第6話 綻びるシンデレラストーリー

『転移が完了しました。

 現在地は、「ローズガーデン・ロマンス」第一章冒頭、主人公セシリア・ラングレッド視点に接続しています』


 システムの言葉に、アシュテルはゆっくりと目を開けた。

 視界に入ったのは、淡いピンク色のレースで装飾された、可愛らしい馬車の内装だった。


「ここが……“ローズガーデン・ロマンス”の世界……」


 リリアナは、アシュテルよりも少しだけ遅れて目を開けると、周囲をキョロキョロと見回し始めた。

 自分が暮らしていた世界を、別の人物、それも知り合いの視点から俯瞰するというのは、戸惑いが大きいようだ。


(まあ、そうなるわよね……)


 アシュテルは、そんなリリアナの気持ちを察して、小さく頷いた。

 

「大丈夫? リリアナ。何か、気持ち悪くなったりしてない?」

「え、ええと……少しだけ、不思議な感じはするけれど……大丈夫」


 リリアナは、アシュテルの心配をよそに、興味津々といった様子で、馬車の窓から外の景色を眺めている。

 どうやら、リリアナは大丈夫そうだ。


「とりあえず、状況を確認しましょう。

 システム、セシリア・ラングレッドについての情報を改めて教えて」

『了解しました』


 アシュテルの指示に、システムは、速やかに情報を表示した。


名前:セシリア・ラングレッド

年齢:15歳

身分:ラングレッド侯爵令嬢

性格:心優しく、純粋で、少しおっちょこわいな一面も


『正史では、セシリア・ラングレッドは、今日、初めて社交界にデビューする予定です。

 彼女は、そこでアルバート殿下と運命的な出会いを果たすことになります』


 システムの説明を聞きながら、アシュテルは、目の前に広がる光景に見覚えがあることに気がついた。

 

「確かここは……」


 アシュテルが、記憶を辿っていると、リリアナが、興奮した様子で口を挟んできた。


「わぁ! 懐かしい……改めて見ると綺麗な街。閉じ込められてるときは何も思わなかったのに」


 リリアナは、馬車の窓から見える街並みを眺めながら、感慨深そうにそう言った。

 確かに、リリアナの言う通り、街並みは美しく、華やかだった。

 高くそびえ立つ時計台、色とりどりの花々が咲き乱れる広場、そして、どこまでも続く石畳の道。

 そこは、まさに、絵本から飛び出してきたような、夢と希望に満ち溢れた世界だった。

 

「そうね、綺麗……」


 アシュテルも、リリアナの言葉に同意するように、小さく頷いた。

 

(綺麗……綺麗なのに……)


 しかし、アシュテルの心は、どこか晴れない気持ちでいっぱいだった。

 この美しい世界も、セシリアとリリアナの未来も、自分のせいで大きく歪んでしまっていると思うと純粋には楽しめない。


(そうだ。確か、セシリアは、没落貴族の娘だったはず……)


 アシュテルは、ゲームのストーリーを思い出しながら、システムに尋ねた。


「ねえ、システム。セシリアの家は確か、没落貴族だったわよね?」


 アシュテルの問いかけに、システムは、少し間を置いてから答えた。


『ええ。ラングレッド侯爵家は、数年前から、経済的に苦しい状況にあるとされている……はずです』

「だったら、どうして……?」


 アシュテルは、目の前の光景と、システムの説明との間に、大きな矛盾を感じていた。

 セシリアが乗っている馬車は、最新のデザインで装飾された、非常に高価なものだった。

 そして、セシリアの隣に座っている、ラングレッド侯爵夫人は、高価そうな宝石をいくつも身につけており、とてもじゃないが、経済的に厳しい没落貴族の夫人には見えなかった。


 アシュテルが、疑問に思っていると、侯爵夫人が、勝ち誇ったような口調で、話し始めた。


「まあ、あなたも、今日は、精一杯のおしゃれをしてきたのでしょう? 

 しかし、さすがに、我がラングレッド侯爵家には、かないませんわよね?」


 侯爵夫人は、そう言うと、隣に座っている、少し緊張した面持ちの初老の女性に、高価そうなレースの扇子で顔を仰ぎながら話しかけた。

 その女性は、セシリアの友人である、貴族の令嬢の母親だった。


「そ、そうですね……

 ラングレッド侯爵家は、王国の創設にも貢献した、由緒正しき名門ですものね。

 我が家の家など、足元にも及びませんわ」


 令嬢の母親は、侯爵夫人の言葉に、平身低頭するしかなかった。


「まあ、そんな、大げさな……」


 侯爵夫人は、口では謙遜しながらも、その表情は、満足感に満ち溢れていた。

 侯爵夫人は、満足そうに、ため息をつくと、再び口を開いた。


「しかし事実です。我がラングレッド侯爵家は、客観的に見ても、王国で五本の指に入る名家。

 セシリアは、そんな名家の跡取り娘なのですから、当然、社交界でも、ひときわ輝いてなくてはなりませんわ。ねえ?」


 侯爵夫人は、そう言うと、セシリアの肩に、優しく手を置いた。


「セシリア、あなたは、今日、社交界デビューを果たすことで、名実ともに、この国のトップレディへの道を歩み始めるのですよ? 気を引き締めなさい」

「言われるまでもございません。母上……ラングレッド家の娘として恥じぬよう努めて参ります。栄光はあくまでもおまけです」

「素晴らしい。最高の答えね……さすがは我が娘」


 セシリアが母である侯爵夫人の言葉に、緊張した様子もなく堂々と答え、侯爵夫人が満足したように頷く。

 アシュテルとリリアナは、セシリアの言葉に、思わず目を見張った。

 その話し方や仕草は、あまりにも自信に満ち溢れており、おっとりとていて控えめセシリアの姿とはかけ離れていた。

 

(な、何なのよ、今の……?)

「ねえ、アシュテル? あの子、セシリア……だよね?」

「え……あ、ああ、その、えっと……私も分からない……」


 あまりにも予想外のセシリアの姿に、アシュテルは言葉を失ってしまう。

 リリアナも、困惑した表情でアシュテルに助けを求めるように視線を泳がせている。


「ねえ……システム、今のセシリアの様子、というか、何もかも違いすぎるんだけど? これって、やっぱり前の任務でやらかしちゃったせい?」

『……不明ですが、ここまでの変化となると、あなただけが原因であるという可能性は低いと思われます』


 アシュテルの言葉に、システムは、少し間を置いてから答えた。


『ただ、現在「ローズガーデン・ロマンス」の物語世界に、深刻な不具合が発生していることは、確実です。その影響が、主人公であるセシリア・ラングレッドの性格や言動に強く出てしまっているのでしょう』


 システムの説明に、アシュテルは、眉をひそめた。


「性格や言動に変化? でも、セシリアだけじゃないわよね? ラングレッド侯爵家の経済状況だって……それに、五本の指って」


 アシュテルが、そう言うと、システムは、アシュテルの言葉を遮るように、口を挟んだ。


『確かに、ラングレッド侯爵家の経済状況が、「ローズガーデン・ロマンス」本編の情報と異なっている点は、とても気になります。

 しかし、現時点ではその原因をはっきりと申し上げる事は出来ません』


 システムは、少しだけ困惑したような口調で言った。


『更なる情報が必要となります』

「そうは言われても……はぁ、わかった。やって見るわ」


 アシュテルは、システムの言葉に、ため息をついた。

 状況は、アシュテルが考えていたよりも、はるかに複雑なようだ。


(一体、何が起こっているの……?)


 アシュテルは、不安な気持ちを抱えながらも、リリアナと一緒に、セシリアたちの後をついていくことにした。



 数十分後、セシリアたちが乗った馬車は、王宮の前に到着した。


「さあ、セシリア、着きましたわ。今夜は、あなたの生涯において、大切な一夜になるでしょう。

 心して、参りなさい」

「はい、母上」


 侯爵夫人は、セシリアに優しく微笑みかけると、彼女を馬車から降ろした。

 セシリアは、侯爵夫人に一礼すると、堂々とした足取りで、王宮へと続く階段を上っていく。

 その姿は、まるで、女王のような風格さえ感じる。


(…………本当に、あの子がセシリアなの?)


 アシュテルは、煌びやかな王宮の門をくぐるセシリアの後ろ姿を、信じられないといった様子で見つめていた。

 アシュテルの隣に立つリリアナも、動揺を隠せないでいる。

 セシリアの性格などが、自分の知っているのとは異なる事に困惑しているのは勿論だが、それだけではない。

リリアナにとっては、王宮の風景一つ一つが、懐かしくも怖い思い出として蘇ってくるのだ。


「あ、アシュテル……」

「大丈夫? 顔色が悪いわよ」


 アシュテルは、リリアナの肩にそっと手を置きながら、優しく声をかけた。

 リリアナは、アシュテルの優しさに触れて、少しだけ落ち着いたのか、小さく息を吐くと、アシュテルに微笑みかけた。


「ご、ごめんね。少し、色々と思い出しちゃって……」

「無理もないわ。リリアナにとって、ここは楽しい思い出ばかりの場所じゃないものね」


 アシュテルは、リリアナの気持ちを察して、静かにそう言った。

 リリアナは、アシュテルの言葉に、小さく頷いた。


「ありがとう、アシュテル。……大丈夫。私、もう大丈夫だから。やらないといけない事、やろう?」


 リリアナは、アシュテルに感謝の言葉を述べると、もう一度、深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。


「本当に大丈夫?」

「うん……だって、アシュテルが隣にいてくれるでしょ? だったら、少し怖いけど……きっと大丈夫」

「そ、そう。私も心強いわ」


 リリアナは、アシュテルに、少しだけいたずらっぽい笑みを向けながら言う。

 アシュテルは、そんなリリアナの笑顔と言葉に、少しだけ顔に熱が集まってくるのを感じ、顔を逸らしながら一言だけ返す。


(勝手に自分が何とかしなきゃと思ってたけど……そうね、私たちは一人じゃない。手伝ってくれるなら甘えなくちゃ)


 アシュテルは、リリアナと一緒に王宮へと続く階段を見上げた。


「行くわよ。リリアナ」

「うん!」


 アシュテルは、静かに決意を固めると、リリアナの手を取って、王宮の中へと足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る