第3話 歪む物語


 不意に部屋の扉が開き、二人の前に姿を現したアルバート殿下は、高圧的な態度でそう言い放った。

 その視線は、冷たくリリアナを捉えている。

 アシュテルの存在には、当然ながら気付いていないようだった。


「あ、殿下……」


 リリアナは、驚いたように顔を上げると、慌てて立ち上がった。

 しかし、アルバート殿下は、そんなリリアナの動揺などお構いなしに、部屋の中へと足を踏み入れてきた。


「何をしていた? 楽しそうにしていたようだが」


 アルバート殿下は、部屋の中をゆっくりと見渡すと、リリアナに向き直った。

 その視線は、まるでリリアナの心を覗き込むかのようだった。


「い、いえ……別に、大したことではありませんわ」


 リリアナは、アルバート殿下の視線にたじろぎながらも、何とか平静を装って答えた。

 しかし、その声は、僅かに震えていた。


(リリアナ……怖いのね)


 アシュテルは、リリアナの異変に気づき、そっと彼女の背後に回り込んだ。

 リリアナには、アシュテルの気遣い伝わったのか、僅かに顔を上げて、アシュテルの方を見た。

 その瞳は、助けを求める子犬のように、潤んでいた。


「大した話ではない? そうか? だが、私は、お前が誰かと話しているのを確かに聞いたぞ」

「そ、それは……」

「まさか、誰かをこの部屋に匿っているのではあるまいな?」


 アルバート殿下は、リリアナに詰め寄りながら、そう言った。

 その言葉に、リリアナは、はっと息を呑んだ。


(まずい……!)


 アシュテルは、アルバート殿下の言葉に、嫌な予感を覚えた。アシュテルは、自分が“ざまぁ概念”であることを、まだリリアナに打ち明けていなかった。

 もし、ここでリリアナがアシュテルの存在を明かしてしまったら立場が悪くなるのはリリアナだ。

 この部屋に正体不明の女を連れ込んで、話し相手にしていたとされれば、リリアナはどんな仕打ちを受けるか分からない。


「落ち着いて、リリアナ。私のことは彼には見えない。黙っていればバレないわ」


 アシュテルは、心の中でリリアナに呼びかけた。

 しかし、リリアナは、アルバートに怯えるあまり聞こえていないようだ。


「殿下……私は、ただ……」

「ただ?」

「……い、いえ」


 リリアナは、言葉を詰まらせてしまった。

 その様子を見たアルバート殿下は、冷たく言い放った。


「やはりお前は、反省の色が見られないようだ」

「……っ!」


 アルバート殿下の言葉に、リリアナは肩を震わせた。


「お前が、あの夜、侍女たちに乱暴を働いたことは、既に王宮中どころか、貴族たちにに知れ渡っている。

それなのに、お前は、まだ自分の罪を認めようとしない。このままでは、公爵家にも累が及ぶぞ?」


 アルバート殿下の言葉は、まるでリリアナの心を抉る刃物のようだった。

 リリアナは、何も言えず、ただ俯くことしかできなかった。


(おかしいわ……)


 アシュテルは、アルバート殿下の様子に、強い違和感を覚えた。


 確かに、ゲームの中でもアルバート殿下は、リリアナの婚約破棄を宣言した後で彼女を厳しく叱責するシーンがあったはずだ。

 しかし、ゲームの中のアルバート殿下は、リリアナを責めながらも、どこか悲しそうな表情を見せていた。それは、リリアナを一人の人間として愛していたからこそ、彼女の行いを許すことができず、苦しんでいたのだ。恋愛的なものではなくとも、確かに愛のある叱責だった。


 今、アシュテルの目の前にいるアルバート殿下には、冷酷で、傲慢で、リリアナに対する愛情など、微塵も感じられない。

 アシュテルがゲームで見た彼とはまるで別人のようだった。


(ねえ、システム。今のアルバート殿下の様子、おかしくない? ゲームの情報と全然違うんだけど)

『……その可能性は高いと思われます。現在、「ローズガーデン・ロマンス」の物語及び、当該システムに想定を上回る。重大な不具合が発生している可能性があります。

そのため、登場人物たちの性格や行動にも、影響が出ている可能性があります』

(影響が出ている……? そんな、そんなバカな……!)


 アシュテルは、システムの言葉に衝撃を受けた。

 まさか、物語自体に不具合が発生しているなんて……


(でも、どうして……? どうして、こんなことに……?)


 アシュテルは、混乱する気持ちを抑えきれなかった。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。

 目の前で、リリアナがアルバート殿下に追い詰められているのだ。


(考えたって分からないし……とにかく、今はリリアナをなんとか守ることだけ考えなきゃ)


 アシュテルは、システムに問いかける。


(ねえ、システム。何か、リリアナを助ける方法はないの?)

『……申し訳ありません。現在の状況では、有効な手段が見つかりません。

しかしながら、そもそもあなたは"ざまぁ概念"。リリアナ・ノースフォードが追い詰められているこの状況は望ましいはずです。いまこそ"ざまぁ"を与えて軌道修正を……』

(わかった、わかった。こっちで勝手に考えるから)


 アシュテルは、システムの言葉を遮るように、心の中で叫んだ。


(うるさいわ! 私はもう、"ざまぁ"なんて見たくないの! リリアナを、これ以上傷つけさせたくないの!)


 アシュテルの強い意志を感じ取ったのか、システムは再び沈黙した。


「まぁ、いい。近いうちにお前の処遇は決まる」

「殿下……っ」

「間違っても期待はするな。お前は終わりだ……楽に死ねればまだいい方だろう」


 リリアナは、アルバート殿下の言葉に、顔を真っ青にしていた。

 アシュテルには、リリアナがどれほどの恐怖と絶望を感じているのか、痛いほど伝わってきた。


(このままじゃ……何とかしなきゃ……! でも、私に何が……)


 アシュテルは、リリアナを助けたい一心で、周囲を見渡した。

 しかし、アシュテルには、リリアナに触れることも、声をかけることもできない。

 せいぜいできることといえば、この場から逃げ出すことくらいだ。

 しかし、アシュテルが、この場を離れてしまったら、リリアナは一人ぼっちになってしまう。


(ううん、ダメ……! 絶対に、リリアナを一人にはしない……!)


 アシュテルは、自らの無力さに歯噛みしながらも、諦めずに打開策を探そうとした。

 その時だった。


(そうだ……!)


 アシュテルは、ある可能性に気がついた。

 システムは、アシュテルが“ざまぁ概念”であるため、この世界の住人に干渉できないと言っていた。

 しかし、アシュテルは、この世界にやってきてから、確かに“何か”を感じていたのだ。


(この世界は、ゲームの世界のはずなのに……確かに、ここには“何か”が存在している)


 それは、まるで空気のような、水のような、目には見えないけれど、確かに存在している“何か”。

 アシュテルは、その“何か”の正体が分からなかった。

 しかし、アシュテルは、直感的に理解した。

 その“何か”こそが、この世界の真実であり、そして、リリアナを救う鍵になるのだと。


(システム。私は、この世界の“空気”を感じることができる。これが"ざまぁ概念"の能力だとして、この“空気”、それそのものに、干渉することはできないの?)


 アシュテルは、システムに問いかけた。

 すると、システムは、少し間を置いてから、答えた。


『前例がありません……ので、確認します。少々お待ちください』


 システムの声は、どこか緊張しているようだった。

 しばらくすると、システムは再び口を開いた。


『……“物語の雰囲気”への干渉は、可能です。ただし、干渉できる範囲は限定的であり、成功率は極めて低いです』

「物語の雰囲気……?」

『物語の雰囲気とは、その物語が持つ、独特の空気感、世界観、あるいは、登場人物たちの感情の傾向などを指します』

(世界観や感情の傾向……)

『あなたは、“ざまぁ概念”としての力を使うことで、物語の雰囲気を、ほんの少しだけ操作することができます。ただし、あくまでも“ほんの少しだけ”です。

不具合改善の可能性はありますが、あまりにも大きな変化を与えようとすると、物語にに更なる不具合が生じる恐れがあり、最悪物語の崩壊や、別の世界が生まれる可能性まであります。

また、干渉はあくまでも一時的なものであり、永続的に効果が続くわけではありません。よって実行は推奨出来ません』

「そ、そう……すっごい早口」

『それでも、あなたは実行しますか? あなた自身の役割に反して』


 システムは、念を押すように尋ねてきた。

 アシュテルは、少しだけ迷った。

 もし、失敗したら、リリアナに、さらに危険が及ぶかもしれない。

 しかし、このまま何もしなければ、リリアナは、連れられた先で父親の言葉に傷つけられ、心を壊してしまうかもしれない。


(……やるわ。やるしかない。だって、私は……こんな"ざまぁ"は認めない!)


 アシュテルは、決意を固めると、システムに告げた。


「やるわ。リリアナを助けるために、私にできることを、教えて」


 その言葉に、システムは、静かに答えた。


『了解しました。では、これから、あなたに“物語の雰囲気”を操作する方法を伝授します』

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