第7話 間違いだらけの舞踏会


 舞踏会会場は、煌びやかなシャンデリアの光に照され、華やかなドレスを身にまとった貴族たちで賑わっていた。

 軽快な音楽が流れ、あちこちで楽しそうな笑い声が響き渡っている。


 そんな華やかな空間の中でも、セシリアは、ひときわ目を引く存在だった。


「本日は、このような素晴らしい舞踏会にお招きいただき、誠にありがとうございます。

 ラングレッド侯爵家のセシリアと申します」

「おお、これはこれは。噂は聞いておりますよ」


 セシリアは、完璧な立ち居振る舞いで、周囲の貴族たちに挨拶をしている。

 その姿は、さながら生まれながらの貴族だ。

 気品に溢れすぎている。


(やっぱり、おかしいわよね……もはや誰よ)


 アシュテルは、セシリアの姿を見ながら、改めて違和感を覚えた。

 ゲームのシナリオでは、セシリアは社交界デビューの場で、緊張のあまりに転んでしまい、その失敗を、リリアナに嘲笑されていた。

 しかし、今のセシリアの様子を見る限り、そんな失敗をするような気配は、全く感じられない。

 それどころか行動の全てが完璧だ。流石に面影が無さすぎる。


「セシリア様、本日は一段と輝いていらっしゃいますね。まるで、女神様のようです」

「まあ、そんな……お褒めにあずかり恐縮ですわ」


 貴族たちの欲を孕んだ視線や言葉にも、セシリアは動じることなく、優雅に微笑み返す。

 その仕草、その表情、その言葉遣い、どれをとっても非の打ち所がない。

 しかし、アシュテルには、セシリアの笑顔が、どこかぎこちなく、作り物のように感じられた。


(まるで、完璧な貴婦人であろうとする人形みたい……)


 アシュテルは、心の中で呟いた。

 ──その時だった。


「フー! ハァ! ンーッ、セシリア様……まるでこのワタクシの腹直筋のような、均整のとれた完璧な美しさッ! ご会場の皆様もワタクシの僧帽筋の次くらいには夢中になられるでしょうなッ! ハーッハッハ! フンッ!」


 異様に声を張り上げ、乙女ゲームの世界にはおおよそ似つかわしくはない珍妙なポーズをとりながら、セシリアに話しかけたのは、鍛え上げられた肉体を持つ、筋骨隆々の男だった。

 あまりにも場違いな男の登場に、周囲の貴族たちは、一瞬、時が止まったかのように静まり返る。


(な、なによ、あの人……?)


 アシュテルは、目の前の光景に、ただただ唖然とするしかなかった。

 リリアナも、目を丸くして、その男の姿を凝視している。


「…………ど、どちら様で?」


 セシリアは、顔には出さないものの戸惑いを隠せない様子で、男に尋ねた。

 男は、ニカリと白い歯を覗かせると、胸を張って自己紹介をした。


「ワタクシ、バルナバス・ルバーグと申します! セシリア様のような、美しき筋肉の女神にお会いできるとは……まさに僥倖! まさに幸運!! 光栄の至りでございます!」


 バルナバスと名乗る男は、セシリアの手を取ろうと試みるも、セシリアはとっさに手を引いた。

 セシリアの完璧な笑顔が、僅かに崩れる。


「……美しき、筋肉の女神??」


 セシリアは、一瞬固まってから、訳がわからないといった顔で、バルナバスを見つめ返す。

 バルナバスは、全く悪びれる様子もなく、力強く頷いた。


「左様です! セシリア様の美しさは、まさに芸術! 神々の彫刻にも勝る、完璧なるプロポーション! ワタクシの筋肉たちも、美しい美しいと叫んでおります! さぞかし……さぞかしッ! 日々の鍛錬に励んでいる事でしょうッ!!」

「?? そ、そうですね……? 私は……ラングレッド家の娘として恥じぬように鍛錬を?」


 バルナバスの言葉に、セシリアは、戸惑いながらも、何とか答えようとする。

 流石にもう困惑は隠せていないが、返答できているのはさすがと言うほかないだろう。

 しかし、バルナバスは、セシリアの言葉に耳を貸さず、更に言葉を重ねた。


「素晴らしい! やはり、やはりッ! セシリア様は、違いますな! 

 このバルナバス、及び筋肉一同! 一目見た瞬間、セシリア様の内に秘めたる、強靭な筋肉のポテンシャルを感じ取ったのです!」


 バルナバスは、興奮気味にそう言うと、セシリアの肩に手を置こうとした。

 しかし、セシリアは、バルナバスの手に触れられると同時に、まるで電撃が走ったかのように、後ずさった。


「な、なにするのですか!?」


 セシリアの顔から、完璧な笑顔が消え、冷たい視線がバルナバスに向けられる。


「お、おおっと、失礼いたしました! つい、セシリア様の美しさに、我を忘れてしまいました! 腕の筋肉たちに変わって謝罪いたします」



 バルナバスは、セシリアの剣呑な雰囲気に押され、慌てて謝罪した。

 しかし、バルナバスの視線は、依然として、セシリアの体に注がれている。


「貴方、さっきからふざけ──」

「セシリア様! どうか、ワタクシと、共に、筋肉トレーニングの素晴らしき世界へ! ご一緒いたしましょう!」


 バルナバスは、セシリアに深々と頭を下げると、再び申し出た。

 当然、周囲の貴族たちは、バルナバスのあまりにも場違いな言動に、呆気にとられている者、不快感を示す者など、反応は様々だった。


「……ちょっと、どういうことよ、あれ」


 アシュテルは、バルナバスのあまりにも奇抜な言動に、呆れてものが言えなかった。

 リリアナはというと、クスクスと笑いをこらえている。


「ふふっ……アシュテル、見た? あの人、面白いわね」

「え、ええ?……そうね、うん。面白、い、けど……」


 アシュテルは、リリアナの言葉に、同意するしかなかった。

 確かに、バルナバスの言動は、面白おかしい。しかし、アシュテルは、どこか不気味なものを感じていた。


(ねえ、システム、今の男の人……バルナバスっていったわよね 彼、一体何者なの?)


 アシュテルは、心の中で、システムに尋ねる。


『……現在、調査中です。しかし、あなたもご存知の通り「ローズガーデン・ロマンス」の世界にバルナバス・ルバーグという人物の情報は存在しません。さらにいえば、周知されていない隠しキャラクターという事もございません』


 システムの答えに、アシュテルは、更に不安を募らせた。


(それは、そうよね。あんなの見たら忘れないもの……でも、だったら何、あれ?)


 アシュテルが、不安に駆られていると、システムは、言葉を続けた。


『ただ、現時点では、バルナバス・ルバーグに、明確な敵意は感じられません。

 むしろ、彼は、セシリア・ラングレッドに対して、純粋な好意を抱いている可能性があります。

 少々、その表現方法が独特すぎるきらいはありますが……』

(好意……? 好意……まあ、好意は好意か)


 アシュテルは、バルナバスの姿を思い浮かべながら、首を傾げた。

 

 一方、バルナバスは、セシリアに断られても諦めようとせず、筋肉トレーニングの素晴らしさを語り続けていた。


「セシリア様! 筋肉トレーニングは、肉体を鍛え上げるだけでなく、筋肉の悲鳴と対話しながら、精神をも鍛え上げる、最高の鍛錬であり娯楽なのです! 共に、汗を流し、筋肉を追い込むことで、心身ともに、美しく、強く、逞しくなれるのです!」


 バルナバスは、そう言うと、自身の鍛え上げられた肉体を誇示するように、様々なポーズを決め始めた。


「どうですか、セシリア様! この上腕二頭筋! この大胸筋! この広背筋! そして、この、大腿四頭筋! まさに、芸術と呼ぶにふさわしい、完璧なる筋肉美でしょう!?」

「…………」


 バルナバスのあまりにも暑苦しいアピールに、セシリアは、完全に言葉を失ってしまっていた。

 完璧な貴婦人であったはずのセシリアの仮面が、少しずつ剥がれ落ちていく。


(セシリア……?)


 アシュテルは、セシリアの様子がおかしいことに気がついた。

 セシリアの体が、小さく震え始め、瞳孔が開いている。

 顔色は蒼白になり、額には、じっとりと冷や汗が浮かんでいる。


(もしかして……セシリア、怖がってる?)


 アシュテルは、セシリアの異変に気づき、胸騒ぎを覚える。

 その時だった。

 セシリアが、ゆっくりと顔を上げると、バルナバスの方を虚ろな目で見る。


「筋肉……? 筋肉筋肉筋肉」


 セシリアは、まるで、呪文を唱えるかのように、呟いた。

 

「ふふ……あはは……トレーニング?」


 セシリアの表情が、一変する。

 先程までの、完璧な貴婦人の仮面は、跡形もなく消え失せていた。


「最高ですね!! ご一緒させてください! いますぐにでも!!」


 セシリアは、バルナバスの腕を掴むと、目を輝かせながらそう叫んだ。その剣幕は、先ほどまでのセシリアと同じ人物とは思えない。


「ハーッハッハ! よろこんで!」


 セシリアの返答にに、バルナバスは満足したように大きな笑い声をあげ、満面の笑みを浮かべて答えた。

 バルナバスは、嬉々としてセシリアを手を引いて、舞踏会会場を後にしようとするが、すぐに何かに気がついたように足を止める。


「フーム……フーム。挨拶くらいはしておくべきか?」

「どうなされたのですか?」

「いえいえッ! 大したことは御座いませんッ!!筋肉の、筋肉による、筋肉の為の! 筋肉に捧ぐ勝利宣言にございますッ!!」


 バルナバスはそう叫んで、会場をぐるりと見渡す。

 そして、何度か視線を泳がせたあとで、何かを見つけたのか、ニヤリと不気味な笑みを浮かべる。


「修正者たちよォッ!!!! ワタクシの勝ちだァ!!!!」


 バルナバスは、見つけた何かの方を見つめ、声を張り上げて高らかに宣言する。


「!?」

「!?」

『!?』


 バルナバスの視線の先には、システムの認識阻害によって、見えないはずのアシュテルとリリアナがはっきりと収められていた。

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