には良いように言っておく」と言い残して部屋から出ていった。


他の人からシロと呼ばれていたか。結構、優しい人だな。


昔、父のお気に入りコップを割った使用人が次の日歩けないほど鞭打たれていたのを思い出す。それが普通だと思っていたから、ここは優しいと思ってしまう。


部屋に残されたイナミは、とりあえず汚れた服を脱ぎ渡された新しい制服に着替えた。


腹に描いてある謎の絵は術式なのだろう。絵柄を消そうとタオルで擦ったが肌が赤くなるだけで一向に落ちる様子がない。段階を踏んで解かないと術は消えないようだ。

この術を解明をしたいのは山々だが、調べるための足もなければ、金もない。

このまま、屋敷での生活に馴染みつつ、調べていくのが妥当だろう。



「リリィっ!」


扉を開けて入ってきたのはうら若き金髪の少女だった。艶やかな髪に、ふんわりとした大きなスカート、端から端まで丁寧に磨かれた少女は大事にされてると一見ですぐにわかる。


「アンタのせいで恥かいたでしょ」


そう言って頭に勢い良く振り下ろされ投げられたのは、細い筒のような物。

あまりにも急すぎて、避けるのが遅れ少しだけ頭にぶつかった。

ガラスと骨が衝突する嫌な音が聞こえれば、ガラスの瓶は手元から離れ転がっていく。

まともに受けていたら頭が二つに割れていた。それでも、瓶で殴られた痛みに耐えられず体を屈め四つん這いにとなった。


コイツ、嘘だろ。


当たりどころが悪かったのか、フラフラとする頭を止めるように手で覆う。地面には油染みた汗と血がポタポタと水滴になって顔を伝う。


「ほんとっ最悪、私の財布持ち去って。アンタのおかげであの人に振られたじゃない。これが上手く行ってたら、私は今頃騎士様の姫様だったの。わかる」


姫様は鬱憤を語るが、眼前がぐるぐると回って内容が入ってこない。姫?王子様?


「今回はダメだったけど、また、新しい出会いを求めるだけ。ああ私の王子様待っていてください。でもアンタのこと許さないから」


フンっと鼻を鳴らしては体を翻し、怪我人を置いていく夢見る姫様。


そういうところが王子様とやらに振られたのではと思うが、目がまわる酔いに動けない今はどうだっていい。

というか家の者に瓶で殴られるってリリィ、お前は一体何をしたんだ。


イナミはクソっと悪態をつきながら2回目の意識を手放した。




『イナミ』


俺の名前を呼んで駆けつけたのは幼馴染のミオン。彼女が持っている長い杖は傷を癒すための大事な道具だ。


『どうした、何かあったのか』

『私じゃなくて、あの子』


そう言って指したのは、最近騎士団に実習をしに来た生徒の一人。周りにも休んでいる実習生はいるのだが、その一人だけ袖から血を流し、全身至る所に泥がついていた。

皆、それなりに汚れているがあからさまに一人だけ、様子が違う。


『実践そんなに大変だったのか……と言いたいがあれだな』

『そうなのっ、あの子とっても良い子だから怪我を治してあげたいんだけど、断られて……説得してくれないかな』

『俺がか?余計に酷くなるんじゃ』

『今より絶対良くなるから、お願いイナミ。治癒師の顔を立てると思って』


距離と言葉で迫るミオン。


『……わかった』


諦めた俺。

承諾すると涙ながら『ありがとう』と手を掴まれ全力で振られた。喜怒哀楽が激しい彼女はいつものことなので、置いといてその実習生に話しかけた。


『レオンハルト』

『何ですか』


これが良い子ね……野生動物のような鋭い目つきがこちらに向けられる。


『ちょっと来い、話がある』  



『説得してくれたの! ありがとうイナミ……』

『もうこれで最後な。終始スゲェー睨まれた』

『えへへ、ごめんね。後でお菓子買ってあげるから。でも、本当にいい子だからね』

『分かったって』





「……ィ」


誰だ。


「リリィ」


再び目が覚めれば先ほどの男、シロがいた。どうやら、血を見て気絶したから過去の夢を見てしまったようだ。


「置いていってすまなかった。大丈夫か、頭」

「記憶が更に飛んだ気がします」

「だろうな。医者と言いたいが、お嬢様の機嫌が悪くなる。すまない」


不幸が2回続いたイナミの肩に手を置くのは使用人。先ほど殴ったのはこの屋敷のお嬢様だったらしい。


瓶で殴られ気絶した後。丁度、使用人室にシロが帰ってきた時にイナミを見つけ助けてくれた。

体を起こし、冷たい飲み物を渡され、一応怪我も診てくれた。

血が出たこめかみには申し訳ない程度の包帯を巻いた。中身を診てもらいたいところだが、何度も謝るシロはお嬢様のご機嫌が斜めになるほうが、この怪我よりもっと酷いことになるようだ。



「今日一日無理そうならここで寝ていたら良い。もしくはお嬢様が見ていない家の周りを散策するのはどうだ」

「……とりあえず、今日俺はお嬢様の見えないところにいれば良いんですね」

「そういうことだ。今日一日だけ、見えないところにいてくれ」

「また逃げるとか、考えないんですか」

「考えないさ。俺たちはここでしか生きていけないんだ。分かってるだろ」


使用人であるシロの言葉は正しい。

この街の外に出ようにも金がいる。生きていくにも金がいる。今は何も持たない俺は、ここから出ても、無駄に路頭に迷うだけ。

だから、俺がどうしようが帰る場所はここしかない。


生き返ってから、前途多難だなと天井を見上げた。

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